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【まとめ】 9/16放送実況時「たまこラブストーリー」読解全時系列ツイート

 えーと、9/16にTOKYOMXで初めて地上波で放送した「たまこラブストーリー」のTwitter実況で流していた全ツイートを時系列順にまとめたものを掲示しておきます。ハッシュタグは「#SMTLS読解」でした
 
この解釈が現時点での自分の理解、ということになります。この理解にたどり着いた過程は、このブログを読み返していただければわかると思います。過去の記事に言及していてこちらには言及していないことも多々ありますが、それはあまり重視されることではなかった、ということで…まあ時間もありますしw

自分が特に協調したい部分は赤字にしましたw
自分自身にとっての記録としても、ここにメモっておきます
 
 
【直前告知】TOKYOMX放送の「たまこラブストーリー」では、個人的な読解ツイートを連投します。タグは「#SMTLS読解」。興味のある方はどうぞ。不要な方はタグをNGかミュートワード設定してください 
#tamakolovestory 
#SMTLS読解

【総論1-1】本作は、山田監督の前作「映画けいおん!」が、そのラストシーンが象徴するように「橋を渡る物語」として総括できることに対して、(たまこともち蔵の間に)「橋を架ける物語」と総括できる #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論1-2】この「橋」とはふたつの世界を繋げる概念で、作中様々なイコンで現れる。タイトルにもモチーフされる「糸電話」が象徴的で、これはたまこともち蔵の部屋と部屋をつなぎ、心を渡らせる #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論1-3】もう一つの要点は「往復」。恋愛が成就するには一方通行ではダメで、思いが「橋」を「行き来」しなければならない。作中に「行って帰る」「リバース」を示唆するものが、幾つか登場する #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論1-4】この物語は、表層的には、もち蔵が橋を架け、たまこが橋を架け、思いを行き来させて通じ合わせるまでの物語といえる #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論2-1】深層的には、本作には「死」が影を落としている。死者、死にかける者、観念的に死んで蘇る者が登場する #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論2-2】この文脈では、本作は「たまこが転生し、自己を確立して周辺との関係性を再構築する物語」といえる  #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論2-3】鍵は亡母ひな子の存在であり、本作でたまこは母親との関係性を「亡母の影を追う娘」から「恋する女同士」へと改めていく #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論2-4】「死」を「終わり」と読めば、山田監督は本作を通じて「終わりを越えていく価値」。「時間を越える価値」を描き出そうとしているといえる #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論2-5】この姿勢は、卒業という「終わり」の先に残る価値を描いた「映画けいおん!」と通底する。これはおそらく次回作「聲の形」とも通じる。クリエイターとしての彼女の主題だと思う #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論3】新作「聲の形」においても間違いなく「橋」と「死」は読解上、注目すべき演出要素であるだろう #SMTLS読解 #tamakolovestory

【アバン】本作のアバンには、この物語を読み解く上での最低限の情報が全て与えられている #SMTLS読解

【アバン】英文は万有引力を発見したニュートンの言葉。「いつもそのことばかりを考えていたので」 #SMTLS読解

【アバン】「引力」=「惹かれあう力」。地球と月の関係性は引力と遠心力が釣りあって、離れられずくっつくこともない。現在のたまこともち蔵の関係性 #SMTLS読解

【アバン】「引力」は恋心、親愛の情であることは明白。では「遠心力」は? 引力に匹敵するほどふたりを遠ざける力は、確かに存在する #SMTLS読解

【アバン】「リンゴ」はアダムとイブに性を認識させた知恵の実。転じて恋愛の象徴。これが床に落ちるのは、もち蔵の恋心。「引力」の象徴 #SMTLS読解

【アバン】商店街はたまこともち蔵にとってある意味で家であり家族。かれらを育ててきた地域共同体 #SMTLS読解

【アバン】過去のイベントでの質疑応答で、山田監督はそのキャラクターを育んだ背景を描く重要性を認めている #SMTLS読解

【アバン】「月」は「餅」。赤い星は「火星」。火星の惑星記号は「♂」転じて男性 #SMTLS読解

【アバン】「糸電話」はふたりが思いを渡らせる「橋」。本作の最重要キーアイテム #SMTLS読解

【アバン】回転する円筒の穴から過去を覗く。本作が映画であるということになぞらえて、ゾートロープやキネトスコープをイメージしているのではないか #SMTLS読解

【アバン】かすれたフィルム調の回想。写真がコマ送りでアニメーションされるフィルムは、記憶の中で「時間の止まった者=死者」が「生かされている」ことを示唆する #SMTLS読解

【アバン】記憶がフィルム調であること、またその画面の傷は、たまこともち蔵がひな子の死を引きずっていること(ある意味では彼らの時間も止まっている)またその心理的な傷、心の痛みを象徴している #SMTLS読解

【アバン】この、ふたりが共有するひなこの死と心の傷が「遠心力」。ために、以来たまこは母親のことだけを思っている #SMTLS読解

【アバン】もち蔵の恋心=「引力」は、ひなこの死という「遠心力」と拮抗して、ぐるぐる回るだけで近づけない #SMTLS読解

【アバン】無数に登っていく糸つきの風船。糸電話からちぎれて生まれた無数の言葉と思い。天にいる死者への餞? 叶わぬ思い? それは未来へのきざはしになるのか #SMTLS読解

【アバン】回想シーンにおけるフィルム調と記憶の中の傷は、たまこともち蔵にとっての決定的な事件が起こる場面まで続く #SMTLS読解

【アバン】糸電話は、いつももち蔵からたまこへと架かっていて、たまこはうまくキャッチできないでいる。現在のふたりの関係性の象徴 #SMTLS読解

【OP】たまこは餅が大好き。頭のなかは餅でいっぱい。なぜなのか。それはTVシリーズでも明かされなかったが、本作中で明かされる #SMTLS読解

【OP】もち蔵は映画作り(録画)が好き。理由は想像するしか無いが、おそらく大切な出来事を留めるためで、発端はたまこと同じなのではないか #SMTLS読解

【OP】あんこ。実はふたりの関係をいちばん間近でよく見ている子w #SMTLS読解

【OP】たまこを思うみどり。本作は彼女がたまこへの拘泥から自立し、成長する物語でもあり、第二のヒロインでもある #SMTLS読解

【OP】かんなは友人たちを客観する審判者。本作の名バイプレーヤー。彼女もひとつ、成長のために克服すべき問題をもっている #SMTLS読解

【OP】史織はすでに自分のやりたいこと、やるべきことが見えていて、立ち止まらない。友人たちの中で一番成長して一歩先にいる存在 #SMTLS読解

【OP】学生時代のひなこと豆大は「フィルム」だが、ふたりの恋愛譚は本作の前史であり「時間を越える価値」でもある #SMTLS読解

【OP】川を挟んだのこちら側と対岸は、今いる場所と次に行く場所の象徴。両者は橋でつながっている #SMTLS読解

【OP】OP主題歌は本作における重要なナンバー。この歌が豆大とひなこの恋物語とその思いを、時間を超えてたまこへと伝える #SMTLS読解

ちなみに「バトン」はたまこの(監督の)「魔法少女」への憧れに起因する(=魔法少女のステッキ)。たまこの少女性の象徴 #SMTLS読解

「映画けいおん!」では後輩への歌。本作ではマーチングフェスティバルが卒業を前に主人公たち自身が設定した課題 #SMTLS読解

ところで床の反射がとても気になる。「返すこと」を無意識に意識させようとする仕掛けではないか #SMTLS読解

かんなのかばんの置き方は直角 #SMTLS読解

監督曰く登場するリンゴが本物と偽物なのには意味があるとのこと #SMTLS読解

背景のマーガレット。花言葉「恋占い」「真実の愛」。今のもち蔵としは6:4で「恋占い」だろうかw #SMTLS読解

左から右に流れる飛行機雲。「映画けいおん!」では未来の象徴。本作はそのオマージュか #SMTLS読解

橋の上で川の上流を見ながら将来のことを語る4人。橋は今いる場所から次の場所に行く象徴。川の流れは時の流れ。川の上流は未来の象徴 #SMTLS読解

ここで史織は自分の将来を見据えていることがわかる #SMTLS読解

古語において、ふたつの場所、世界を水平に渡すものは「はし」で、垂直に渡すものは「きざはし(階)」という。共に「橋」のこと #SMTLS読解

かんなの課題は高所恐怖症=垂直方向の克服なので、階段で未来のことを語っている。つまりこれも橋の上での会話で、かんなも自分の課題をわかっている #SMTLS読解

タンポポの花言葉は主にふたつ。花は「真心の愛」。綿毛は「別れ」。ここでは彼女たちの友情の象徴、だがいずれ綿毛となり別れる運命にあることが示唆されている #SMTLS読解

