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【映画読解】 赤と青と横断歩道と橋の途中

59回みて最後の考察記事は、赤と青についての考察の追記で、横断歩道と橋について読解したものです
また、ここ一週間程の考察を統合する性格の内容になっています

■ 赤と青→信号→横断歩道という連想

過日の考察記事のコメントで、赤と青は横断歩道の信号機の赤と青ではないのかというサジェストをいただきました

自分がこれに気づかなかったのは、作中において、赤と青が対比として描かれているのはもう間違いがないのですが、これを信号機と結びつける決定的な情報が、作中に殆ど見られなかったからでした(笑) ですが、赤と青を信号の「止まれ」「進め」と解釈するのは前回の「モラトリアムの意志」と「進む意志」という解釈と全く合致して、かつとてもわかりやすいものなので、おそらく妥当な解釈であろうと考えられます

すると、確かに作中に信号機はあまり登場しないのですが、横断歩道は結構登場していることに気づきました。というか、横断歩道はかなり重要な場面に登場していて、象徴的な意味が与えられていることが見えてきました

作中に登場する主な横断歩道(唯たちが関係するもの)はこんなところです

1)朝の登校シーン、唯が止まる踏切
2)朝の登校シーン、唯とムギが止まっている横断歩道
3)ヒースロー空港の出口からタクシー乗り場までのちょっとした横断歩道(信号機はない)
4)ロンドン2日目、LOOK RIGHTの横断歩道。律に倣い一同注意して渡る
5)ロンドン2日目、気づかずに渡るアビイ・ロード(信号機はない)
6)ラスト。橋の手前で4人が渡る横断歩道

どうでしょう。なにか見えてくる気がしませんか?w
自分が思うに、特に意味を持っているのは1)2)、4)そして6)だと思います

■ 唯とムギを止める横断歩道

登場する横断歩道を順番に見ていくと、1)2)、特に2)に特別な意味が与えられていることは直観出来ると思います
横断歩道で止められるのは唯とムギだからです。唯とムギ、このふたりはHTTにとって物事の推進者という位置をもっています

過去の考察に書いたように、唯は常に目標を設定し、夢を見せる存在であり、映画においては梓に何かを贈るという課題の提案者、挑戦者です。一方、ムギは唯と相似性をもった人物であり、唯の掲げる目標に真っ先に同調し、そして決してブレない要となる存在です

言ってみれば、ふたりはHTTのエンジンとも言うべき存在なのですが、このふたりが足止めされているわけです

果たしてこのとき、ふたりが直面している問題は当然「梓に何をプレゼントすべきか」という問題です
つまりこの場面は、これを解決しない限り、唯とムギは先に進めない(ということは律と澪も進めない)ということを象徴的に描いているのだろうと推察できます

自分は正直この登校シーンの存在意義がよくわからなかったのですが、この横断歩道での足止めを描きたかったのではないか、と思えてきました

■ ロンドンでの横断歩道

3)については渡っているシーンや足止めのシーンは描かれていませんし、信号機もありません
5)一方、5)のアビイ・ロードですが、この道にも信号機はありません(実際にもない)。イギリスの道交法では、こういった信号機のない横断歩道は歩行者優先なのだそうで、梓が信号に気づくこともなければそこがアビイ・ロードであることに気づくこともなく横断歩道を渡る、というのはもしかしたらなにか意味があるのかも知れませんが、現時点では保留しておきます

重要なのは4)と思われます
4)は律の指差し確認で一同が信号を慌てて渡ります。ここの信号はおそらく青なわけですが、警戒しつつ5人で進む、というのは彼女たちのあり方についての象徴的な意味を汲むことができます
あるいは5)で梓に先導されることと、律に先導されることの意味の違いが対比されている可能性もありますが、現時点ではこの点は保留です

■ 橋の手前の横断歩道

6)4人の足だけが映る長回しの横断歩道
このシーン、唯が横断歩道を後ろ向きに歩き始める。車が来たりして危なくないのかと細かいところを気にしてしまうのですが…

そう。このシーンの横断歩道は赤であるはずがない

このシーンは2)の横断歩道のシーンの明確な対比と読めるからです
彼女たちはあの時直面していた課題をクリアした。だからここの横断歩道は絶対に青です
彼女たちは先に進むことができる

こうしてみると、唯たちにとって「天使にふれたよ!」を梓に届ける、という自分たちに課した課題は、唯たち4人にとっての最後の赤信号だった、ということが出来るでしょう

そして、連鎖的に、もう一つの推測が成り立ちます
それは、その向こうにある「橋」の意味です

■ 橋=未来への架け橋

タイトル通りですが、橋はそのまま、青信号・横断歩道の先にある未来もしくは未来へ続く架け橋を意味していると考えられます

橋は映画劇中にどう登場するでしょう

1)梓がひとりで陽の落ちた(ほぼ夜)下校時に渡る橋。「あやしい…」とつぶやくシーン
2)「天使にふれたよ!」回想で、唯たち4人が欄干に佇み、唯が「仲間だから!」と叫んだ(と思われる)シーン。夕焼け?
3)「天使にふれたよ!」で、夜空の下で、橋の途中にいるコート姿の4人の元へ梓が駆けていくシーン
4)ラスト。4人が走っていく橋。夕焼け。その先の橋の途中に梓と和がいる

