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【聲の形】 9/17公開初日(舞台挨拶夜回)時点での感想 【感想02】

 と、いうわけで「聲の形」公開初日でした!
おめでとうございます!
 
さて
 
今回は、どの辺を気にしてみるべきか、というところをおさらいするつもりで、自分で16日くらい前に書いた感想を読み返してから観劇したんですがホントひどいこといってますね!w
いやまあ…でも、感想は素直に書いたものを間違いがあろうが誤解があろうが、ありのまま積み重ねていく主義なので、あくまで初回直後時点での感想ということでご容赦ください

あと前回の感想で書いてませんでしたが、これは感想なので当然ネタバレを含んでます(今更w
ていうか、ネタバレに配慮していたから試写会直後にアップしなかったわけで、ネタバレ無しの感想なら9/1にとっととアップしてます。そのへんは、わざわざブログに来ていただいているので言外に察してもらえてるとは思うんですが。一応今回はちゃんとお断りしておきます。
 
でまあ、昨日、2回目を見たのですが、おおまかなラインで感じたところはあまり変わっていません。刺さる人にはきっとすごく刺さると思うんです。でも、基本的には自分の心に刺さってくる類ではなかった。というか、ぶっ壊れた自分のソシオパシーな、共感力のなさが浮き彫りになる作品だなと(笑) 色んな意味でこっちが落ち込まされるなと
 
でもまあ、感じられない人がそういう風になるってことはいい作品なんです。それは間違いないです

で、今回は、自分もちょっと視線が優しくなったところはあるし、もっと歩み寄って理解しようと思って見てみました

まず小学生時代のシーケンス。前回はそこが駆け足、ダイジェスト気味に感じたので、演出面で見落とした部分が多すぎたかな?と思ってそこを気にしました。とくに主人公がいじめ?に走るまでの動機の演出、機微
次にヒロインのメンタリティ、人格。いじめられてあの反応は、自分には不可解だったので、ちょっと彼女への理解にも気を配ってみました
後は全体的に仕掛けとか文脈とか見てみました。まあ1度や2度じゃあね…
 
総じて感じたのは、やはり情報量はおそらく半端ない。おそらくというのはやはり自分に刺さってくる作品ではないから感度が鈍いため。ただ「映画けいおん!」の時に感じたような、「あーこりゃなんかよくわかんねーけど、分厚い肉を噛んでしまったぞ」みたいな感じはあったので(笑)、言い換えると1度や2度では理解しきれない作品だなという直感はあったので、何度も見るべき作品なのではないかと思います

自分はこの作品のこと、好きか嫌いかでいったら、多分好きなんだと思います。「大好き!」ではなく、興味と好奇心と探究心を刺激されるという次元での「好き」ですが
 
以上を踏まえ、今回の感想は気づいたことについて雑記していきます
 
■ 主人公ふたりについて
 
最初から、主人公のふたりは自分が嫌いな人間なんだと思って見ると、いろいろ演出や展開についてストンと分かる部分があって、なるほどーと思いましたが、やっぱり自分は自分が嫌いな人間、周りの声で自分自身を否定してしまう人間というのが根本的にわからない人種なので、所々でやはり主人公に感情移入がしにくかった。結果、ちょっとやっぱり「大感激大感動すげー!」という感想は持てそうにない、というのが正直なところです。残念ですが…
 
自分を好きになるって、誰かに自分を肯定してもらわなきゃ無理で、無条件で肯定してもらう経験が必要だと思うんです。一番身近なのは親に愛されることですが。そういう経験が欠如すると自分に対して懐疑的になっていくと思うんです。主人公2人はおそらく周りに愛されているのだけど自分がまわりに愛されていることに気づいてないか無頓着でいる。そういえば、植野と再会して別れた直後の主人公とヒロインの会話の手前の右側に「たまこラブストーリー」でも出てきたピンポンマムが映りますが、花言葉が「君を愛す」なんですね。あれは2人の女の子の気持ちとも思えますが、同時にあのふたりは自分が愛されているということについて鈍感なのかなと。でもそれって若い頃には良くありがちなことでもあって…自分の場合は自分が愛されていて当然くらいの感じで育ってきた末っ子だったので逆の意味で鈍感でした。その辺がやっぱり原作者となのか、山田監督となのかわかりませんが、感覚が違うのかなあと…

話がそれた。話を戻すと、そういう部分で最後の方で橋の上で、将也と硝子が生きていくために互いを必要とすることを確認するという展開はわかるんですが、自分はそれってちょっと悲しい、情けないことじゃないかなと思ってしまう。いやでもそれは大切なことなのか。大切なことではあるのだよな。うん。ごめんオレが悪かったw
 
■ 将也について
 
とにかく、将也と自分はすごく似てる部分と全く相容れない、とても理解できない部分があって、ある問題について同じ反応をするとしても、心の中で思っていることが全く180度違う、というのを薄々感じました…というか感じてたんですが、それが一層強くなりました(笑) 例えば「バツ印」にしてもですね、将也は自己否定の延長としてやっている。自分はそれを能動的にやるし肯定してる。そういうところが見ていてもどかしいというか、なんか…やっぱり、そんなふうに感じなくてもよくね?って思ってしまう。もうホントダメだ自分w
 
ただまあ、自分は彼のこと嫌いではないですね。彼が悪意をもっていじめ?ていたわけではない、というのはわかったし。ただ前回もいったように、それがああいうアプローチになる感覚は自分にはないので、そこはわからないけども
 