みどりは自分の将来を橋の上で語っていない。OPに出てきた「こちら側」の岸辺を上流へと歩いている。未来に向かいつつも、今いる場所から離れられない #SMTLS読解

商店街に入るところで画面の調子が変わる。商店街はたまこにとって「ホーム」であり、商店街の人々は擬似家族 #SMTLS読解

たまこがもらう花は亡母に捧げる一輪挿しのための花で、これはピンポンマム。花言葉は「君を愛す」を選ぶのが妥当か。彼女が商店街の皆から愛されているという意味 #SMTLS読解

ストレートがまだ飲めないたまこ。乳離れしていない、とも読める。母親から離れられないままという暗喩か #SMTLS読解

もち蔵は家から、商店街から離れる道を選ぼうとしている。彼なりの大人への脱皮だが、その前にたまこへの告白を課題としている #SMTLS読解

思いを伝えるのは糸電話でなければならない。終盤で重要 #SMTLS読解

もち蔵の電車模型は円環するレールの上をグルグル回るだけ。設定資料から、この電車は火星に向かう銀河鉄道(のつもり) #SMTLS読解

火星=♂=大人の男性の象徴。だが円環の上を走る列車はどこへも行けない。告白できず(大人の男になれず)に、ぐるぐる回っているばかりという寓意 #SMTLS読解

ここでもち蔵が撮影している絵がEDで使われている? #tamakolovestory

余談。手前の女の子、後ろの男子に興味がある? #tamakolovestory

ここでも床の反射 #SMTLS読解

もち蔵とみどりの会話。みどりはもち蔵を煽る。後述するが、ぐるぐる回っているだけ。その本当の理由を、おそらくみどりも知っている #SMTLS読解

コマのような窓の影の中を飛ぶ鳥。フィルム=映画の寓意? 彼を未来に羽ばたかせるもの #SMTLS読解

みどりは階=橋を降りていく。彼女の心理が自己嫌悪に陥って悪い方向に向かっていること。踊り場でたまこは光の中、みどりは影 #SMTLS読解

「俺達はずっと仲間だ~」は「スタートレック2」でのスポックの最期のセリフ「I have been,and always shall be,your friend」が元ネタか #SMTLS読解

というのは、コンテ段階の映研の背景設定画にはスタートレック関連の落書きが確認できるため #SMTLS読解

小指にキスをして誓うのは「スタンド・バイ・ミー」が元ネタ。トモダチは「ET」が元ネタと思われる #SMTLS読解

鴨川の「飛び石」は本作でもっとも重要な「橋」。今いる場所から次の場所に行く象徴。もち蔵にとってはその石はフィルムのコマでもあるだろう #SMTLS読解

たまこが手にした石は「餅」のイメージ。たまこの頭のなかは餅のことばかり #SMTLS読解

そんなたまこを見て、結局もち蔵は言えない。餅が持っている意味こそ、もち蔵に告白をためらわせてきたもの #SMTLS読解

橋の途中で立ち止まるもち蔵。先に行けない。だが後に、彼がこの石の先に行く場面が出てくる。たまこはもち蔵を追い越して戻る #SMTLS読解

演出上のポイントとして、二人の間で重要な意志の伝達は、常に画面上手(右側)から下手(左側)へ行われる。冒頭の糸電話も同じ。例外は作中に一度しか無い #SMTLS読解

ここで「餅」の持つ本当の意味が明かされる。餅とはたまこにとって亡母の象徴で、餅へのこだわりは亡母への思慕。たまこは母親のことは全く口にしていないが… #SMTLS読解

だが同じ連想をもち蔵もしている。たまこが追いかけているのは母親。餅=亡母しか見えていない。それが彼が告白をためらっていた本質というわけ #SMTLS読解
 
だが、たまこが手にしていた石=餅=母親が水中に落ちる。つまりふたりの間からひなこの存在が消える #SMTLS読解

だからここで、もち蔵はたまこに告白でき、それがたまこの心に届く。ふたりの立ち位置が入れ替わっていることに注目。重要な意志の伝達は右から左へ #SMTLS読解
 
たまこが水中に落ちる。水中は石=餅=亡母ひなこのいる世界=死の世界。つまり、ここで亡母にこだわっていたこれまでのたまこは概念的に「死んだ」ことになる #SMTLS読解

「ここでたまこが死んでいる」という傍証は、この後の演出から、いくつもの指摘ができる #SMTLS読解

TV第五話で、たまこはかなづちで水中では目も開けられない。だがここでは目を開けて沈んでいる。「びっくりしたから」は上辺の解釈。裏の意味は「死んだから」 #SMTLS読解

水中から出てきたたまこは「転生者」。それまでの彼女がクリアされた状態。だから言葉もおかしい #SMTLS読解

商店街を駆け抜けるたまこ。商店街は産道でもあるかもしれない。つまりここで商店街が本当の意味で彼女の母胎になっている #SMTLS読解

実家に現れたたまこが「ずぶ濡れ」なのも、つまり「生まれたて」だから #SMTLS読解
 
「裸眼」になっているのも「生まれたて」だから #SMTLS読解
 
中庭左手前に出てくるセンリョウの木はお正月に飾られる縁起物。一方、たまこの誕生日は12月31日。センリョウ=元旦とたまこの組み合わせも、たまこが生まれたてであることを暗喩する #SMTLS読解
 
たまこの中で、餅=母親という刷り込みが、餅=もち蔵という刷り込みに変わっているが、これも「転生」したたまこをとり上げたのはもち蔵だから #SMTLS読解
 
動揺してコケた…というのも表向きの理由。生まれたてなので歩くのが下手 #SMTLS読解
 
…というわけで、この日はたまこが転生したことを示唆する演出がいくつも出てくる #SMTLS読解
 
この場面から後、たまこの回想シーンはフィルム調ではない。母の死が刻んだトラウマが消えて、彼女自身の人生と時間が始まる #SMTLS読解
 
ここから本作は、たまこが彼女自身の人生をやり直し、周辺との関係性を再構築していく、その過程を描いていく #SMTLS読解

うさぎ山御霊祭。ここでも「死」がさり気なく作中に刷り込まれている。たまこが憑かれていた亡母への念が成仏したということかもしれない #SMTLS読解
 
バトンは少女性の象徴。心のバランスポイント(重心)が掴めない。未成熟さ #SMTLS読解

タイムラプス楽しいw #tamakolovestory

彼女の回想はもうフィルム調ではない。川で「死んで蘇った」ことで、母親が死んだことが払拭されている #SMTLS読解
 
窓からの回想。フィルムではないひなこが登場する。母親との関係性が「憧れの死者との関係」ではなく「今も心に生きている者との関係」になったことがわかる #SMTLS読解

「もち蔵くんはたまこのことが大好きなのね」ひなこの言葉はたまこへの助力になっている #SMTLS読解

物語は、そうして生まれ直したたまこだが、やがてでもち蔵との関係の再構築という課題が出てくるという展開へ #SMTLS読解
 
「宇宙」=未知の世界=恋愛、大人の世界。茫漠たるものへの不安。ちなみに「映画けいおん!」では未来や将来は「空」までだった #SMTLS読解

コンタクトは転生してからの成長が実際の年齢に追いついてきた象徴。たまこは再び自分のいる場所を再認識するが… #SMTLS読解

一輪挿しが二輪挿しになっている。ひなこの他にもうひとり死者がいるということの暗喩。鴨川で「死んだ」たまこのこと #SMTLS読解
 
いつもどおりではない要素がひとつある。ここでようやく、物語はたまこの転生を終えて、もち蔵の告白を受けた時点の続きへと戻ってくる #SMTLS読解
 
というわけで、こうしてみると、本作は、たまこが生まれ変わって人生をやり直す物語といえるのがわかると思う #SMTLS読解
 
またしても床の反射 #SMTLS読解
 
タンポポは別れを予感させる #SMTLS読解
 
あんこはもち蔵の良き理解者。それでいいのかw #SMTLS読解
 
もち蔵は橋を渡る。以前居た場所、告白できなかった男から、次の場所に渡りきってしまった #SMTLS読解
 
みどりもまた、たまこが亡母に囚われていると知っていたことがわかる。つまりみどりはもち蔵が告白できない理由を知っていて煽った。自己嫌悪して当然 #SMTLS読解
 
みどりはたまこに自分もたまこを見ていたことを知っていて欲しかった。彼女はひなこの死で止まった3人の時間の中で、いつまでも橋の「こちら側」にいたい人 #SMTLS読解
 
