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なんばパークスシネマ上映延長!3/15まで!

なんばパークスシネマ公式によると、映画けいおん!の上映期間が3/9までから3/15までに再延長されました!
 
nanba_20120304235355.jpg
関西圏の方、おめでとうございますw
 
東京もまだ新宿ピカデリーが踏ん張ってますし、17日からは角川シネマ新宿でも始まるので、まだまだ鑑賞は楽しめそうです。なるべく長く続いて欲しいですね…
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テーマ : けいおん!
ジャンル : アニメ・コミック

【映画考察】 キャラクター描写と関係性考察の総覧

54回見ました。今回は映画におけるキャラクターの立ち位置、意義、役割等を考察しました
本来なら1人につき1記事にすべき内容ですが、総覧の意図を持って今回は1記事にまとめます
また、各キャラクターについて他のキャラクターとのコンビネーションでも切っています。これはいつもいってますが、自分が敬服する村元さんの「キャラクターは関係性によって描かれる」という視点を踏まえたものであり、よりキャラクターが見えやすくなるからです

■ 田井中律~リーダー。"決断"する現実主義者


律はいうまでもなくHTTのリーダーであり、テレビシリーズでも5人の意志の多くを決定しています。また他の4人が最終的な判断を仰ぐときに律を頼る、という光景は幾度か見られました

映画においては、最も印象的だったのが屋上のシーンだと思います
 唯「りっちゃん。私、今までで一番緊張してるよ…」
このセリフから始まる一連の会話で、唯、紬、澪の3人がすがるのは律でした
 澪「やっぱりやめる?」
 律「ダメだ!」
 紬「梓ちゃん、どう思うかしら…」
 律「喜ぶに決まってる!!」
律は逃げずに断じて決行するとして、他の3人を引っ張る強さを見せる。あのシーンこそりっちゃんの一番の見せ場であり、律の求心力の源泉がなんであるのかを端的に描いたシーンだったように思います
それはs2e12で描かれたように、律が現実主義者であり、3人の中で最も現実のシビアさに立ち向かう適性をもっているからなのでしょう

律は、卒業旅行でも決断を下しています
その直前まで梓への曲作りを口実に反対していたのに、なにが「と、いうわけで」なのかはすっきりと結論の出かねるところですが、推察するに、律は他人の気遣いにかけては人一倍繊細なので、おそらくあれは3人の真意を汲んでいたのでしょう。澪との会話で多数決を取りますが、律は多数決を取れば0-4で勝つことを最初からわかっていたのだろうと思います。もっとも、唯とムギが賛同している時点で、澪の意志がどうあろうと海外旅行には行くという決断を下したでしょうが(笑)
反面。律は観念的な部分、精神性の部分ではあまり強さを見せません。ロンドンでの梓への歌詞を考えるシーン。唯の「あたしたちがいなくなった後も…」からの会話には一切参加していないし、屋上のシーンでも、唯が考えた「天使」について「ちょっと恥ずかしくないか?」とやや及び腰になっているし、その後の唯の「これもあずにゃんの羽根になるかな?」にも「なる!……と、思いたい…」と断言ができない。これは彼女の持つ現実主義の裏面であるでしょう、律のそうした弱さは、唯やムギによって補完されているのだろうと思います

●唯との関係性

映画で最も多く絡んでいるのは唯です。実は澪ではないのですw
唯とは冒頭のDDごっこでの小芝居。またひねしょうがでの死別?小芝居でも絶妙に息のあったところを見せますし、澪をロンドン・アイに引きずっていく一連の流れでも、最初から律と唯は澪をああするつもりで会話していますw 冒頭の部室での会話でも、ヒースローからのタクシーの中でも、また夜の市場でもケーキを食べあう(っつーかりっちゃんは唯に求められて「やーだよ」っていってるんですがw)仲良しっぷりを見せてます

唯と律については自分は1本記事を書けるくらい好きなんですが(つかちょっと前にtwitterで長語りしましたがw)、過去にs2e20の感想に書いたように、このふたりは表面的に遊び人として類似性、親和性を持っているのに、本質的には現実主義者と夢想家という対極にいます。ですがこのふたりはその相違を越えて友情と理解で結ばれていて、ことにs2e20以降は親友といっていいほど心が通い合っています。律にとって唯は本質の部分でまるで違う人間です。梓に歌いかけるようなことや、天使なんて恥ずかしいフレーズを平然というようなセンスは律にはない。でも律はそういう唯が大好きなわけです