ああ、あと前回触れた「父性の欠如」についてですが、外国人の叔父の登場、結弦に勉強を頼まれる流れ、と父性がちらりと垣間見えるのは連続している場面だったので、もしかしたらあれは(去勢されていた)将也の父性の目覚めというか、男性性への覚醒を暗喩するような狙いがあったのかな?ともチラっと思いました
 
■ 硝子について
 
この子も、なにかと謝るのは処世術というよりは自分が嫌いで自分を肯定できないから、という文脈で読んだほうが素直に入ってくるのはわかったんですが…この子、友だちを作ろうとしているようで、本当は人嫌いなんじゃないですか。そもそも自殺をはかるというのは、自分が嫌いと同じがそれ以上に他人に関心がないわけなんで
でも彼女なりに強い部分ももっていて、それは死ぬことを考える弱さとどう共存しているのかなというところが。やっぱり自分には「よく分からない人」です…まだ
 
■ 植野について
 
作品に父性が欠落していると指摘しましたが、花火のシーンで確認したところ、彼女には父母ともに完全な家庭環境があり、弟までいる。なるほど彼女があれほどの人間的剛性をもっているわけだと得心しました。あと、小学校時代のシャツがハイビスカス(赤)。花言葉は「繊細な美」「新しい恋」「勇敢」。あと椰子の木も。椰子は「勝利」「固い決意」。やはり男性性のイメージが重なってきます。全体的に南国のイメージを重ねているのは監督のイメージなんでしょうか?
彼女は大変人間臭くて、人として好きにはなれませんが理解はしやすかったです。女社会怖いです(笑)
 
■ 他のサブキャラについて
 
まあこれはどうでもいいんですが、教師は前も書いたようにやっぱりただのクズですねw 聴覚障害者を健常者と対等に扱おうとするというのは実際に行われているので、その現場を知らないからあれが正しいやり方なのかどうかはわかりませんが、クラスにいじめられっ子を作ってしまったのは完全にダメでしょう。ゲスいですわw
 
あと、川井ですか。初見でもこいつおかしくね?と思ったけど、やっぱりあいつサイコパスみたいにおかしいわw 実際、女社会にはああいうのいるんだろうけど、ああいうのしれっと見せられるとかないませんね。どうでもいいけど、サイコパスの方がソシオパスより上位に立つんだってクリミナル・マインドで言ってたw
 
■ 水と死について
 
「死」が直接的に感じられるシーン、文脈を思い出せる範囲で簡単に羅列しておきます。また「水」との関連についても
 
・将也が自殺を考えている/川への入水自殺
・硝子の祖母が死んだ後の結絃/川岸、滝の脇にいる(ちなみに橋の下流側)
・硝子の祖母の葬式/葬儀場に水を溜めた噴水もしくは小さな人工池がある
・硝子の自殺未遂 
(ちなみにこれは花火の夜だが、しばしば花火は慰霊の主旨でも使われる)
・硝子を助けた将也がマンションから落下/落下時のイメージが水中に落ちた描写
 
というわけで、おそらく間違いなく「水」は「死」と関連付けられているのですが、そもそもそれはなぜなのかというのもあるし、小学生時代のいじめで、ノートを捨てるのも溜池?だったり、将也が硝子にホースで水をぶっかけてたりとか、そういうことにも使われているので…また子供の頃は川に飛び込んだりもしているので。単純に水=死でもない、とも思います
また水は、単純に「音」の存在感をアピールするための装置なのかなとも思います
 
■ 音について
 
前回はなおざりにしていたので…というか…「聴覚障害が扱われるんだから、音については当然このくらいやはってくるでしょ!」という上から目線な期待値通りだったので(ホントひどいな自分!w)、特に感銘がなかったのですが、今回は気を配って観劇しました

無音状態のシーンが2度?あったと思うんですが、それ以外は常に少なくとも環境音があって、いつでも音がどこかしらか響いていて、それも反響音のような、わわわーんと響いてくる音が多くて印象的でした。やっぱり音で感情に訴えようとしていたんだろうと思います
多分これって、BD出てからヘッドホンつけて感激するといろいろ気づくことがあるんじゃないかな、とか、それこそ爆音上映会とかで見たら面白いんじゃないかな
 
■ 橋について
 
重要な舞台装置であるのは指摘するまでもありません。あからさまに大量に出てきます。一緒に渡れなかったり、橋の上で会ったり、一方だけが橋を渡ったり…概ねその場面の心理や状況どおりに演出されてます。電車で硝子から将也に初めてメールが来るシーンでも、窓ガラスの景色で橋が流れていて、つまりふたりを乗せた電車が橋を渡っています。これなかなか気づかないと思うw
 
あと、主人公が橋の上から川を見ているシーンをチェックしていましたが、ほとんどのシーンで将也も硝子も下流を見ている。つまり水流を時の流れに擬えるなら時の下流=過去を見ている。後ろ向きだなーと。川に飛び込むシーンも下流側ですね
ただ、一箇所、将也が上流を見ているシーンがあります。どこだったか。夕日に照らされてるシーンで悩んでるシーンだったと思いますが、あれは今後のことに前向きになってるからなのかな?と思いました
しばらくこれもチェックしていこうと思います
 