雲や水面の「反射」 #SMTLS読解
 
史織はどんどん先にいってしまう強い人。たまこにポジティブな影響を与えている #SMTLS読解
 
おぼろげにもち蔵への恋愛感情を持ち始めたことで、知っているはずの商店街の人達の別の面が見えてくる。彼女と商店街との関係性が変わっていく #SMTLS読解
 
一番身近な恋の手本が両親。TVシリーズ9話で両親の馴れ初めが描かれている。作中でも簡単な説明 #SMTLS読解
 
たまこが恋愛を自覚していく一方で、もち蔵は停滞してしまった今の場所から次の場所に行こうと思いはじめる。「MARS」は火星=♂=大人の男性の暗喩 #SMTLS読解

ここで背中を押すのがマスターというのがさすがというか #SMTLS読解

もち蔵が告白の時よりも先の飛び石に進むのは、彼の成長への志向 #SMTLS読解

もち蔵を頼もしく思うたまこ。この事件は恋心を決定的にする。だが、もち蔵は次の場所に行くことを心に決めはじめている #SMTLS読解

いうまでもなくこの事件も「死」を意識させる要素 #SMTLS読解

豆大はもち蔵が羽ばたくことを応援しつつも、商店街に繋き止める。男としての理解と娘の父親としてのアンビバレンツ #SMTLS読解
 
もち蔵からのショックな告白も、画面右から左へ、上手から下手へ伝えられている #SMTLS読解
 
以上のシークエンス、福が倒れた原因は餅。結果的には、この事件でたまこはもち蔵に頼もしさを感じ、同時に彼が自分から去ろうとしていることを認識したことになる #SMTLS読解
 
してみると、福の喉に詰まった餅はひなこの化身で、ひなこからの助け舟と見るべきかもしれない #SMTLS読解
 
余談。たまこの部屋にあるこけし、シーサー、ひょうたんはいずれも魔除け #SMTLS読解
 
中庭。どこにも行けない行き止まり感の演出。飛躍する空の方向に出口があるという #SMTLS読解
 
ここでたまこの恋心をはっきり自覚させるのは、一歩先にいっている史織さん。当然の役回り #SMTLS読解
 
史織の背景が広い空というのも演出 #SMTLS読解

チャイムによって始まり、終わる。たまこの恋愛の始まり。みどりの片思いの終わり #SMTLS読解
 
結局、たまこの餅への執着をすりこんだのももち蔵だったという新事実 #SMTLS読解
 
返事。思いを返すこと。それがここで重要な課題としてでてくる。ここまでさんざん反射とか照り返しとかが刷り込まれてきました #SMTLS読解
 
たまこ、もち蔵、みどりの時間を進めたのはもち蔵。たまこも恋愛を自覚して、モラトリアムにいるのはもう彼女だけ #SMTLS読解
 
餅を喉に詰まらせる演技は福の事件の後のたまこには毒。死はモラトリアム。そうまでして自分に意識を向けさせたいみどりの未練、悪しき停滞をかんなは見透かしている #SMTLS読解
 
余談だがミシンとカメラの組み合わせは映写機を意味している。フィルムをミリ秒単位でコマ送りする機構は、ミシンのカム機構を応用して作られた… #SMTLS読解
 
一方でもち蔵の部屋には録画カメラがある。つまりもち蔵は録画機、たまこは映写機というわけで、ふたりはペアの存在という暗喩 #SMTLS読解
 
カセットテープが「反転」する。思いを返すことの大切さが描かれ、少女時代のひなこがたまこの背中を押す。ひなこからの最後の助力 #SMTLS読解

古来言われるように、母と娘は成長に伴って女友達になる。たまこは亡母との関係性を「目指すべき存在」から「同世代の恋する女性同士」として再確立する #SMTLS読解
 
つまり本作は恋愛譚であると同時に、大人になる娘が母との関係性を再構築する物語でもある。その作中でのストーリーアークが広く理解されて欲しいと思う #SMTLS読解
 
迷いがなくなったたまこはバトンをキャッチできる。心の重心を意識できる確信を得ている=自分自身を確立したということ。乳離れでもある #SMTLS読解

みどりはたまこの変化、成長を見て自分の執着を振り払う #SMTLS読解
  
みどりは教室に入らず、入口で踏みとどまる。たまこの世界に踏み込まず、その背中を押す #SMTLS読解
 
フィルムの乱れはみどりのイメージ。散っていく3つの綿毛=3人は彼女の願望。それが是正されて、去るのは自分だけという現実、正しい時間が受容される #SMTLS読解
 
たまこはOPの対岸を走っている。たまこも次の世界にいったということ #SMTLS読解

かんなは今のみどりの変化を肯定し、よって彼女を救う #SMTLS読解
 
風は綿毛を別の場所へ運ぶ。次の世界への「橋」 #SMTLS読解
 
思いを伝えるのは糸電話でなければならない。それによって本作は携帯電話の時代に古典的な「出会えないもどかしさ」の物語を成立させている #SMTLS読解
 
みどりはここでもかんなの背中を押している。これが彼女の成長なのだろう。それはひなこの立ち位置と同じ #SMTLS読解
 
かんなは高いところを克服する。木=風=「橋」。彼女が次の世界に渡るという意味。成長の象徴 #SMTLS読解

後ろの新幹線の窓ガラスはフィルム=映画のよう。新幹線はもち蔵にとっては東京への「橋」 #SMTLS読解

だが、たまこは今は彼にこの橋を渡らせない。次の場所にいく前に伝えるべきことがある。もち蔵がそうしたように #SMTLS読解
 
流れる車両番号がラストシーンへのタイムカウントになっているw #SMTLS読解
 
初めて左から右へ大切な気持ちが伝達される。つまりここで初めて二人の間の気持ちが左右の「往復」を完遂し、物語が完成する #SMTLS読解
 
【ED1-1】もち蔵が撮影したフィルムという設定。偽物のリンゴはたまこの元へはいかない。たまこのもとにいくのは本物のリンゴ #SMTLS読解

【ED1-2】タンポポの花は「真心の愛」綿毛は「離別」だが最後の2輪のタンポポは花のみなので決して綿毛にならない。つまり永遠に「離別」しない。ハッピーエンド #SMTLS読解

【ED2-1】タンポポの綿毛は散っていった=未来に向かう彼女たちを重ねられる #SMTLS読解

【ED2-2】朝の空に最後まで残って煌く星は明けの明星=金星で、惑星記号は「♀」。たまこたちがなっていく大人の女性の暗喩。つまり、こうしてもち蔵は火星=大人の男に、たまこは金星=大人の女になっていく…ということを描いた物語 #SMTLS読解

【おしまい】以上。超記憶術版「たまこラブストーリー」読解/解説でした #SMTLS読解
 

以上なりw
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【たまラブ】 「タンポポ」を補助線にした読解について…とその他(笑)

唐突に、ひさびさの更新ですが、過日、お台場で久々に「たまこラブストーリー」を観劇できたので、関連する小記事を書いておきます
表向きは(笑)いつもの寓意考察で、今回はタンポポです
タンポポについては過去大雑把に触れているのですが、ちゃんと解釈してなかったなと思い…整理してみると、作品を読む上でちょっと補助線になるアイコンだったなと。そんなところでまとめてみます

■ タンポポの花言葉は「真心の愛」と「離別」

タンポポは花言葉が形態によって異なっていて、花=「真心の愛」。綿毛=「離別」です
前者は花を使った恋占いから、後者は散っていく様に由来するらしいです。わかりやすいw

タンポポが登場する場面ですが、ざっくりいうと、作中には以下のように登場します
 1)たまこら女子4人が卒業後の進路を語る場面(4輪の花アップ、道端の花)
 2)体育館でのたまこみどりの会話の場面(3輪の花)
 3)マーチング大会の後(花と散っていく綿毛)
 4)教室でのたまことみどりの会話の場面(3つの綿毛→1つの綿毛)
 5)ED1(2輪の花)
 6)ED2(1つの綿毛)

というわけで、場面を追って寓意を見ていきますが、自分は1)と3)。2)、4)、5)がそれぞれセットになっていると考えています

■ 友人間の関係性の象徴

最初に、進路を語る場面に執拗に(笑)登場するので、タンポポがこの会話と強く関係づけられているのは自ずと察せられると思います。自然に解釈すれば、タンポポは「彼女らは真心で繋がってるが、卒業で散り散りになる関係である」ことを示唆している、わけですね

ここでの4人の会話は卒業後=別れを見据えた会話で、このシーンのタンポポは花(=彼女たちの真心のつながり)ではあるけど、後に綿毛になり散り散りになっていくことを暗喩していると察せられるわけです
この解釈は、マーチング大会の後のシーンの綿毛が散っていく場面によって補強されていいます
そもそもマーチング大会出場は、そもそも3年生の思い出作りであることを踏まえれば、「映画けいおん!」での梓に送る歌作りと同様、次の世界に行くためにかんならが自ら自分たちに課した卒業課題です。それを終えると綿毛が散っていくというのは、全くこの解釈に合致するわけです