おそらく、監督は律と唯のつながりをHTTの柱としてみていると自分は思っています。なぜならHTTの本質は、異質な他者を認めていくことにある。かつて練習しない3人に苛立っていた澪や、いい加減な先輩に苛立っていた梓がHTTの音楽の力に気づいたように。そしてそれが映画でも維持されていて、律と唯のコンビが印象的に描かれているのだろうと思います

■ 秋山澪~フォロワー。導かれる"保守的"な常識人


自分には、映画で最も影が薄いように感じられるのが澪です。なぜかと考えてみると、澪は全体的に受動的だったからです

澪は自分の本音を表明するのが上手くない、というかいつもそれよりも建前や体面、常識論が先に来ます。映画でも、律の卒業旅行の提案に対して批判します。ですが本音では反対していないし、それどころか実はものすごくロンドンにいってみたかった。こういうところはテレビシリーズでも幾度か見られた部分で、澪はいつも自分の本音を他人に引き出してもらっているところがあります。彼女自身、みんなが新しい扉を開いてくれると独白していて、何かをしたい、新しいことをしてみたいという気持ちはあるのですが、変化や挑戦に対して受動的なのでしょう

しかし澪はロンドン・アイの件でその臆病さを克服します
過去への旅であるロンドン旅行での、澪の変化や挑戦に対する姿勢の変化は、そのまま4人の卒業に向かう姿勢の変化を象徴しているように思われます

●ムギとの関係性

映画では、ムギと対比的に描かれています。事例をあげるなら
 ・手の暖かさ(唯「ムギちゃんの手握ってたら汗かいちゃった」律「秋山さんの手冷たくて凍っちゃった」)
 ・靴下(ムギ「靴下履いたまま寝ちゃってた」澪「私は脱いで寝る…」)
 ・卒業旅行の是非(澪「(律に対して)だーめ!」というシーンで、ムギはしょんぼりしている)
 ・秘密(ムギのメール「秘密ってすごくドキドキする」に対して澪「私はヒヤヒヤするよ」)
 ・旅行での楽器の所持(独立的な決断として、澪はベースを持ってきた。ムギは持ってこなかった)
 ・回転寿司(澪は怯える。ムギは喜ぶ)
 ・回転する金魚の証明(澪は怯える。ムギは喜ぶ)
 ・ロンドン・アイ(澪は怯える。ムギは喜ぶ)
ここまでくると作為を認めるほかはありませんw では、澪とムギの対立点。相違点とはなんなのか
それはおそらく冒険心の有無。積極性の差。あるいは「変化」に対する反応の差でしょう。澪は受動的で保守的であり、ムギは変化を恐れず楽しんでしまう。冒険心に溢れているわけです

では、このふたりの間ではどういう関係なのかというと、印象的な直接の会話があって
 澪「ムスタングだろ」
 ムギ「澪ちゃんのはエリザベスだよね」
 澪「……」
これは澪の上辺の常識論、建前をムギが鮮やかといっていいほどあっさり剥ぎとって、澪の本質を暴きだしています。澪は常識人として話しているのに、ムギは意識的か無意識かわからないけれど、澪の本質の部分にいきなり話しかけているわけです。このふたりの間ではムギの器量が上だなと感じさせられるシーンです
また、前回の記事にも書きましたが
 澪「回るのはダメだー!」
 ムギ「みんなついてるから大丈夫だよ!」
ここでもムギは、怯えて自分の世界に縮こまってしまう澪よりも大きな器量を感じさせます。みんなが一緒ならなんでも楽しいというのはムギの基本姿勢でもあるので、この辺は認識の対比でもあるでしょう

上記のように、澪とムギは映画中盤まで対比的に描かれていて、ロンドン・アイを澪が克服した所でその対比構造が終わっています。ここで澪が克服したのは変化、挑戦に対する怯えです。つまりムギとの相違点が克服されたわけですから、ここから後にムギとの対比が見られないのは自然な流れということが出来ます
そして屋上のシーンでは、上記したようにふたりは梓に歌を送るという学生時代最後の課題を前に、共に緊張し、尻込みする。同じ場所に立つのです