■ 花について
 
もう多すぎで無理だっつーの!w
と言ってしまいたいですが、言ってますが(笑)、気づいた範囲で少しづつメモにしていこうと思います

・シロツメグサ/「幸福」「約束」「復讐」
 →SNSの件で自宅謹慎中の将也が握ってる。公園のカット手前にも。結弦からの復讐を受けているから
  同時に自宅謹慎の約束を破り、硝子や姪との交流でささやかな幸福、ということになるでしょうか
・ハイビスカス/「繊細な美」「新しい恋」「勇敢」
・椰子/「勝利」「固い決意」
 →上記の通り、小学生時代の植野のシャツ。個性ですかね?
  病院で植野を待ち伏せしている硝子のシーケンスにも確か椰子の木がワンカット入りますが、これは硝子の「固い決意」でしょう
・ヒマワリ/「私はあなただけを見つめる」「愛慕」「崇拝」「偽りの富」
 →どこだったっけ。落ちたシーンだったっけ?ワンカットありましたよね
・コスモス/「調和」「平和」「謙虚」「愛や人生の喜び」「純潔」(ピンク)
 →これは予告編でも目立つw 「愛や人生の喜び」あたりが真意なんでしょうかね。見返さないとわからない
・ピンポンマム/「君を愛す」
 →上記の通り。ただこのシーン、ピンポンマムの後ろに別の花がある。それと意味を合わせるべきだと思う
・スイートピー/「門出」「別れ」「ほのかな幸せ」「優しい思い出」
 →これもどっかで出てきてたと思う。見返さないとわからんw

というか、見ただけではなんの植物かわからない、というのもあって、たしか結弦がらみで野菊が出てくるカットもあったと思うんですが、野菊の花言葉は単純に「清爽」で、詳細な品名がわからないとこれが正しいかわからない…というw
まあほんとこれはおいおいですね。おいおい
ていうかこういうのって後日、あっさりファンブックとかで一覧表になっちゃったりとかしてたりするから悲しいw
 
■ その他
 
前回、これは山田尚子監督のエヴァなんじゃないの?と言いましたが、自分は旧作のエヴァで、シンジが結局、理解できない他人のいる世界を選び、その後に現れたアスカに「気持ち悪い」と言われるあのオチを、今では理解して肯定しているんです
本作にはそれがない。すくなくともないように見える
そのことが自分の中でやはり相容れない部分なのかな、という感じは今もあります
ただ本作ではそこのところを、他人と理解していく努力を前向きに描くことで超克しているのかな、とも思う。自分はそこに、前も言ったように、山田監督が人間を愛していて、世界を愛している。そういう信念に裏打ちされている作品だと感じるわけです。人間や世界を諦めていない。そして同時に自分がそうではないということを突きつけられる。やはりそこがこの作品について、自分がどうしてもなんか釈然としないというか…変に拘泥しているところなのかと思いました
 
あと、公開したのでいいますが、自分は正直この作品は、賛否、評価が分かれる作品だと思っています
単純なエンタメとしてすげー!感動!っていうのとちょっと違って、多くの人にとって考えさせられる、観客に問いかけてくる作品だと思ったので…ある意味ですごすぎて敬遠されてしまうかもしれない、どちらかと言えば文学的な、あるいは情緒的な。そういう類の作品だと思うんですよ
一般論として、そういうものが果たしてスマッシュヒットになるかどうか、難しいかなあというのが初見での率直な感想でした。それだけに試写会で見てからのこの2週間あまり、社運をかけているかのような松竹のものすごい力の入れようが正直自分は怖くて仕方がなかった。え?これで期待通りの興行成績じゃなかったらどうなっちゃうの?みたいな
 
今もどうなるかさっぱりわかりません
世間的にすごいのかすごくないのか。原作ファンにとってはどうだったのか。自分には本当にわかりません
正直、究極的には、巷の評価がどうあろうと、自分個人と作品との評価があれば別にいいんじゃね?とは思うんですが、それでも作り手が今後も良い活動をしていくには興行成績は無視できないわけで…山田監督にマイナスの形にならないか、それがちょっと気がかりですし、そうならなければいいなと。これが取り越し苦労だといいなと思います
本当にいい作品だとは思うので、成功することを祈っています
 
あと、自分まだパンフレット読んでないw
でもこういうのは文字情報やインタビューの情報を入れると、作品以外の情報によって少しづつ色が付いていって、自分の感じ方や意識もそちらに誘導されてしまうので、なるべくそういうのは見ないで何度か映画自体とのみ、接していこうと思います。そもそも自分、作品のみで語りたいことが語り尽くされてない作品は凡作というのが信条ですし、山田監督も当然、作品のみで語るつもりで作品を作っていると信じています
 
あと、どうでもいいんですが山のカット綺麗だったね!
これも山アニメ!山アニメだよ!山クラスタは見に行こうぜ!(おい
 
とりあえず今回はこんなところで
 
(初稿 2016.09.18)
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【聲の形】 8/30試写会時点での初見感想 【感想01】

■ はじめに
 
本稿は、2016年8月30日(火)東京都港区虎ノ門ニッショーホールで行われた講談社合同先行試写会を見た時点での個人の感想です。自分にとっては初見です。この記事の主幹部は同日夜から翌31日にかけて記述され、修正を加えて正式公開日の9月17日に一般公開されたものであることを記しておきます。
 
なお、信じられないことかもしれませんが、自分は観劇まで、本作の原作を全く、文字通りの全く、1Pも読んでいません作品に関する知識は一般的なレビューに記されているような、障害者やいじめが扱われた作品である、という程度であり、キャラクター名も把握していなければ、レビューが記している作品さわりの部分?以後の物語がどう展開し、どう完結するのかも知らない状態で映画を観劇しました。