■ みどりの心情を理解する小道具

前項をタンポポの寓意の基本理解として、体育館のシーンと最後の教室での、たまことみどりの会話に登場する3輪のタンポポ、3つの綿毛と1つの綿毛の意味を読み解きます
結論から言うと、たまことみどりの会話に登場するこれらのタンポポは、みどりの心情を描写する上での補助線と思われます

体育館の場面ですが、ここではたまこのみどりへの告白に、3輪のタンポポが挿入されます
シチュエーションから言って、この3輪はもち蔵、たまこ、みどりを象徴すると見るのが自然でしょう。一方で、前項の通りタンポポが友人たちの関係性の象徴であるなら、このことは、この3人もまた、一般的な友人たちの関係性にすぎない=卒業したら散り散りになっていく、ということを暗喩しています
ですがこれは、たまこの告白を聞くみどりの願望と読むこともできます。表面的な描写からも、この時点のみどりは、3人がずっとただのタンポポ=ただの友人でいればいいと思っているのです

ですがその後、紆余曲折あって、3人の関係性は変化へ踏み出し、教室の会話の場面で、とうとうみどりはたまこの背中を押します
みどりが嘘をついた直後に、空に舞う3つの綿毛が挿入され、まこがもち蔵を追って教室を去ると、空に舞う綿毛が1つのシーンが入ります(画面乱れについては過去の記事で言及済みなので省略w)
この演出は、3人の関係が変わらないまま綿毛になって散る、という嘘=それまでのみどりの願望(たまこへの執着)が消えて、去っていく綿毛はひとつだけ(=自分だけ)であることを受け入れた…つまり、みどりが3人の関係性の変化を受け入れたことを暗喩している、と読むことができるでしょう
 
以上のことは、物語を追いかけていれば、タンポポの描写を抜きにしても概ね推察、理解できることなので、タンポポはあくまで補助線となる小道具として挿入されているのでしょう
 
■ 綿毛にならない2輪の花

では、残る2輪のタンポポは? というと、ED前半のフィルムに寄り添う2輪のタンポポの花が登場しています
これは見たまま、たまこともち蔵を示唆すると解釈するのが自然でしょう

ただし、このタンポポは作中に登場する他のタンポポ、普通のタンポポとは大きく違っていて、葉も茎もありません
摘み取られたタンポポの花。花だけです。だからこの2輪は永久に綿毛になることはありません
転じて、たまこともち蔵のふたりは「真心の愛」のみで、ずっと「離別」はしない、という意味になるのだろうと思います

■ 最後の綿毛

EDの最後に出てくるひとつの綿毛はどうとでも解釈できるし、解釈の余地をもたせたものだと思います
みどりを投影するひともいるでしょうし、たまこでももち蔵でも、なんでもいいんじゃないでしょうか(笑)
こういうものに解釈を当てはめるのは野暮というものかと

なんにせよ、今いるここから次の場所に行く、という「変化」を肯定しているアイコンだろうと思います
今回はそんなところで

■ どっちかっつーとこちらが本旨

本作は自分の中ではわりとほとんどすべてのアイコンの意味は了解されているのだけど、あんまりじっくり文章化はしてませんでした。でも、最近ちょっとストレスが溜まってきまして…

実のところ、本作を語る上で自分が最も強調しておきたいことは

本作は、たまこともち蔵の関係性を表の物語とするなら
たまことひなこの関係性の再構築が裏の物語なんだよ!

ってことです。これはホント大声でいいたいんですよ。なぜなら

本作は、餅=母親だったたまこが
餅=もち蔵に認識を改める物語だから!

なんだから、もち蔵との関係性が変わるだけで済むわけがないだろう!
じゃあ母親との関係はどうなっちゃうんだよ?って突っ込むだろ!


本作は、たまことひなこの関係性も再構築させてるんだよ!
たまこの中でひなこが蘇る話なんだよ!
  

そもそもたまこがTVシリーズであんな超然としてたのは、亡母の代役だったからで
本作はその認識が壊れる話なわけで
 
ぶっちゃけ本作は
母を喪ってからのたまこの人生をやり直させて
さらにその先にいくんだよ!
 
……ってことをこの作品を見る度に思うんですよ。というか自分はそうとしか見れないw
ただの恋愛譚として、ひなこさんをスルーするのは、自分は本作を論じる上で片手落ちだと思ってる
 
というわけで、ひなこさんが本作のどこに登場し(本人だけではない。メタのイコンとして)、たまこの恋愛に対してどういう活躍をし、最終的にたまことどういう関係になるのか、ということまで俯瞰して見るべき作品だと思います!(ふんす!
 
以上w

「たまラブ」のフィルム演出の意図について~「映画けいおん!」の写真を踏まえて~

ずいぶん以前から、山田監督の「映画けいおん!」と「たまラブ」の構造、ギミックに見られる相似性、近似性について思索することが度々あり、メモ代わりにここに徒然とまとめつつ、それを踏まえて、たまラブのフィルム調演出の意味、意図を解き明かしてみます

この原文、もう1年くらい寝かしてたけどまあいいよねそろそろw

■疑問だったフィルム調演出の意味

自分が「たまこラブストーリー」の初見で最初に抱いた疑問のひとつが「なぜ回想シーンがフィルム調の演出だったのか?」でした

回想シーンがフィルムとして描かれる場面はふたつあります
ひとつは冒頭の、糸電話の穴から覗くようにして、たまこともち蔵の子供の頃からの関係性が描かれるシーン。もうひとつは飛び石でのたまこともち蔵がひなこを思い出すシーンです

本作において「フィルムという記号」はOPや映像ファイルのアイコンなど様々なシーンに登場し、パンフレットにもデザインのモチーフとして用いられています。フィルムは単純に、映像、映画と関連付けられますし、物語においても、映画研究会のもち蔵が将来の進路を映像関係に選ぶことが、たまこともち蔵の関係を変える大きな要因になっていますから、ぱっと見、これらの演出はなんとなく「そういうこと」なんだろうと解釈されます

…が、自分は直感的にも、突き詰めて考えてみても、正直、その真意がはかりかねる部分がありました
まずあったのが、過去の回想シーンでフィルム調演出をする「ルール」「規則性」がわからないということです

実は回想シーンの中で、フィルム調の演出は上記のふたつの場面しかありません
ですが、作中の回想シーンは上記以外にもいくつかあります
まず、女子4人でお弁当を食べるとき、昔のたまこともち蔵の絡みや、たまこがおもちが喋ったことを思い出すシーン。次に、その後、たまこが教室から空を見上げ、幼稚園時代の自分とひなこのことを思い出すシーン。この後、たまこがかんなの言葉を思い出すシーン。たまこがもち蔵の部屋の窓を見上げてもち蔵を思い出すシーン。体育館でたまことみどりが話すシーケンスで、ひなこの葬式を回想するシーン(主体はたまこ、みどり)。続くセリフの中でたまこがもち蔵のことを思い出すシーン。教室で歌を録音するひなこのシーン…これらは全て、フィルム調ではありません
まずこれがわからない。回想シーン=フィルム調というわけではないのです

ではフィルム調だった回想の回想主体は誰だったでしょう? 冒頭の方は、実はもち蔵の声が被っていないので、観客に対する作り手の演出です(流れとしてはもち蔵の認識、と解釈すべきかもしれませんが)
飛び石のシーンでの回想は、これはたまこの回想、続いてもち蔵の回想、このふたつが共にフィルム調です
つまり、フィルム調の回想をする主体者もたまこともち蔵のふたりと冒頭の演出で、一貫性がない。特にわからないのは映像が好きでフィルムと縁のあるもち蔵のみが主体者ではなかったことで、なぜか映像とは無関係なたまこもフィルム調の回想をしていたことです。しかしたまこは上記の通り、その後、普通の回想もしているのです

これはいったいどういうことなのか?
上記だけ回想をフィルム調にした演出に込められた意図はなんだったのか?