EDには、澪とムギが三つ編みを絡めている印象的なカットがあります。このふたりもまた、唯と律の関係性と同じく異質な個性の協調の意味があるのだろうと推測します

■ 琴吹紬~バックボーン。"柱"となるブレない頑固者

ムギの立ち位置はこの映画において極めて重要です。それを象徴しているのは、彼女の机です
卒業旅行を検討する時、4人はムギの机に集まります
卒業ライブを検討するときも同じく、4人が集まるのはムギの机です
ここに琴吹紬という存在が4人の中でどういう立ち位置、存在なのかをうかがうことができます

ムギは他の3人をリードしてなにかを決めるということはないのですが、多くの場面で3人の決定にはムギの意志がその背景にあります。ある命題に対して、ムギはこうと決めたら決して揺らがない。頑固といっていいほど変わらない。一切ブレない。そしてムギがそうしているからこそ、3人は紆余曲折しても結局ムギと同じ決定をとっているのですw ムギは4人の要であり柱なのです
これはテレビシリーズでも4人の進路決定において発揮されています。ムギは独立的に進路を決めていて一切ぶれていないのに、他の3人はいつしかムギの決定に同調していました

ムギがブレたり動揺したりする時というのは、ある意味事件が起こっている時です。映画では前回の記事にもしましたが自分のキーボードがないことに怒っています。ムギはこの時孤立しているのです。また、s1e11での「りっちゃんの代わりはいません!」と言った場面はHTTの危機でした。ムギはある意味、5人を背後から見ているコンディションのバロメーター的な存在であって、それはこの映画でも変わらないということでしょう

●唯との関係性

上記したように映画では澪との対比としても重要なポジショニングを与えられていますが、唯との関係性も特筆すべきものです
なぜならムギはタイニー唯、唯Mk2といってもいいほどに、唯と相似的なキャラクターだからです
ムギは唯の決定の多くに賛同しています。先輩らしいことや梓への歌は無論のこと、卒業旅行は唯と共に律に要求しています。さすがに「プレゼントは留年」には「?」といった表情でしたが、テムズ川ライブについても、唯の参加意思に真っ先に賛同したのもムギでした
これらは挑戦、楽しいこと、冒険という指向性が唯と同じだからなのでしょう。ムギが作中でいまいち影が薄く見えるのは、唯とキャラが被っているからなのではないかと思うのです

では、唯とムギの相違点はどこにあるか
印象的な会話があります。唯があみだくじでズルをしたシーンです
 梓「やっぱり…八百長ですね」
 唯「しもうた!」
 律「ズルしたのかよー」
 ムギ「へぇー、すごいね唯ちゃん!」
 唯「えへへー」
 澪「照れるな」
なぜここで「すごい」がでてくるんだろう?と思うわけですが、これこそがムギと唯の決定的な差なのでしょう。それは、自分の意志を実現させようとする力、主張する力の差です。これは、育ちのいいムギには苦手な部分と思われます。変化や冒険をしたいと思っているのだけれど、それを実現させるために自ら他人に働きかけたりアピールするのにはイマイチ尻込みしてしまう。だからムギは唯のズルをする悪徳に対する是非よりも、ズルをしてでも自分の意志を実現させようとした部分に、本気で心から「すごい」と思ってしまうのでしょう
ここでs1e02で「値切り」を実行するシーンが連想されますが、あの時もムギは値切りの話を聞いて感嘆し、澪に「どこに憧れる要素が」と呆れられています。しかしそれはムギにとってはそれまで出来なかった「ズル」、3人と出会って初めておぼえた「己の意思を通す術」なわけです

一方、唯からは印象的なシーンがあります。卒業ライブの最後のジャンプです
唯は「U&I」の最後に―卒業ライブの最後にメンバーの顔をひとりひとり見るのですが、最後にムギと目をあわせて笑ってジャンプをする。唯もまた、ムギと自分が同じ種類の人間だとわかっているんじゃないでしょうか

■ 平沢唯~チャレンジャー。命題を課す"道標"

