京アニフィギュア平沢唯・8/24予約受付開始!他

京アニフィギュアメルマガによると、公式フィギュア平沢唯の予約受付開始日が決まりました!
 
京アニ企画・監修「けいおん!」フィギュア第4弾「平沢唯」の予約受付日が早くも決定!
予約は2010年8月24日(火)午前10時より、「京アニショップネット通販」にて開始!
 
ちゅーこって

公式フィギュア平沢唯予約受付
8月24日 am10:00~

です!

また、赤坂ビックバンにて、
同24日より唯、紬のカラー原型が展示されるそうです!

【平沢唯・琴吹紬が見られる!】
現在開催されている『夏サカス2010 赤坂ビッグバン』「けいおん!!桜高購買部」ブースにて「平沢唯」「琴吹紬」のカラー原型を2010年8月24日(火)より参考展示します!
現在展示中の「秋山澪」「田井中律」を含め、HTT4人の色つきフィギュアが初めてそろいます!是非ご覧下さい!

なお、現在公式にある広告は以下のとおり
 
figsaka.jpg
 
というわけで、赤坂ビックバンは24日からいっても楽しめるようです!w
オレもさっさといかないとなあw

テーマ : けいおん!
ジャンル : アニメ・コミック

「biceさん、「ごはんはおかず」完成2日後に永眠」…は誤報では?

どうも巷では、「ごはんはおかず」を作曲した2日後にbiceさんが永眠されたという噂が流れているんですが、この情報は限りなく誤報に近いと思います

昨日からそう思ってtwitterにはコメントを書いていたんですが、ちょっと黙殺放置するのはいたたまれなくなったので、自分が思うところを表明します

まず、当ブログでは、biceさんの逝去について8月1日の記事で取り上げました
biceさんの逝去は7月26日で、当時ファンの間ではtwitterを始めとしてコメントが寄せられたようです
彼女が最後にブログを更新したのが7月24日で、逝去の2日前です
この最後のブログ記事の修正前の文章(現在の文章では「けいおん」の文字は削除されている)に、けいおんの作曲に関わったことが明記されていました
ちなみに、24日(正しくは投稿23日→削除、修正文章投稿が24日だったらしい?)の修正前の文章は、2chのけいおんスレ、紅茶1250杯目の617の投稿によると以下の通りです

けいおん!!2010年7月23日 投稿者: bice
にビーチェも歌ものの曲かいたりしてるよ。リリースはちょっと先になるけど、楽しみにしててね。
ほんと、けいおん!!って脱力系で可愛いアニメだねー。
ちょこっとオンエアされたりしてうれしいよー。


自分は以上の情報について8月1日の時点で知り、他のサイト(例えばナタリーのこの記事の、投稿67を参照)でもその情報の裏をとって、上記記事を作成しました

なので、biceさんの作品は「ハニースィートティータイム」ではないか?と思っていた矢先に、昨日「ごはんはおかず」の作曲だったことを知り、ほどなくして今回のこの噂が流れてきた、というのが自分にとっての状況です

で、自分はそのような新情報は寝耳に水だったので、情報源がどこにあったのかと思い記事をたどってみたのですが、報じているブログも、よくソースの文面を読めば上記既報を記述してあるだけで、自分が探してみた限りでは、「ごはんはおかず」の作曲が終わった2日後に永眠されたというソースは見当たりませんでした
★そのような情報源を知っている方がいたら教えてください。この日記を撤回しますので★

自分が知る限り、確定している情報は、biceさんが(けいおん?に関わったことを明かした)最後のブログを記述した2日後に永眠されたことです
そしてどうも、それがなぜかけいおんファンには、「ごはんはおかず」作曲の2日後の逝去、という誤報で広まっているのではないでしょうか?