■フィルムを意識した演出はさらにふたつ

ですが、「回想」というファクターを抜いて「フィルムを意識した演出」という切り口で見ると、さらにふたつの場面が加わります
ひとつは、最後の日の教室のシーン。みどりがたまこに話しかける会話の中で、イメージ映像なのか、たんぽぽの3つの綿毛が空に舞い、みどりの嘘にたまこが教室を飛び出していった後、みどりの後にひとつの綿毛が空に待っている映像が入りますが、この直前に「フィルムのような映像の乱れ」があります

そして、EDがやはりフィルム調の映像になっていますが、こちらは監督が「もち蔵が撮影したフィルムである」という裏設定を明かしているので、今回の記事ではひとまず言及を避けておいておきます

ただ、これらを上記した回想シーン2つと合わせてみても、やはり演出意図がまるでわからない、というのが正直なところで、自分はこの疑問の追求を、長いこと保留してきました

ですが、「映画けいおん!」と「たまこラブストーリー」の演出を比較して見るようになってから、ひとつの糸口がつかめ、これらの疑問に一つの仮説が持てるようになりました
以下はそういう話です

■「映画けいおん!」の"写真"と「たまラブ」の"フィルム"

山田監督のふたつの映画作品には、いくつかの共通したギミック、構造が確認できます
大雑把にまとめるとこんなかんじです

ギミック・構造映画けいおん!たまこラブストーリー
1)描かれる価値下級生への友愛幼なじみとの恋愛
2)克服する障害生きる時間の差心理的・物理的距離
3)克服の方法共有体験と歌死者と歌
4)未来の象徴飛行機雲(空)星空(宇宙)
5)異界ロンドン(過去)川(冥界)
6)共同体HTT/軽音部/3-2/高校家族/商店街
7)保護者さわ子/両親/とみ親/商店街
8)橋を渡る架ける
9)価値の伝達写真と歌映像(フィルム)と歌
 
これをひとつひとつ突き詰めていくとそれはそれで記事がいくつかかけるのですが(特に「歌」が作中で果たしている重要性は際立っていますが)、今は9)のひとつだけ。けいおんとたまラブには「写真(ピクチャー)」と「映像(フィルム、モーションピクチャー)」というよく似た要素があるということです

このふたつはそれぞれ、観客に対して描かれた、作中で最も重要な価値を伝達する手段として使われています
けいおんにおいては写真は冒頭から登場し、作中では先輩たちが梓をカメラで撮影してもいます(ただし唯は例外。過去に、教室ライブでの最後の唯の瞬きが「カメラのシャッター」であり、唯だけは唯自身が梓に対してカメラである、という指摘をしました)そして、ラストに部室で唯が梓に渡すものが写真です
一方、たまラブではもち蔵の想いが込められているのが彼の映像、フィルムであって、それはEDで登場します。そして上記の通り、フィルム調の演出が、ふたりの思い出を描写してもいます

しかしここで当然に、なぜ「けいおん!」では「写真」で、「たまラブ」では「映像(フィルム)」だったのか?、という疑問が出てきます

■切り取られた「今」と、生き続ける「過去」

ここで写真とフィルム…映像(動画)の違いについておさらいしておきます
映像の原理はパラパラ漫画と同じです。一つ一つの像は止まった絵ですが、これを少しづつ変えた像を連続瞬間的に見ると、「モーションピクチャー」と言われる通り、人間の脳にはアニメーションして見えます。ちなみにアニメーションの「ani」の語源はラテン語の霊魂、命という意味の「anima」です。アニメーションとは命を吹き込むことなわけです

余談で、これは以前も記事で言及したことですが、たまラブには、「写真」と「フィルム」をつなぐ小道具がTVシリーズの「たまこまーけっと」から登場しています。それはたまこの部屋の棚にある「一眼レフカメラ」と「ミシン」という奇妙な取り合わせです。これはぼーっと見ていると気づきませんが、しっかり映画にも登場しています
なぜ「カメラとミシン」はちょっとググればわかりますが、これが意味するものはおそらく「映写機」です。映写機の技術は、ミシンのダダダと断続的に糸送りするカムの技術をカメラに応用することで発明されたものだからです。これは監督が当然に知っていることでしょうから、「カメラとミシン」には「映写機」という意味があると考えてよいでしょう。ちなみに(TVシリーズより)もち蔵の部屋の棚には撮影用ハンドカメラが置かれています(これはもち蔵とたまこが対である、という意味に解釈していいと思います。ちなみにデジタル以前の時代には撮影用カメラと映写用の映写機は別の機械でした)


で、そんな予備知識を踏まえつつ、なぜけいおんでは「ピクチャー」でたまラブ(たまこま)は「モーションピクチャー」だったのか。比較して考えると、これはおそらく、作中で果たす役割の違いから来ていると考えられます

けいおんは、唯たちが卒業、大学という近未来に向かっていく物語でした。そこで写真は、今この瞬間を切り取って、現在ある梓との絆という価値を未来に伝える手段として機能しています。つまり、今の価値を未来の自分や仲間に伝えていくための手段なわけです

一方、たまラブのフィルム的映像演出も、大意としてはけいおんの写真と同じく、過去の価値を現在に、更に未来に持っていくための手段であろうと考えられます。でもその場にはけいおんではなかった、特別な存在がいることに気づきます
そう、過去で時間の止まっている存在―つまり、故人のひなこです
ここで、それがフィルムであることの意味、つまり止まった絵をつなぎあわせてアニメーションさせることの意味を考えると、ひとつの推察が浮かび上がるわけです

回想がフィルム調なのは「時間の止まった存在を、記憶の保持者が無理に生かし続けている」という意味ではないか?

■フィルム="アニメイト・デッド"の呪縛

作中で冒頭の回想シーンを除き、主としてひなこを記憶している主体はたまこともち蔵です。特に飛び石のシーンではふたりともフィルム調として記憶のひなこを登場させています。つまり主人公ふたりが、死んだひなこを心の中でアニメイトさせて、生き続けさせていたと考えられます
ですが飛び石での告白のシーンの後、このような回想は消えます。ふたりは、死んだひなこをアニメイトさせることをやめたわけです

ここで思い当たることがひとつあります
それは、ひなこを投影していた「お餅石」が「川に落ちた」ことです
過去の記事でも、あの演出は「ふたりの間にいたひなこという存在、呪縛が消えた象徴である」ということを度々指摘してきましたし、「ひなこの死がふたりの恋愛の障害である」と指摘してきました

なぜなら、ひなこが早逝したために、たまこは家族内でひなこの代役を演じ、また彼女自身もそれを目指すようになった。それが彼女を17歳らしからぬメンタリティ、大人に変えていたわけです。もち蔵もまた、たまこのその意志を知るからこそ踏み込めなかった。あの飛び石のシーンで、(少なくともふたりにとっては)ひなこが憑依していたであろう「お餅石」が水中に没するというのは、彼女がもう一度死んでふたりの間から消えた、という寓意と解釈する他なく、まさにその直後、もち蔵はたまこに告白しているわけです

これをさらに一歩進めて考えると、お餅=ひなこ、というたまこのイメージ、思い込みは故人のひなこの偶像化なわけで、実はそれ自体が彼女の中のひなこが本当のひなこではなくなっている、ということなのかもしれません。偶像としてのひなこが水中に没する、とは、ふたりの中の思い込みが消える、ということでもあったのでしょう

これを敷衍すると、あの場面でふたりにとって、偶像としてのひなこがもう一度消えたから、それ以後のふたりの回想の中で、ひなこはフィルム調ではなくなった、と理解することができ、それはふたりにとって、ひなこは無理に生かしている存在ではなくなった、ということだと解釈されます
それはひとことで言い換えるなら、ふたりはひなこの死にとらわれることをやめた、わけです

要するに、あの「フィルム調の演出」の意味は「ひなこの死のトラウマ」「呪縛」だったといえます
たまこともち蔵が「心の中で死者を無理やり生かし続けている」=「ひなこの死を背負い続けている」という"呪縛"そのもの。心にのしかかり、あらゆることに影を落とし続けてきたひなこの死の重さ。それがあの「フィルム調の記憶」だったのでしょう。冒頭の演出がフィルム調だったのも、この物語がふたりがその呪縛から解放される物語だったからだと理解でき、その演出が消えた=「ふたりがひなこの死という心の枷、呪縛を解いた」という意味で、これは物語の流れとも矛盾なく合致します

すると、その後のたまこの回想でのひなこがフィルム調でないということは、今のたまこと共に生きている存在として生き返ったということでしょう。過去の記事で、たまことひなこの関係性が「母と娘」から「恋する同世代の女同士」に変わっている、たまラブは母と娘の関係性の変化の物語であるという指摘をしましたが、それとも合致して、それを補強する演出だったと理解できます。それはたまこが(親の死に囚われた)子供ではなくなった、ということでもあるわけです
 
■みどりの時間

すると、みどりのイメージするシーンで、一瞬画像が乱れて舞い上がるたんぽぽの綿毛がみっつからひとつになる、という演出も、たまこともち蔵ほどでないにせよ、間接的にひなこの死の影響を受けていた彼女のたまこへの拘り、ひなこへの憧れが解呪されたという象徴であり、彼女の心の中の時間、状態が適正に流れ始めた、という意味に理解するべきかと思われます