最後に、自分は原作の扱う「障害者」「いじめ」といったテーマが生理的に嫌いで、原作未読ですが先入観として嫌悪感を持っています。本作のファンの方には不快な表現が多々あるであろうことを予めお断りします。
ただし、これは個人の感想であり個人のブログなので、クレームは受け付けません。クレームは不毛なので、以下を読まず、ここでお引き取りください。

この記事は8/30から8/31時点に書かれたものなので、その時点での自分の思い込みや理解、得ていた情報によって書かれています。またその頃は、ほぼ一切のメディアの摂取をしていませんでした
よって、その後のインタビューとかは全く勘案されていませんので(笑)、それと矛盾することが書いてあったり、誤解があってもご容赦ください

以上をご留意、ご了解の上、以下の記事をお読みください。

 
■ 観劇前の自分の先入観について
 
観劇直前に、以下のツイートを残しておきました。
 
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koe003.jpg 
  
一言で言えば自分はこの「聲の形」という作品がなんとなく嫌いなのです
読んでないけど扱っているテーマが嫌いで、だから読みませんでした
 
「身障者ネタ」…もうそれだけで某24時間テレビみたいな、偽善じみた善意の押し付け、聖人化された身障者像の押し付け、人間ってスバラシイみたいな胸糞悪いエセ感動話が展開されるだろうなと。その先入観でうへぇ、もういりませんお腹いっぱいとなってしまう
さらに「いじめ」もダメ。自分も小、中、高といじめの経験がありましたから、これまた陰惨なイメージしか出てこない。というか…その体験が紛れも無く自分という人間の今を作っているので、創作のそれは自分の全存在に挑戦してくる価値観なわけです。そんなものを偏見なく素直に受け止められるわけがない。実際、創作が描くいじめとその心理描写について共感したことが全く無かった…

だから読みませんでした。話題作とか言われてプッシュされればされるほど絶対に見るものか!と思いました
なんで娯楽を読むのに不快な思いをしてまで見なきゃならんのですか
 
でも、その作品を山田尚子監督がやると聞いた時の失望…ジレンマ…
あなたにはわからないでしょうねえええええ!!(古い)
 
企画発表から公開のこの日まで、自分は喜びのコメントをしたことが無いと思いますが、本音はこういうことです(笑)
でも、ここで見ないという選択をするのも監督のファンとして悔しいので…
見ますよ。どんなものかなと。努めて客観的に

以上を言葉を丸くしてツイートしたのが上の文章です(笑)
 
とまあ、そういう悪感情の吐き出しはさておき…

この企画を聞いた時に自分が最初に思ったのは、「強力な原作をつかまされちゃったなあ」でした。「けいおん!」はこういってはなんだけどそんなに強い原作ではなかった。しかし本作はすでに根強い原作への支持がある。こういう作品を山田監督が手掛けると聞いて、これはどう転んでも辛いことになりそうだなあと。こういう作品って、失敗すれば当然袋叩き、成功しても絶対に根強いアンチが生まれてしまうものだから、正直「あああ~!」って感じでした。もうホント自分はこの流れを歓迎してなかった…

さて、果たしてどういう作品作りをするのか? 主に二択。ひとつは原作を尊重して演出家・映像家のスタンスに徹する。もうひとつは原作を咀嚼して、自分の作品として再構築する…だけど自分は上記の通り原作を読んでいないので、出来上がったものを見ても、どこまでが原作に忠実で、どこからが創作なのか。同じ場面でも文脈や意味が組み替えられているのかどうなのか、それがわからない。だから映画を見るまで、やはり原作を見ておくべきかどうか、大変悩みました
 
しかし結局、原作を見ないで見ることにしました
というのは、本作はおそらく大勢の人、9割方が原作を既読で観劇する…その上での感想や批評が展開されるだろう。ここが原作を再現してたとか、ここが原作をふくらませていたとか……原作への理解を前提にして映画を見る人たちばかりだろう。であれば、全く原作を知らず、見ないで見た人間の感想はそれなりに貴重であろうと、また自分にとってもその第一印象は貴重であるだろうと。原作既読の視点で映画を見ることは後からでもできる。そういう考えからでした。まあ自分の先入観は相当に偏向していますけどw
 
というわけで、そんな自分が見た本作の「素直な」感想を以下に書いていきます。原作のストーリーを全く知らない人の、なんの衒いもない、まっさらな感覚での純粋な感想、ということになります
原作による予備知識も脳内補完もありませんから、劇中のみの情報量では舌足らずなことには容赦なくツッコミも入れると思いますし、「原作の再現度が高いから素晴らしい」みたいな、原作があっての評価はしません。自分はただこの映画作品とだけ向かい合います

自由にぶっちゃけて書いていきます。よって、原作既読の方にはトンチキなことを言っているように見える部分もあろうかと思いますが、その点はご容赦ください
 
■ 全体の感想~本作と自分のすり合わせ
 
まず、自分が理解した限り、本作のテーマはディスコミュニケーションの超克と自己肯定をいかに成すか。だと思います。それまでの道程を小学校から高校まで描いている。ちょっと駆け足で一つ一つの要素の掘り下げが浅めになってしまい、それがもったいなかった印象を持ちましたが

 
でまあ…そのドラマについていうと、わかる。理屈では
なにがどうなったのか。どんな心の動きがあったのか。理屈では
でも、心で共感できない
自分の経験に照らしてしまうと。自分の心に照らしてしまうとダメだった…
 