もっといえば、24日(23日)の時点で「けいおんに関わったよ」とブログに明かしたということは、作曲はそれ以前の話で、高い確度でその納品は24日のことではないでしょう(上記のナタリーの記事では逝去のさらに1,2ヶ月前だったともある)。しかも修正前の23日の日記では、その曲がすでに少しオンエアされていたことも明かしています。ということは、納品が24日では決してありえないし、あるいは、biceさんは「ごはんはおかず」以外に、「ハニースィートティータイム」か、あるいは他の未アルバム化楽曲に関わっている可能性もあるわけです
「ごはんはおかず」が彼女の晩年に書かれた曲であるのはおそらく間違いないでしょうが、遺作であるかどうかは、関係者のコメントを待つべきではないでしょうか

以上が、件の噂についての自分の考えです。極めて懐疑的でいます

原因の詮索はしませんが、故人の死がCDの宣伝に悪用されているような論評が形成されたり、「ごはんはおかず」という作品について、噂によるイメージが付いている状況を、1ファンとして強く懸念することを表明します

あらためまして、故人のご冥福をお祈りします

テーマ : けいおん!
ジャンル : アニメ・コミック

【考察】 けいおん!! #20「またまた学園祭!」感想補足

放送直後の感想では舌っ足らずだった部分を言語化して補足w


【「大好き」から「ありがとう」:外部との関係性が成長描写であること】

概ね20話に対する批判的評価は、第一期12話(S1#12)のように唯たちの演奏に焦点の当てられた描写ではなく、MCやクラスメイトなど客観的視点が盛り込まれた描写だったことに帰結しているので、その点に対する解説を

当日の感想に書いたように
S1#12のキーワードは「大好き」であり、今回(S2#20)のキーワードは「ありがとう」である

第一期は唯たち5人とその周辺の親しい人物にのみ焦点を当てた作りだったが、第二期では、クラスメイトの中の唯グループの相対化や、学年差における相対化、学校行事の中での相対化、近隣住民の中での相対化といった、外的世界の広がりが描かれてきた。これが第一期と第二期の大きな違いで、以前のエピソード、例えばS2#11で成長したトンちゃんがさらに大きな水槽を必要としたように、唯たちの視点の広がり、さらなる広い世界とのリンクが、そのまま彼女たちの成長描写であることを読み取れていれば、最後の学園祭があのような描写になったことに理解ができると思う

つまり、最後の学園祭は、HTTの世界と観客という外部の世界との接点、もっというならステージの上から唯が「ありがとう」を伝えたすべてのものとのリンク、唯たちが内的宇宙から外的宇宙に発信する場として設定されており、「大好き」な軽音を踏み台にして、今は外部に向かって「ありがとう」といえることが、やりたいことや親友たち、という居場所を見つけた第一期を越えて、さらに広い世界の中に自分を位置づけることができた、唯のさらなる成長として描かれている、と見るべきだろう
唯たちと外部との関係性を描いてきた第二期のドラマツルギーとして、その最大の山場である学園祭は、ああなるべくしてなった、蓋然的な描写だったと言うべ きで、S1#12の幻想、再現に囚われて今回の話を見てはならなかったのだと思うし、そのような視点からの批判は適切とは思われない

一言で言えば、「大好きなものを通じて、他人にありがとうといえる」ことが、今回の唯たちの成長であり
S2#20はそういうことを描いた回だったのだ

余談だが、HTTの最後の曲が「U&I」であるのも、その脈絡から理解することができる
この文脈において、「君(U=YOU)と私」「みんな(U=YOU)と私」という他者との関係性を感謝する歌が、HTTの締めくくりの歌であったのは当然だったということができる


【夢想家の唯と現実主義者の律の握手:夢と現実の着地点】

第二期では、いくつかの回に表の物語の主役と、伏流としての裏の物語の主役、裏の主役がいる構成が多く、当ブログの過去の感想でも、もう一人の主役について言及してきたことがあるが、今回の表の主役は唯、そして裏が律だろう