3つの綿毛は散り散りになる3人をイメージしていたのでしょうし、それが彼女の願望であったのかもしれませんが、結局、現在のたまこともち蔵に拘っている状態から離れて、ひとりで飛び立っていくべきなのだ、ということが正しく受容された、ということなのでしょう

■浮かび上がるテーゼとその仮託

こうしてけいおんとたまラブを比較してみると、ひとつの事に気づきます

作中で示される価値。下級生との絆、仲間との友情、あるいは忘れえぬ故人との絆、そして愛する人への思い。それらの価値が時間を越える手段が、写真であり、フィルムでした
さらに言えば、両作に登場する「歌」もそうです

これらの小道具、ギミックに共通して感じ取れるのは、山田監督が「時間」を意識している、ということです。彼女は自作に通底するテーゼとして「価値」と「時間」との関係性を意識している。そう考えざるをえません

いかなる価値も時間に摩耗していく、それが世の常である。だが作中で提示した価値には普遍性を与え、時間をどうにか克服してほしい。そのためにはせめて作中に「時間を克服する術」を提示しなければならない。そういう「救い」を与えてこそ「"永遠に続く幸福な物語"として完成するのだ」―と。自分はそんな意志を感じます。それはあるいは、祈りのようなものなのかもしれませんが…
つまり「価値が時間を克服すること」こそ、彼女が見据えていた核心なのだと思えます

「写真」「フィルム」「歌(テープ)」の三点は山田監督の履歴や趣向を踏まえても、彼女の人生を支えてきた、一番大切なものでしょう。彼女はそれらにこそ、作品で一番大切な願い、祈り、あるいは己の信念を託しているのではないか、そう思えてなりません

テーマ : たまこラブストーリー
ジャンル : アニメ・コミック

【WOWOW】 20150429「たまこラブストーリー」感想ツイートまとめ

以下は、昨日WOWOWで初めて放送された「たまこラブストーリー」の感想ツイートの主要部分の抜粋をまとめたものです
現時点での自分の読解上の重要な部分に絞ってツイートしました。要するに本作は母と娘の物語である、ということが指摘できる、ということです

この作品については、たまこともち蔵、たまことみどり、みどりともち蔵、かんなとみどりといった主要キャラクターの関係性について切る意見は多く見られましたが、個人的にはあまり登場していないひなこが本作について全体的に干渉し、存在感を持っているということ、また、ひなこは本作において、また北白川たまこという人間について語る上で非常に重要な人物で、たまこの恋愛によって、それまでのひなことたまこの関係性が変化していく物語である、という指摘がされるべきと思います。

以下抜粋

たまラブについては、簡単に私的な作品読解などやりながらつらつらツイートします #tamakolovestory #WOWOW

【前説1】本作は「たまこともち蔵の恋愛譚」で、2人の関係性の変化を描くものなんですが、自分はこの作品を読み解く補助線として「たまことひなこの関係性の変化」を指摘します #tamakolovestory #WOWOW

【前説2】死者であり母親であるひなこの存在はこの物語の全般に影を落としていて、本作には「死」がちらついています

【前説3】ドストエフスキー曰く「娘の恋は母にとっての娘の死である」飛び石のシーンでのたまこの水没はそれまでの彼女の死と新生と見立てることが出来ます。たまこが裸眼になるのもその後二輪刺しが行われるのも同じです #tamakolovestory #WOWOW

【前説4】恋愛はたまこに「亡母の代役」ではなく「大人の彼女自身」になることを要求し、彼女が亡母の後押しを得て、母と対等なひとりの女性として成長する姿を本作は描きます。つまり「男女の恋愛譚」であり「母娘の死と新生の物語」でもあります #tamakolovestory #WOWOW

メタファー抜粋。「川」時。「水」死/冥府。「引力/磁力」「りんご」「風船」思い。「宇宙」未知の世界=未来=大人=恋愛。「おもち石/お餅」ひなこ。「ずぶ濡れ」「裸眼」生誕=すでる。「二輪差し」死者ふたり=ひなことそれまでのたまこ  #tamakolovestory #WOWOW

「MARS」火星=♂=大人の男性。「明けの明星」=金星=♀=大人の女性。「糸電話」「飛び石/橋」「階」「風」「テープ」「新幹線/鉄道」これらは今いる場所から別の場所に人や思いを橋渡しするもの  #tamakolovestory #WOWOW

【告白のシーン】

もちはひなこのメタファー。ふたりはひなこのことを口にしていないが、共に同じく彼女を連想している。もち=ひなこの死こそ、ふたりの障害。それを象徴する石が水中に姿を消して、告白する #tamakolovestory #WOWOW

たまこもここで一度擬死する。ずぶ濡れでコンタクトレンズを失い裸眼になり、もちについても新たな刷り込みが行われる。母親の代役になる呪縛に囚われていた彼女が生まれ変わるということ #tamakolovestory #WOWOW

それまで、もち=ひなこであったものが、もち=もち蔵に刷り込みが変わっている #tamakolovestory #WOWOW

もち蔵との関係性の変化であると同時に、母親との関係性の変化でもある、ということが指摘されるべき #tamakolovestory #WOWOW

【コンタクトレンズを付け直す朝→体育館のシーン】

水に落ちてからたまこは生き直しているといえるので、コンタクトレンズを付け直したのは(成長が)追いついたということ。この日に休ませてもらえるというのは、彼女がそれまでの母親の代役から名実共に解放されたということ #tamakolovestory #WOWOW

で、ようやく彼女にとって、もち蔵の気持ちを受け止められるかが命題になる #tamakolovestory #WOWOW

【母のカセットテープの歌を聞くシーン】

ここでのひなこは母親ではなく、恋をする同世代の少女で、ここでたまことひなこの関係性は母と娘から、女性同士になる #tamakolovestory #WOWOW


つまりこの作品は娘の恋愛とそれによる自立によって母と娘の関係性が女性同士に変わるという古典的なテーマをちゃんと描いている #tamakolovestory #WOWOW

糸電話はふたりの間に架かる橋。本作は橋を架ける話といえる。監督談の通り、ラブストーリーはここからはじまるw #tamakolovestory #WOWOW

たまラブに関しては、ひなこが全体の物語に影を落としていて、話を動かしているという指摘がもっとあるべき。もち蔵の告白、福の入院、カセットテープと、要点は全部彼女が暗躍?している。くどいようだがこれは母と娘の物語でもある  #tamakolovestory #WOWOW

以上

■ 補足説明という読解解説本文 (0430) ■

以下は私見とお断りしつつ

この作品を論じる上で、ひなこの存在がクローズアップされていない現状は、個人的には大変不満があります
それは、たまこともち蔵の恋愛を語る上で、実はひなこの存在―正確には、彼女の死―は長らく横たわっていた障害だったと指摘できるからであり、この障害が取り除かれるところからふたりの物語は始まっているからです。そしてそうである以上は、ひなこの死、ひなこの存在がどうにか処理されなければ、この物語はハッピーエンドとならないわけです

ひなこが死んでから、たまこは自分の家族におけるポジションを母親の代役と設定していて、彼女自身、母親のようになることを理想としています。前者はムックなどで監督が指摘したことで、後者はまさに飛び石のシーンでたまこがもち蔵に語るところです。TVシリーズで彼女がある意味非人間的なまでに超然とし、家庭の中で要としてあり、女子高生らしい初々しさを見せなかったのは、つまりひなこの死を経た結果といえます
そして、たまこが母親の代役であろうとするがゆえに、もち蔵もたまこに近づけなかった。もち蔵のシャイネスだけが告白できなかった理由ではなく、たまこが母の死によってどうあろうとしているかを知っているからこそ、彼は告白できなかった。それはまさにあの飛び石の場面でもち蔵がひなこを回想し、その後一度告白を断念するのは、つまりそういうことでしょう。彼は亡母の影を追い続けるたまこに告白することの重さを知っていたのだと思います

過去の記事でも指摘した通り、橋は民俗学的に「ふたつの世界の境界/淡い」という特殊な空間であり、作劇上も出会いや別れ、生と死、次のステージや、異世界とこちらの世界の境界など、いくつかの象徴的な意味を与えられる舞台装置です
あの飛び石=橋もそうであり、ふたりは死者であるひなこを回想しますが、それは概念的にふたりはひなこと邂逅しているといっていいわけです。たまこはもちにひなこを投影していますから、ひなこはたまこが手にするもち石に降霊しているといえるのですが、その石がひょんな事で水の中に消える。これはひなこがふたりの前から姿を消した、といえるわけです。だからそこでもち蔵は告白できた。見方を変えれば、ここでひなこはここでもち蔵の告白に助力したといえます