これは感想なので、おのずから、自分自身とすり合わせていくことになっちゃうんですが、正直に言うと、これが非常に相性が悪かった(笑)
もちろん、こういうことをいうと「現実と虚構の見境をつけろ」っていわれるかもしれないですけど(笑) ただ感想としての好き/嫌い、良い/悪いと感じる自分の経験や価値観がやはり関わってくるわけですよ。そこのところでウマが合わないのを感じました
 
まず、自分はもうあんな繊細さは持っていないなあというのが(笑)
今の自分は…過去に人間関係でいろいろあって、人と人は分かり合えないものだと絶望しているし、同時に、でもそれでいいんだと諦観している。エヴァみたいなこと言ってるけど(笑) そのことに対する嘆きをもう感じないようにしている。そんなことは別にどうでもいい。そこに人がいるだけでそれが慰めや希望になるのが人間だとも思っている。今度はカイジみたいなこと言ってますが(笑)
でも今の自分の人生観ってそんな感じなんですよね…なんか
 
そもそも自分には、少年期の主人公みたいに身障者にあんないたずらをしようなんて感覚はなかったし、いたずらや、相手が嫌がることをすることによってコミュニケーションをはかろうとするいじめっ子の感覚、あるいは考えがそもそも根本的に理解できないのです。かと言って、誰かを傷つけたからといって自殺まで自己を全否定するような感性もない。本作の主人公は、そこで自己否定してしまって、自分を赦せなくて、どうしたら自分を肯定できるのか、赦せるのかともがいてしまう。自分の場合、自己評価は決して高くないけれど、理不尽への怒りと自己愛とプライドは高いので、ために自分が死のうとは思えない。ふてぶてしく生き残ろうと自己正当化してしまう…ここが主人公と決定的に違う(笑) 
だから主人公に感情移入ができなかった(どっちかというと、自分の感性は脇役に近い…)。なので事象として客観的に見ていただけというか…

自分に言わせると、この主人公は悪い意味で弱い。そして優しすぎる。ああいう傷つき方をしてしまう人間はそれは自殺に走るだろうと思う。っていうか、なんでそんなに傷つくんだよって思う。ああ、そういうところは作品に感情移入してたのかなー…
また、ただ謝るってだけのことができなくて、ようやく最後にそこに至るのも、正直ピンとはこなかった。それも自己肯定感が関わっているのかもしれないけど…うーん…もうちょっと見返さないと深いところはなんとも言えない。作品構造が掴みきれていないかも
 
また、自分がヒロインみたいに一方的に理不尽な暴力、否定をつき付けられたらものすごく傷つくし、相手を絶対に赦さないと思う。赦すというのは自信のある人間だからやれること。自己評価の低い自分は理不尽も他人も赦すことができない。とことん追いつめられたら、自己愛が強いからニンジャスレイヤーみたいに「すべて殺してしまえばいいのだ!」となっちゃう(笑) でもここでも、ヒロインの感じ方は自分とは違う。彼女は逆に根っこが強いのか? 彼女の処世術なのだろうけど攻撃に笑顔で謝っちゃう。それは攻撃に対する愛想笑いという処世術はわかる。でも彼女、さらに赦してませんか? それとも赦してなかったんでしょうか? でも赦した相手だから好きになるんですよね? 自分はやっぱりそこで、謝罪もなくなぜ赦せるんだ?と自分は思う。妹が小動物の死体を撮影する目的からいって、描かれていないところで、ヒロインが自分の障害のためか、いじめのためかわからないけど、以前から笑顔の影で陰々滅々と自殺を考えていたのは明白。だけど、前者の苦しみは自分にはわからないし、後者の感性も自分にはわからない…やはり共感しにくい…
 
主人公に共感できないというのが…やはりなんかな…うん…
 
さらに、自分は学生時代、他人との関係性に苦しめられる沼の中で、マンガやアニメ、オタクの世界への逃避に救いを見出してしまったので、それでもあくまで他人との関係性に救いを模索する話というのは、自分にとってファンタジーで、別世界の物語なんですよ…身も蓋もないけど(笑) 自分はいじめの時代を脱したあと、今度は逆に失われた時間や、孤独な他人を救済したいという代償行為のために「みんな」と繋がろうとして、結果的にこれまた手痛い経験をしたこともあるから、「みんな」を求めて肯定受容するという方向も間違っている、というのが人生訓でもあって。だから今の自分は自分の意志で他人の顔にバツつけて生きることを肯定しているし、限られた人間にだけそのバツを剥がす人間でもある。結局、幸福は自分の身の丈でだけ得られればいい。確かに一人で生きていくことは出来ないけど、そのために理解者が多い必要など無い。そのために世界が全部開けて見える必要など無いし、誰しもと繋がる必要など無い、それはむしろ自分を苦しめると今は思っているのですが…
 
本作で、物語の最後にバツが全部取れたというのは、おそらく主人公の自己肯定からくる世界の受容なのだけど、でも、そうして世界が広がったからそれがなんなん?本当にそれっていいことなん?と自分は思ってしまう。でもそこでまた他人に失望、絶望させられるのが人界ですよって。そう思っちゃう。まさにエヴァ(笑)