唯はこの映画における主人公であり、それは彼女の回帰にこそ象徴されます
 唯「私たち、もしかして先輩としての威厳がないまま卒業するんじゃないかな」
 唯「私、卒業までになにか先輩らしいことをしたい!」
このセリフ、実はs1e01の「なにかしなくちゃいけないんだけど、なにをすればいいんだろう?」の対比になっています。唯はここで再び、第1話のように自らに命題を課す、新しいことへの挑戦者になっているのです
両者は、時節を前にして何かをしなければならない、という気付きは同じですが、高校生活3年間の軽音部での生活を経て、唯は自らにより具体的な課題を出すことが出来るまでに成長しているわけです

夢想家の唯はHTTにとって精神的支柱となる存在です。彼女の「なにかをやりたい」という意志は、いつもHTTの指向すべき夢、道標としてありました。そのことは、唯は卒業旅行やテムズ川ライブ、卒業ライブの意思決定においてもうかがうことができます
冒頭の唯の提案がそのまま3人も共有する卒業の命題になるのは、そうした唯のこれまでのポジションの延長線上にあるといえるでしょう。そしてこの命題は、4人にとって卒業式以上の意味を持つ、それを終えずして学生時代を終えることはできない、真の卒業式とも言うべき重いセレモニーになります

●梓との関係性

作中、唯が最も心を砕くのは梓のことです
先輩らしいことをしたいという提案も、梓に送るものを歌にすることに決めたのも唯です。梓のために靴を買いに行こうと提案するのも唯です。唯は梓に対する判断の全てを主体的にリードしています。つまり唯は常に梓に対するキーマンとして配置されているわけです

そのことはいくつかの場面にも印象的に描かれています
ロンドン2泊目の追いかけっこ。ここで唯が梓を律たちの部屋で捕まえる意味については、過去の記事で記述した通りです
梓の夢に登場するのは唯です。梓にとっての唯の重要性、特別さがうかがえます
川上さんへのメールの返信の場面。ここの一連の会話の流れは、唯から始まっています
唯「私、演奏したいよ。ダメ?」この後、ムギが賛同し、澪が賛同し、律が賛同します。入部順の逆です。唯が4人の道標であることを示していますが、この後、律の携帯に手を伸ばすのは、澪、ムギ、唯と入部順です。つまりこの場面は唯の会話から軽音部の歴史を折り返しており、最後に梓を招き入れるのが唯なのです
そして、卒業ライブ後に4人が集まるのは唯の机です
先述の通り、他の場面ではムギの机の周りに集まります。ですがここでは唯の机なのです
唯の「あとはあずにゃんへの歌を完成させるだけだよ」というセリフからわかるように、卒業ライブのあとは梓への命題だけが残っていて、その中心になる存在はムギではなく、誰より梓を思っている唯だからこそ、唯の机の周りに4人が集まるのでしょう

※唯についてはもっと色々書くべきことがあるのですが、とりあえずw

■ 中野梓~ヒロイン。共にあり与えられる"翼"

端的に言って、梓はこの映画のヒロインです
4人からプレゼントを与えられる者、という意味において。また、4人の真の卒業式である高校時代最後の演奏を聴く者として

ですが梓は一方的に与えられる立場にあるのではなく、実はいままでずっと唯たちに与えてきた。その存在そのものが唯たちの翼だった。そのことが屋上の場面で語られます
 唯「あずにゃんは私たちに翼をくれた、ちっちゃくて可愛い天使なんだよ」

つまるところ、この作品は(テレビシリーズも含めて)繰り返しの話です。与えた者が与えられ、かつてあったことがまたおこる。終わったものがまた始まる。そういう話だと思います
映画において、梓は高校に残るわけですが、しかし未来において、今度は梓の卒業旅行に4人の先輩がついていくと暗示されている。あのラストシーンもまた、未来においてふたたび唯が梓たちをつかまえて、共にあることが暗示されています

●純、憂との関係性

唯との関係性も重要なのですが、あえて同級生ふたりとの関係性に注目する必要があります
なぜなら今回、梓は基本的に先輩たちの世界に踏み込めないからです。過去の考察にあるように、ロンドン旅行で過去を共有し共に卒業ライブに立つわけですが、梓には最後まで先輩たちの秘密がわからないし、「天使にふれたよ!」を聴くまで、将来に確信が持てないままです
それを相談する相手として、純と憂がいます。梓が逃げこむ場所というか、梓の居場所としてふたりがいるのです