続いて、たまこがひなこ=もち石が落ちた水の中に水没します。これは彼女もひなこと同じ死の世界にいったメタファーとなります(ちなみに彼女はかなづちで、水の中で目を開けることもできないはずです。単にびっくりしている、というのは表層的な意味で、彼女は"死んだ"わけです)。その後、水から上がった彼女が「それまでの口調を忘れる」のも、「ずぶ濡れ」で実家に現れるのも(生まれたての赤ん坊は羊水でずぶ濡れ)、裸眼になっているのも、たまこが「誕生しなおした」「生まれ変わった」メタファーと読み取れます。また、その翌日、月が隠れて雨が降るシーン。画面左手前に「万両」がアップで登場し、メガネ姿のたまこが縁側に佇んでいます。この万両という植物は、お正月に縁起物として備えられることで知られていますが、さてたまこの誕生日は何月何日だったでしょう? そう、12月31日でしたよね(笑) 万両がたまこの手前にあるのは、たまこが生まれ直した翌日のこと、という意味になるのです。たまこが足がもつれて転ぶのも、まだ生まれたてだからです。またこの後のシーンでさり気なく母に捧げている一輪挿しが二輪挿しになっていることにも気づきます。もう一輪は、それまでの彼女、水に落ちて"死んだ"北白川たまこに捧げられたもの、と読めます。どうでしょう?たまこはあの時一度死んだのだ、という暗喩は、軽く列挙するだけでも実に6つも出てくるのです。これらは、たまこがもち蔵の気持ちと向き合うには、彼女が母親の喪失の打撃から解き放たれ、転生する必要があったからこその演出なのだと思います。彼女はコンタクトレンズをつけない間、メガネをつけていますが、そのメガネ姿は彼女の少女時代と同じであるという指摘も出来ます。

だから、水に落ちた後のたまこは、急速に「母親を失って以後の人生を生き直している」といえます。だからこの間、彼女は昔の母親とのこと、もち蔵とのことをいろいろ回想し、周辺との関係性を見つめなおしていくわけです

彼女の転生が現実の17歳の彼女においつくのがコンタクトレンズを再びつける日で、この日、たまこは豆大からひなこが死んでから初めて、休んでいいと言い渡されます。これはたまこが今までのたまこ=母親が死んで以来、母親の代役を努めようとひたむきだった彼女から解放された象徴でもあります。彼女は17歳相応の普通の少女になったのです

ですから物語の順当として、ここで改めてきちんと、もち蔵の告白に向き合うことになります。それが体育館のシーンです。そしてようやくここから、たまこはもち蔵を異性としてちゃんと意識し始めますし、今まで気付かなかった、商店街の人たちの側面―夫婦などの関係に気づいて、認識を広げ、成長していきます。ですが一方で、もち蔵はあの飛び石で、告白した石の先にいってしまう。彼は彼の中の気持ちに区切りをつけて、自分の将来に向かおうとしてしまう。つまりピンチです

そこで福の入院事件が起こります。この事件の原因はなにかというと、これも「もち」です。穿った見方をすれば―というかおそらくこれはそうなんだと思うのですが、これももち=ひなこの助力だったと思うのです。この事件を通じて、たまこは無意識にもち蔵を頼り、もち蔵はたまこを放っておけず、たまこはもち蔵を頼もしいと思います。ふたりの関係が少し進展するわけです。しかし、あの病院の会話のシーンで、たまこは自分ともち蔵の関係が危機にあることを認識します

で、友人たちの助力を得て、たまこははっきり自分のもち蔵への恋愛感情を自覚します。しかしうまく告白できない。そこで最後にたまこの背中を押すのが、たまこと同世代だった頃にひなこが遺した肉声、ひなこ自身の恋愛への姿勢、態度だったわけです。これこそひなこの最後の助力です。それは同世代の恋する乙女同士として贈られたエールであり、ここでひなことたまこの関係は、母と娘ではなく、同じ「恋する女子同士」という独立した対等の関係として再構築をみるわけです(ちなみにたまこの友人たちは誰も「恋する女子」ではない(笑) 告白への返事はひなこだけができたエールというのがポイント)
そしてこの親離れ、子離れこそまさに、たまこにもち蔵の気持ちに応える勇気と確信を与え、告白を決意させる、という構成になっています

つまりこの作品は、たまこともち蔵の関係の変化を描いただけではなく、たまこの新生とひなこの関係の変化をその裏面として描いているわけです。ストーリー上の重要なポイントである、「もち蔵の告白」「福の入院」「たまこの決心」そのいずれにもひなこの存在が間接的にあり、相補的に作用していくことで物語が進展しているといえます
本作を単に、たまこともち蔵の話、たまこと友人たちともち蔵の話、たまこと友人たちと商店街ともち蔵の話、と理解するだけでは不十分であり、さらに死んでしまった者が関与していて、それによって世界が完成しているわけです。

「母と娘」というテーマは大変古典的で、また現在の問題でもあります。母と娘は、娘の成長に従って親子ではなく女同士に変化する、ということは多く指摘されてきました。本作でもそういう視点が踏襲されて作品が作られているといえるでしょう
 
しかしそれ以上に、ひなこの存在を重視したのは、山田監督がTVシリーズのたまこという人物を掘り下げた必然であり、それが彼女の人物像を理解する上での本質と位置づけたからだろうと思います
よってこの指摘は本作を理解する上での本質的指摘であろうと自負しています
 
(20150430 初稿)
(20150503 追補)

【たまこラブストーリー】 読解メモ 10

自分は今日も見てきたんですが、雑感をいくつか

■ ゾートロープ、キネトスコープ、シネマトグラフ

これは先日ツイートした憶測ですが…冒頭、もち蔵がたまこに投げる糸電話。回転してその穴からフィルム調の回想につながっていきますが、あのシーンの糸電話のカップは、モーションピクチャーの原理であるゾートロープ(語源に回転する円筒という意味がある)や極初期の映写機であるキネトスコープ(エジソンが発明した「覗き穴」から映像を見る機械)の暗喩で「映画」そのものへのオマージュなのではないかという指摘です。というのは、あの回想がフィルム調である理由がそのくらいしか考えられなかったから、なのですが…そもそもピンホール→カメラという連想があり、円筒が回転しているとなれば、それがもう映写機を寓意させるのは自然なことだと思います

また、たまこの部屋においてあるカメラとミシンという組み合わせなのですが、今までこれが何なのかよく分からなかったのですが、調べてみたらこれも、最初の映写機であるシネマトグラフの暗喩ではないか、と指摘できます
というのは、シネマトグラフの発明の最大のポイントは、光源の前でフィルムを一瞬(初期は1/16秒)止めてから次のフィルムへ送る仕組み(間欠送り)だったわけですが、シネマトグラフの発明者で写真業者だったリュミエール兄弟は、ミシンの布送りが針が下りる時に一瞬止まり、針が上がると布がわずかに送られることに着目し、これを実現している偏心カムを流用することで、フィルムを間欠送りにすることに成功したという逸話があります(このへんは、「ミシン、シネマトグラフ」でググると見つかると思います)
これを踏まえると、「カメラとミシン」という組み合わせからは「シネマトグラフ」という連想が出てくるのです

ただ…このカメラとミシンはTVシリーズでもたまこの部屋にあったものなので(8話、9話などで確認できます)、TVシリーズからそのような構想がない限りは、ただの偶然と見るべきなのかもしれません

■ 反射・投影について

これは前項とも関わってくるのですが、個人的に本作でとても気になるのは、ものが何かに反射して映っているシーンが非常に多いことです。体育館や学校の床にたまこたちの下半身が映っていたり、水面にたまこともち蔵が映っていたり、ガラスに空やたまこが映っていたり…と、きれいな映像を作っているだけ、かもしれないのですが、自分は観客に「投影」「反射」ということを意識させようとしている(いや、監督の言い方をするなら「無意識に働きかけている」)のではないか?と思っています

ただ、それがどういう意味をもっているか、ということについては推測するしかありません。今のところ、個人的には、前項のようにカメラや映写機へのオマージュなのかもしれないと思っているのですが…たまこたちがやっている「だるまさんがころんだ」にしてもアニメーションの源流のようなものですし、もち蔵のもっている機関車も、リュミエール兄弟が世界で最初に撮った映画のうちの一本「列車の到着」が連想できます。この作品には「映画」というものへの監督のラブレターともいえるような情報、小ネタがところどころに散見されるように思っています。このへんはもうちょっと勉強して意識してみてみようと思ってます
 
■ ひなこの3度の助力

本作で非常に重要な役割を果たしているのはたまこの亡母、ひなこである、ということは、一度ちゃんと指摘しておこうと思うので指摘しておきますw
以下の一部は、過去の記事にも書いたことではありますが…

まずひなこは、飛び石=橋の上でたまこともち蔵によって回想されますが、このシーンからは、ふたりの間にはひなこの存在が決定的に重く横たわっていることが指摘されるべきです