一見、遊び人コンビとして同類にも見られる唯と律には、根本的に大きな違いがある
唯は常に前だけを向いて夢をみることができ、一方で、律は現実に引きずられることだ。律のリアリストとしてのどこか覚めた冷淡さ、あるいは臆病さは、過去のエピソードでもさりげない場面で度々描かれてきている
そのふたりの個性の違いが顕著に現れていたのはS2#12「夏フェス!」で、「あたしたちもすごいよね」と言うことができた唯、それに同調する澪、梓、紬、だけれど夢を語ることを最後までためらっていたのは律だった

今回のエピソードはそのS2#12と表裏一体だと思う
S2#12では律は唯に引きずられるように、他の4人の夢に同調した。あの時、律が拘泥するリアリズムから引きずり上げたのは唯だった。律は唯によって夢の側に「救われた」のだ
しかし、今回は違う。その逆である

最後の部室で、誰もが言語化することを恐れていた、”次がないこと”を言語化したのは、やはり現実主義者の律だった。誰より現実を見つめ、受け入れる強さを持っているのは律だからだ
それに唯が「それは残念だね」ととぼけた口調で言う。それは夢を見てきた唯が、自己欺瞞ながらも初めて律の現実主義に歩み寄った台詞だった。そんな唯に律はさらに現実を語る。それはあるいは律自身の中の夢想を自壊する行為であったかもしれない。だが律はそういう言葉を紡いだ。それは律が夢を追う唯を理解し、認め、感謝していて、そんな唯が最後の学園祭という現実に挫折する痛みを誰よりも理解でき、それでも現実は受け入れなければならないことを知っていたからだろう

部室のシーンは作品を通じて常に夢を見てきた唯が、初めて現実に打ちのめされた場面だったのであり、唯が、そうしなければならないと支えるのは、現実に拘泥してきた、だが夢を追う唯によって救われ続けてきた律以外にありえなかった

HTTは、律の発案と唯の加入によって作られ、現実主義者と夢想家のふたりが友情によって支え合い、影響し合い、ひとつに結ばれて、その夢と現実の間を揺れ動いている
それが、最後の唯と律の握られた手のカットの意味であり
それは、彼女たちの夢と現実の着地点であり、HTTを象徴するショットだったと思う
のだ


【放課後ティータイムはいつまでもいつまでも放課後:メタレベルの寓意】


これは本文中に書いた通りだけども

唯がこのセリフを言うのは、おそらく直前に観客が「放課後!放課後!」と叫んでいたのを受けてのことで、深い考えがあってのことでは(おそらく)ないw
そして、それに観客がキョトンとするのも当然だ。意味が不明だからw

だが、この台詞はメタレベルでは意味がある
「放課後」は学生時代にしかない特別な時間なのだ。そのことに、唯も含め誰も気がついていない
だが、視聴者はわかる。放課後ティータイムが放課後であり続けること、それはHTTが学生時代というひととき、彼女たちにとっての「今」にいつまでもいつまでも留めおかれる青春の偶像であること
それを意味しているのに他ならないだろう


【羽ばたく5羽の鳥:解釈は保留でw】

5羽の鳥が羽ばたいていくシーンについてですが、保留しますw

あれを素直に解釈してしまうと、彼女たちがバラバラになるように読めてしまうw
でも、原作も含めて考えるとそれもどうかと。あのシーンについては最終回まで見守ってもいいように思いますw



ひとまずこんなところでw

テーマ : けいおん!
ジャンル : アニメ・コミック

DATE LOG
07 | 2010/08 | 09
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
ARCHIVE
ブログ内検索
管理人について

超記憶術先生

Author:超記憶術先生
元業界人(コミック系フリーライター)
Twitter:@SuperMnemonic

問うまい


我の深部にHTTが潜伏したる理由を


我も亦 知らぬなり


こういう管理人w

RSSフィード
"けいおん"特化型ファンブログです
けいおん関連情報&けいおん声優の情報、及び、管理人の感想、考察、イベントレポートをメインに記事を構成しています
山田尚子監督関係の作品記事も取り扱っております
けいおん大好き!!
山田監督大好き!!(笑)
最近の記事
カテゴリー
最近のコメント
リンク