だからあのラストは…うーん…と思う。わかるけど。理屈ではいい話ってのはわかるけど
 
ここまで書いてきて、そうか、あのバツが一斉にハラリと落ちるラストの既視感って、あれがエヴァ(TV)での、みんなからおめでとうって言われるオチに似てるんだ、と気づく。ディスコミュニケーションと自殺を考えるほどに自己不信を抱えた人間が、紆余曲折の末に、自分と世界を受容するから。そうか、これはどっちも似たような題材を描いてるんだと
だから自分のこの作品への感想は昔のエヴァへのイメージや感想に近づいていくのか…で、気づく
もしかして、自分は山田尚子版の「エヴァンゲリオン」を見せられたのでは?(笑)
すごいな!「シン・ゴジラ」と同時期に山田尚子のエヴァとか!w
 
……話を戻すと、さらに本作は、人が変わることを肯定している、要求しているんだと思います
人が変わらないことで自分もまわりの人間も傷つく、主人公は自己否定する自分を変えなければならず、ヒロインも自分が変わらなければならないと思う。自分が変わると世界も変わるよと、そういうお話だと思う?んですが…
 
でもごめん。自分は正直、変わらない人が悪いと思えないんだ
対人関係において互いに妥協や譲歩や感謝や奉仕は必要だと思うけど、それぞれ、自分としてそこは変えられないとか変われないとか、そういう部分はあると思うし。そういう変化は自発的なものであるべきで、自分が納得しない限り、変化する必要などない。変わらない結果がどうあろうとそれは自分自身であることより尊いものではないと思う。だって他人は自分にはなってくれないから。だから変わらない他人を受け入れる優しさが人間(じんかん)には必要なんでないの?と自分は考えてる
 
例えば作中に、ヒロインが他人に、彼女が変わらなかったことを責められる場面がある。でも、別に自分はそんなの責めてどうすんのとしか思わない。誰かがその人のままでいるせいで人間関係が壊れていくなら、それはお互い様だし、ただそれだけの関係なんでないの?としか思えない…もっとも、作中では、だから皆態度を改め、少しづつ自分を変えて関係を維持していくんだけども、自分はそれならそれで、どうしてそこまでして、あんなひどいことを言い合った相手と繋がろうとすんの?って思っちゃう
…あああw オレってほんと人間嫌いなんだなあ!w
 
だから自分は、この作品って山田尚子って人がホントに人間が好きで、人間に期待してて、人間を愛してる、人間の世界を肯定したいっていうテーゼ、思想に裏打ちされて作られてると思う。それは「けいおん!」から強く感じていたんだけど、自分はけいおんでそれを感じた時、それを眩しく思ったし憧れたし癒やされた。でも本作では逆に、自分が別種類の人間であることを強く意識させられたんだよ!失楽園だよ。最悪だよ!(笑)

ただこの点について、とりあえず作品は自発的な変化を肯定しているように見えたんですが、もしかしたら違うのかもしれない。次回はそこを改めて注意して見てみたいかな…
 
そんなわけで…本作のテーゼはどうも今の自分には全く響かない…なんかズレてる。いやまだ1度しか見てないからこの理解が本当に正しいのか、まだよくわからないけど。今はそう思う。いや、もちろんあれで感動するのもありだと思いますけど
 
……辛い
これ、自分の異端さ、心の傷が浮き彫りになって痛い……
こまーるなー♪
 
 
ところで、最初に言っていた障害者ネタへの嫌悪ですが、これは不思議と全く感じなかった
というのは、本作における聾唖という設定ってただ、主人公のディスコミュニケーションっぷりを相対化して浮き彫りにするための仕掛けですよね。本作は決して聾唖者問題を描いているわけではない。聾唖はただヒロインの個性として落とし込まれていて、それにまつわる差別や陰惨さの描写は触り程度でほとんどしていない。作品は主人公も世界に耳を塞いで塞ぎこんでいく流れになっていくことで、聾唖はただ主人公を相対化するためだけの設定になってしまい、かえって、ためだけにわざわざ聾唖者を出したという「あざとさ」だけを感じるものになってしまっていた感がありました。これは原作のせいなのかアニメ化のせいなのかわかりませんが。肩透かしを食らったような感じと、同時にうーん?となったりして
一方で、脇役たちは表層的な描写をされていたためか、むしろ理解しやすく、いろいろ感想を抱きやすい存在でした。こいつはいい奴だなーとかこいつやな奴だなーとか。その気持ちわかるーとか(笑) そういうところは普通に作品に乗せられたし、のめり込めたと思います
 
あと、恋愛要素薄くてちょっと残念だった
自分はもうちょっと期待してたんだけど、主人公があんな風に去勢されてちゃ無理なんな…ヒロインが頑張ってるのに報われないのはちょっと可哀想。あと、ライバルの子は感情表現がトゲトゲしてて、ネチっこくて、ある意味すごく「女」で、これが見てて全然気持ちよくなれない(笑) まあそれはそれで人間臭くて面白いけど
また、aikoの主題歌がキラキラしたラブソングなもんで、なんか作品と噛み合わないなーというのはありました(笑)
  
■ もうちょっと客観的に見て…なにが欠如していたのか
 
ともあれ、どうしてこうも自分とこの作品の主人公の感性にはズレがあるのか…改めてそう考えていて、不意にそのもっともらしい理由に、はたと気づいたんです
 
本作は「父性」が欠落している
 
ハッキリとそう描かれてはいませんが、おそらく、主人公とヒロインには父親がいない。少なくともすぐに出会える環境にはない。ヒロインは補聴器をあれだけ奪われても父親は怒鳴りこんでこないし、主人公が家にいっても父親はいない。さらにいうと、ばあさんはいてもじいさんはいない。主人公の家にも父親の影はない
 
では、父親の代役となる大人の男性はどこにいるのか?
小学校の担任教師。あいつはヒロインを健常者と同じ扱いしていたのかもしれないが、無思慮で生徒のことなどろくに見ていないクズだった。主人公の家に居候?している姉夫婦の旦那で姪の父親。気の良さそうな陽気な人。だがこの人物はワンカットだけ帰ってくるという形で登場し、しかも外人なんですよ。唯一まともな「父親」が「外人」。これは象徴的で、意図を感じます
 
もしかして、この作品からは意図的に父親が排外されている。父性が排除されている
だから主人公のメンタリティがああなる…というか、主人公のメンタリティを惰弱にするために、こう設定しているのでは?
 