この場面で、ふたりは会話の上では別にひなこのことを口にしていません。たまこは「白くて、いい匂いがして…」と滔々と「餅」について語っただけです。ですがたまこは餅のことを話しながらひなこのことを思い出し、それを聞いているもち蔵もひなこのことを思います。つまり、たまこは餅にひなこを仮託し、亡母への行き場のない愛情と執着をそのまま餅への執着にしてしまった。そしてそのことをもち蔵もよくわかっているわけです

冒頭の糸電話の穴を覗きこむシーンで、ふたりの赤ん坊時代から現在に至るまでがフィルム調で回想・説明されるわけですが、ここからもいくつかのことが読み取れます
ひなこが死んだ後、糸電話をもち蔵がたまこに差し出します。そのもち蔵には道子がついていますが、この糸電話はTV12話で語られたように、夜遅くまで窓越しにもち蔵と話していたら豆大に叱られたたまこのために道子が作ってあげたものです。そして、糸電話を持ったふたりの間に色とりどりの風船が舞い上がるシーンが入り、その後、今度は家の仕事のため、餅のトレーをもったたまこをもち蔵が助けるシーンが入り、たまこがもち蔵に制服姿を見せる(高校入学当時?)シーンが入ります
たまこはひなこが死んだ後、その痛みを埋めるためにもち蔵とのコミュニケートを求めた時期があったのでしょう。それによって、いろいろな思いが幼いふたりの間に流れた時期があったのも多分間違いない。だけどその後、たまこは家の手伝いをするようになって、たまこが自分の存在意義を亡母の代役に求めるようになったことで、ふたりの間が進展しなくなった…恐らく。それが現状なわけです

つまり、ふたりが発展しなかった理由は、突き詰めればひなこの死なのだと考えられます。ひなこの死という重石があるからこそ、もち蔵は母親であろうとするたまこに踏み込めなかったし、たまこは母親であろうとするが故に誰かを意識することもなく、結果としてもち蔵を踏み込ませなかった
ふたりの間にはひなこの存在=ひなこの死が障害としてある、ということが、あの飛び石の上の回想が本当に意味しているところだろうと思うわけです

この膠着状態を打破するところから「ラブストーリー」が始まるわけですが…ここで自分が思うに、ひなこがもち蔵に助け舟を出している。彼女の最初の助力です
一連のたまこの台詞のあと、川下から川上へと風が吹きますが、あの風はまさにひなこの風で、啓示なのではないかと思うわけです。あの後、ひなこが仮託された餅の石がたまこの手を離れて川の中に落ちるのは、つまりひなこがふたりの間から消えるということです。それこそまさにひなこの助力であって、まさにそのときにもち蔵が告白して、たまこが衝撃を受ける、というのは表面的な意味だけでなく、寓意として、その直前にたまこの意識から姿を消しているからこその衝撃、なのだと思います

二度目にひなこが助力したのは、恐らく福のトラブルです
福は餅を喉に詰まらせて病院に担ぎ込まれるわけですが…餅というのはたまこを通じてひなこが仮託されたものですから、これはひなこの仕業、という見方ができます…恐ろしい話ですがw
しかし、この事件があったその時はまさに、もち蔵があの飛び石―あの世と繋がっている橋の上で、たまこのことを吹っ切ろうとしていたわけですから、そんなもち蔵を見て、ひなこがたまこの背中を押すために揺さぶりをかけたという物語も成り立つと思うのです

福の事件があったことで、たまこは自分が心細い時、側に居てほしい/居てくれる異性としてもち蔵を見直します。また同時に、もち蔵から「(告白は)なかったことにして欲しい」と言われたことで衝撃も受けるわけですが、福の事件がないままにもち蔵から告白をキャンセルされたら、たまこの返事も変わっていたに違いないと思うんです

そして三度目はいうまでもなくカセットテープで、これは直接的にたまこの背中を押します
それは純粋に母親としてではなく、恋愛の先輩としてでもあって、たまことひなこの関係はここで、母娘というだけでなく女性同士の共感としても成り立っています。それまでたまこが抱いていた「お餅のような母親」ではもうなく、母親への認識が改まり、母親との関係が再構築されたわけです
してみると、この作品はある意味で、たまこの親離れの物語であるということができるでしょう

■ ひなこの回想がフィルム調である意味

冒頭の回想がフィルム調であるのは上記したように恐らく映画そのものへのオマージュとしての意味があると思うんですが、飛び石でのたまこともち蔵のひなこの回想がフィルム調であることについては、別の意味付けが求められると思います

あれはフィルム…つまり止まった映像の連続映写による「アニメーション」ですから、おそらく「animate=命を吹き込む」という語源に照らして、ひなこに命を与えているのでしょう。転じてあのひなこは「生きている」という寓意だと思います(ワンカット入る「喋る餅」にしても、あれはたまこがいうように「話しかけてきた」わけなので)
つまり過去の読解に照らすと、やはりあの橋の上で回想されるひなこは「思い出されている」というよりは「(生きた存在として)降臨して邂逅している」のだと思います

■ 川に落ちるたまこ=死と生まれ変わり

これも以前から思っていたことではあるわけですが…一度ちゃんとまとめときます

これも飛び石=橋という考察記事を踏まえた解釈ですが―あの飛び石=橋がひなこという死者と邂逅する場所、つまりこの世とあの世の間にも架かる橋だとすれば、やはりあの飛び石=橋から川に落ちることには「死」のニュアンスがあるように思われます。おそらくあそこで、それまでのたまこ―つまり、母親ひなこの死から後、餅に母親を仮託して、頑なに自分も餅のように、母親のようにあろうとしたたまこは「一度死んだ」のだろうと思います(生まれ変わりなので、正確には「すでる」ということになりますが)

その後、家へ走っていくシーン、周りの景色が消えて商店街の人たちの声しか聞こえてこない場面は、表面的には告白を受けた動揺やときめきを表現しているのですが、裏の意味としては、川で死んだたまこが商店街という「産道」を通って生まれ直しているということになりますし、たまやに再び生まれてきたたまこは、赤子同様、ずぶ濡れなわけです。そういう意味では、やはり彼女にとって商店街は家族で、母胎なのであろうと指摘できます

その夜、たまこよりあんこの方がしっかりしているのも、たまこが部屋で転ぶというのも―そして何よりも、コンタクトレンズがなくなり裸眼になっているというのも、そのたまこが「生まれたて」であることを暗にほのめかした演出なのだろうと、そのように解釈ができます

■ 体育館のみどりとたまこのショット

これはもうBDがでてからでないと細かく指摘できないのですが、体育館の壁にふたりが並んで体育座りして話すシーンのカメラワークが、とてもおもしろいので、あれはちょっとBDが出たらいろいろ見返してみたいところです

単純にかいつまんで言うと、あのシーン、最初正面からふたりが並んでいるショットが入って、その時は右側(たまこ側)に大きな「空間」があるんですが、話が終わると、今度は同じように正面から写した、左側(みどり側)に大きな「空間」があるショットがきます。なので、その「空間」が、あたかも「ふたりが心に溜め込んだ思い」のように見ることができます。話す前はたまこがいっぱい溜め込んでいたものが、話が終わったあとは、たまこから、もち蔵からの告白や悩みを聞いたみどりがいろんな思いを溜め込んでしまう、そういう暗喩なんじゃないかと思いました

また話の間、カメラが右手前に置かれたみどりのかばん舐めやや遠くから映してから、桂馬飛びして左手前へ接近し、さらにたまこの右側に近づいていく、という動きをするシーンとか、あのへんも「飛び石」を意識してるのかな、とか

ひなこの葬儀の時、たまこはもち蔵のことを話しているけど、映像はたまこを見ている幼いみどりの回想からみどりのアップで、あれは紛れも無く、みどりの「私もいたのに(気づいてもらえない)」という切ない心情を描いているのですが、それはもう見たままですねw

あのシーンのカメラワークには、ふたりの心情を反映させた意図があるように思われるので、研究してみる価値があるように思います

■ 橋について追記

以前の考察についての、ちょっとした傍証
学校のシーンのカーテンショットとして、学校の池に架かっている石橋のカットが2度使われています。最初は横から写したもの。二度目は上から見下ろしたもので、最初は池が曲がっていて、二度目は橋が曲がっている事がわかります。このへんにどういう意味があるのかまだわかりませんが、何にせよ「橋」が意味を持っていることは、このあたりからもうかがえると思います

■ 鳥ですが…

これは本当に小ネタ
夜の鴨川に佇むもち蔵のシーンで飛んでく鳥なんですが、あれ2本の冠毛があるので、多分シラサギのコサギと思われます
あの冠毛は夏にだけ生えるそうです



今回はこんなとこで
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