そのことが印象的に描かれていたのが「天使にふれたよ!」での挿入シーンでした
渡り廊下で憂、純を見る梓。あのショットは深い意味があると思います。実は渡り廊下自体に意味があって、これで考察記事がひとつ書けるのですが、要するに渡り廊下の内外は在校と卒業のメタファーです。あの場面、梓だけが渡り廊下の開け放たれた扉の前に立って外の光を浴び、その両脇の憂と純は影の中に立って梓を見ている。外につながる場所に梓がいるのは、梓が先輩を思っているからでしょう。ですが親友ふたりは開け放たれた扉の前に立たず廊下にいて、梓の視線を得るのです。このふたりが高校に残る梓の居場所としてあることが象徴的に描かれています
続くシーンでも歓談しながら廊下を歩く3人があり、彼女たちの高校時代、高校生活がこれから続いていくであろうことが暗示されています

そんなわけで、実はこのふたりに梓はとても助けられているのですが、先輩との関係性でいっぱいいっぱいの梓自身がそのことにどれほど自覚的であるかは疑問です(笑) ですがそのことも込みでふたりは梓を見守っているので、本当に親友だなと思うわけです

■ 山中さわこ~OG。"留年生"の卒業式

さわちゃんで一番印象的な場面は、あの色紙を見つめるシーンです
あの、手を伸ばして色紙を見つめる。あの仕草
実はあの日、多くの人がそれをやっている。あれは、卒業証書をもらうポーズです

過去の考察に書きましたが、DDとHTTの卒業ライブには本質的な違いがある
さわちゃんは卒業に対してロック=反逆していた。唯たちは卒業するステップ、イベントとして消化した。その差こそが堀込先生をして「お前たちに比べたら可愛いものだ」と言わしめた理由なのでしょう。加えて言うなら、胸にコサージュをつけたDDの卒業ライブは実は卒業式当日に行われているわけで、おそらくあれは唯たちのように最後の思い出作りとか、そういう可愛げのある主旨のものではないのですw
あのライブに先駆けて、さわちゃんは独白します。「まるでふわふわのヒヨコちゃんよ。きっと泣いちゃうわね」つまりさわちゃんは、唯たちを未熟な存在として見ているのですが、実はその逆で、卒業を前に唯たちの精神年齢はさわちゃんを超えていたのでしょう
なぜなら、唯たちは卒業を受け入れて前に進む気になっている。でも、かつてのさわちゃんには多分、それが出来なかったのだと思うのです。まさにそのことを堀込先生のセリフと態度は指摘しています

そしてだからこそ、あの色紙のシーンが「受け」になっているのだと思います。つまりあれは、かつて学生時代をきっちり終わらせられなかったさわちゃんにとっての卒業証書なのだと思うわけです
その裏付けがあります
あのシーン、色紙を掲げ見るさわちゃんを微笑んで見ている人は、s2e04、s2e06で出てきた女の先生だからです

さわちゃんはs2e04で、あの先生を前にして、唯たちの部屋で寝る、帰りに生徒たちのように寝こけるという大失態を犯しています。これらの大失態はつまるところ、さわちゃんが大人になりきれていない、唯たちと同レベルになってしまう、という失態です(そのことはさわちゃんも自覚している)。そしてその失態を犯したがゆえに、s2e06ではその先生の前でさわちゃんは唯と律の服装を厳しく指導してもいます
ですがさわちゃんのその未熟さを知る先生が、卒業生たちからもらった色紙を掲げ見るさわちゃんを微笑んでみている、ということが、あれがさわちゃんにとっての卒業証書なのだと考える理由です

つまりこの映画において、さわちゃんもまた唯たちのように一つの時代を終えたことが描かれたのではないでしょうか。それはまた、この映画が監督をして最後の作品だと言わしめる理由でもあると思います



というわけで。今回はキャラクターに注目して全体を大雑把に総括してみました
掘り下げるともっといろいろ書けるわけですが、とりあえずピンポイントで現在の気付きもあわせて記述しておきました

長い記事ですいませんw

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我も亦 知らぬなり


こういう管理人w

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