本作の主人公からは、父性が与える人格的剛性、不正義への怒りや攻撃性、現実と妥結する力や、現実や他者を乗り越えて我を通す強さ、そして無駄な争いを避け、ルールによる調和を求める感性が削ぎ落とされている。父性を欠落させられているんです 
有り体に言えば、本作の主人公は去勢されている
 
それによってこの作品はこの恋々とした、もだもだした筋書きを成立させているんじゃないですか?
自分が本作に感じた不自然さ、違和感って、その作為性なのかも?
 
……そういや、シンジも人生から父性が欠落してる人間だったな(遠い目)
 
もっというと、主人公の小学生時代の親友。あの裏切り方。あれには自分は違和感を覚えました。ああいうケースもあるのでしょうが、男社会ってもっと仁義を重んじません? あれもどっちかというと、女性のメンタリティですよ。登場人物にしてもあれは少女漫画に出てくる少年、青年たちだったなあと…。あと、ヒロインの妹が主人公に勉強を教えてほしいと頼むシーン。あれが妙に印象に残った。それもおそらく、あの場面は唯一と言っていいほど、少女が年上の男性に父性を求めたレアな場面だったからです。あの場面はかえって作中の父性の欠如を際立たせていた…
 
というわけで
これは女性のメンタリティによる
女性向けの作品なのでは?
……という分析、仮説に至りましたw
 
まとめ:
わりと本気で、本作は
山田尚子版エヴァンゲリオンだと思う
そうか…ライバルは新海誠ではなく、庵野秀明だったか…!!
エヴァを補助線とすると作品構造がスルスルと紐解かれる直感がします
 
■ 構成について
 
原作を知らないのでわからないですが、先述の通り、相当に駆け足な印象で、特に前半はダイジェストのような感覚に陥りました。例えば、小学生の頃、主人公がなぜヒロインにあんなに粗暴に接したのか、ヒロインがそれをどう受け止めたのか、その深いところの感情、思索を場面から汲み取ることは出来ませんでした。ここが理解できたら、本作への印象は全く変わったかもしれないと思います

中盤、主人公がヒロインとの再会を通じて、失ったものを再構築していく過程は積み重ねが丁寧に描かれていて良かったです。それがぶち壊されヒロインの自殺阻止までが起承転結の「転」になるかと思うんですが、そこからの展開が、それがきっかけになって全てが吐き出され問題が畳まれていくという展開の安直さがちょっと…これは原作の作りがそうなってるせいなんでしょうか。ああいう仲直りってまさに自分にはファンタジー…あんな風になったらもう永久に破綻しないっすか?…すいません
…というのと、全体的に転結部がちょっと間延びした感じがしました
ただ全体的には、無難によくまとまっていたのではと思います。この辺は吉田玲子さんの手腕でしょうか
 
■ 映像や演出
 
映像表現についてはさすがの丁寧さだと思いましたが、でも実は正直、ハッとさせられるものはありませんでした。自分が感情移入できてなかったせいかもしれないけど、おお!このカメラアングルすごい!とか、この見せ方すごい!みたいなのはあまり感じられませんでした…うーん。なんだろう?
でも、もう一回見てみたらこの感想は全然変わるのかも。今回はストーリー追いかけるだけで、わりといっぱいいっぱいだった
 
演出。自分はもっとどぎつい演出をやってくれるかなと思っていました。山田監督が「Free!」なんかで見せてくれたような。でもそういうのはなかったですね。つかエンドテロップ見たら演出は山田さんじゃなくて、山田監督は絵コンテだけでした…
というか、絵コンテしかやっていなかったのはがっかりしたというのが正直なところです…
 
■ 小道具や舞台装置の寓意
 
なにより最初に指摘すべきこととして、監督の前作「たまこラブストーリー」に続いて本作には「死」の影が色濃くあり、「死」は本作でも「水」と関連付けられていたように思います。死が描かれる場面、死が意識される場面、水はほぼ常にといっていいほど出てきました。「水没」は本作における「死」の寓意であり、「水中」は本作における「異界」なのではないか思います。例えば主人公はヒロインの自殺を阻止した場面で水中に落ちて死にかけて…というか観念的には死んで生まれ変わってるわけでしょう。水没するということ、水の中に入るということが転生を寓意している可能性もある。その場面の前後の人物描写の変化には要注目だと思います。その観察、確認は今後の課題ですが…
 
しかし山田監督はどうしてこんなに作品に「死」を意識させるんだろう? 「死」というのは「終わり」ということでもあるんだろうか。だとすれば、けいおんでも、たまラブでも、本作でも、「終わり」の先の話を描こうとしたのは彼女の思想なんだろうか? つまり、「たまこラブストーリー」の感想でも言ったけれど、「終わり」を越えていく価値、永遠性を持った価値を描くのが彼女の作家性なのかもしれない。この性向は確かに彼女の3本の映画に共通していると思うんです。このことは改めて強く指摘しておきたいと思います
 
「花」が沢山出てきました。「それぞれの花言葉はそれぞれの場面の人物の心理や状況を表す」といういつもの仕掛けがあると思うので、それはおいおい細かく見ていけたらと思います
 
タイトル通り「聲」の「形」に注目する必要があるでしょう。つまり「聲」の代役となっているイコンが幾つか登場します。「ノート」「接触」「手話」「蝶」「写真」「手すりや空気の振動」等々…価値を伝えようとしているものは本作において全て「聲」であり、山田監督の前二作における音楽や写真に相応するイコンといえるでしょう。それを読み切ることで見えてくるものがあると思います
 
また「橋」(「横断歩道」や「階段」も「橋」)。これも過去の記事で再三触れた通り、山田監督の前二作を踏まえて、今回も重要な舞台装置でした
2つの世界の接点(健常者と聾唖者とか、過去と現在とか)、異なる価値観が出会う場所、別れる場所、運命が転回する場所、境界が曖昧になる「淡い」の場所…等々。古来演劇で「橋」に与えられた幾つかの形而上的な意味がそのままその場所で展開していたと思います。橋でなにが起こるか、橋を渡れるのか渡れないのか、これも、各場面で細かく見ていくとあれこれと評論でき、きっと作品の理解を深めると思います。これも今後の課題ということで
 
本作では「橋の下の水」が結構象徴的な意味を持っていると思います。英語でいう「water under the bridge」は「すぎてしまった取り返しのつかないこと」「過去」を意味します(原典はフランス語とか)。橋の下の流れる水が度々出てくるのは引きずっている過去の寓意と考えていいんじゃないでしょうか。ちなみに、邦画の木下順二監督は「どうしても取り返しのつかないことを取り返そうとすることが、あらゆるドラマの根幹にある」と著書で述べているそうです。そういう意味では、本作はまさに過ぎてしまった取り返しの付かないことをどうにかしたいと頑張る物語ですので
 
で、その「橋の下の水」にいる「鯉」。主人公ふたりが餌をやる鯉。この鯉は多分ダブルミーニングで、鯉が滝を登って昇龍となるように、やがて未来が開けるという一方で、及ばぬ鯉の滝登りという諺があるように、頑張ってもどうにもならないままだという、その両方の意味があるように思います。橋の下の水にいる鯉への餌やりは転じて、どうにもならない過去からそこに棲んでいる、どうにかなるかもしれない「期待」とか、どうにもならない「停滞」の象徴なのかもしれません
 
「手話」に幾つか意味を込めてくるかな?と思いましたが、初見では特に気づいたことはなかったです。手話がわかるなら、なにかしら発見があるのかもしれません
 
「バツ印」は主人公の目に映る世界にあるアイコンですが、あれは一見、主人公が世界を拒んでいるように見えるし、大まかにそういうことなんですが、でも本質的には主人公が自分自身を否定しているからでしょう。囁き声とかも実際にそう言ってるのかは眉唾だなと…なぜなら彼は自殺未遂をした人間ですし、彼がバツをつけていた人間が、実は話しかけると普通に接してくれたり、彼と友人になりたかったりもするわけで、現実・事実と対応していないらしいからです
主人公が否定したいのは自分で、それでも自分を肯定してくれる救いを探してもがいている。そして、中盤まで、そういう救いの存在にはバツが外れるんじゃないかな…と思っています。でもラストは、主人公が自分を変えれば全部消すことができるもの=彼自身に原因がある、ということがハッキリ示されていますので。この点も今後何度か見返してチェックしておこうと思います
あと、この仕掛については、作中終盤にかけて、カメラがあえて主人公に語りかける人たちの顔をなかなか映さない、それによってバツが付いているのかどうかを観客に意識させヤキモキさせる。そういう演出をしているのは面白かったです
 
■ 音楽・音響
 
専門外なのでなんともいえませんが、もっと音の有無を効果的に使ってくるかなと思っていました。もちろんそういう演出はあったんですが(特に前半の幾つかの場面で)、想像を越えるような衝撃は特に感じませんでした。今後の確認課題
 
■ その他
 
いろいろ否定的な事を言いましたが、もしかしたら多分に自分の偏見フィルタで作品を見ているかもしれないので、今度はもうちょっとスタンスを変えて見てみようと思います。どこかに妥協点や理解が生まれるかもしれないので
 
あと、来場者(招待客)が圧倒的に女性過多だった。その理由は上記したような作品に対する仮説を持っているのですが、なんにしても女性層の口コミを狙っているのと、やはりメインターゲットは女性層なのかなと。でもこれはどうなんだろう…純粋に恋愛物とも言い辛いし…どのくらい訴求するんだろう?わかりません。正直全くわかりません。自分の分析では本作は完全に女性向けですが、女性が本作を見てどう感じるのかが男性の自分には全く想像がつかないからです
あと、やはり原作が強力なので、原作との違いをいろいろ突っ込まれて足を引っ張られちゃったりするんじゃないかなーと。山田監督にとっては本当にハードルの高い、チャレンジングな作品だったと思います
 
 
 
でも正直にいうと 
山田監督にフリーハンドで作品作らせてあげてよ
「ポスト宮﨑駿戦線」なんかに放り込まないでよって思うんだ…

自分はそういうのが見たいです…やっぱし
 
(2016.8.31初稿)
(2016.9.01追補)
 

テーマ : アニメ・感想
ジャンル : アニメ・コミック

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