1)は梓が疑問のモノローグで渡っている橋です。梓の未来に対する心情が五里霧中であることをそのまま表現していると言えます

2)唯たちは未来に行く道の途中で梓を待っている、呼んでいるということだと思います

3)自分はこのシーンは実際にあったシーンではなく、この歌が象徴するイメージの映像と解釈しているのですが、過去の読解に書いたように、ロンドン旅行のコート姿の4人と制服で下校する梓という時間のズレのある両者の気持ちが、その壁を越えてつながることを描いていると思います

さらに今回気づいたのですが、このシーン。梓が先輩たちの元へ駆けていくその脇の車道で、「赤い」テールランプを光らせた自動車が2台、橋の先に進んでいくんですね。こうした表現は1)ではされていない「"赤"が先に進んでいく」ということは、赤の色が象徴する梓もまた、もう未来に対して立ち止まってはいないわけです(自分はこのことに気づいてちょっと泣けてしまったのですが…)

4)これはもうそのままですね。過去の解釈通り、唯が右向きの飛行機であることも踏まえ、近い未来、進む先ということだと思います

■ というわけで…

今回の3つの考察記事は間接的には関連していますが、まあ独立的な視点で作品を見る材料にはなるかと思います

今回は以上ですw


■ 追記(3/16)

61回見ました。上記中、一点誤りがあったので傍線で消しておきました
それと、記事中に大きな見落としがありましたw

もう一つ、横断歩道と信号機が登場する重要なシーンがありました!

そう、ムギが天ふれのメロディを作った後のシーン唯とムギが渡る横断歩道が赤から青に変わる!!! これはわりと決定的な演出かと思います。天ふれ作りが進んだことで、冒頭では立ち止まっていたふたりが先に進めるわけです。ちなみに先の記事の通り、教室で4人が集う机がムギと唯の机であることから、このふたりが4人の要、意思決定の中心にいることは、作中で形而上的に描写されています

っていうかなんでこれ見落としてたんだろうオレw
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【映画読解】 何者でもない"梓"

59回見ました。2つ目の考察記事は、梓についてです

■ なぜ梓は「梓」「あずにゃん」でしかないのか

改めて、今回は初見者としてみたのですが、こういう見方は今回が初めてではなく、過去にも何度かやっていて、それで気づいたこともあったりしたのですが、これはその中で最も基本的な疑問で、わざわざ今日までひっぱってきた(長すぎw)部分についての簡単な考察です

それは、初見者が見て最初に気になる部分、「キャラクターの名前」です
初見者はキャラ名すら知りませんから、誰が誰なのかをまずマッチングさせようとするわけですが、これを見ていくと、実は興味深い事実に気付きます

梓だけは苗字が出ていない

そう。これです!
正確には、和や純も苗字はわかりません。ですが彼女たちは脇役ですから、梓の苗字が不明であることと同列には語れません。梓はメインキャスト、軽音部の5人のひとり、それどころかクライマックスに歌を贈られる重要なポジションのキャラであるにもかかわらず、苗字が登場しないのです

自分はこのことに随分前から気づいていましたが、ここ4回は念を入れて確認して、やはり苗字は出ていませんでした
そしてそのことについて、ひとつの考察を立てたので今回はそれを書いておきます

■ 紹介されない"中野"

初見者に対して、各キャラクターの名称がどう紹介されていくか、詳しく見ていきます

まず、冒頭のDDごっこ
律「ゆいのくせに!×11」で、平沢唯の名前の「ゆい」がわかります
紬「梓ちゃんはどう思う?」で、中野梓の名前「あずさ」がわかります
唯「音楽性の違いってやつだよ、あずにゃん!」で、中野梓の愛称「あずにゃん」がわかります
唯「澪ちゃんだってパンツ見せてたくせに!」で、秋山澪の名前「みお」がわかります
唯「ごろごろしてるだけでいいからっていったの、りっちゃんじゃんか!」で田井中律の愛称「りっちゃん」がわかります
唯「ムギちゃん…」で、琴吹紬の愛称「むぎ」がわかります
澪「り、律が悪い!」で田井中律の名前「りつ」がわかります

次にOP
ホワイトボードの落書きでも愛称がひと通りわかるのですが、これは表示時間が短く、初見の人が見て理解するのは難しいでしょうからパスするとして

続く冒頭のお茶での会話
紬「琴吹家自慢の紅茶よ」で、紬の苗字が「ことぶき」であることが推察され、フルネームの推測ができます
律たち「さわちゃん!」で、山中さわ子の愛称「さわちゃん」がわかります
律「山中さわ子大先生!」で、山中さわ子のフルネームがわかります

下駄箱のシーン
平沢唯の苗字「ひらさわ」が唯の上履きからわかります。よってフルネームが推測できます
律「秋山さんの手、冷たくて凍っちゃった!」から、秋山澪の苗字「あきやま」がわかり、フルネームが推測できます

卒業旅行について会話するシーン
唯「部長の田井中律さん!どうぞ!」から、田井中律のフルネームがわかります

紬からのメール
律「ムギからだ…」とメールの文面から、琴吹紬の名前「紬」がわかり、フルネームが推測できます


……で、「中野」は?


そう。「中野」という情報は作中どこにも現れません
初見の人にとって、梓はこの映画の最後の最後まで「梓ちゃん」「梓」もしくは「あずにゃん」(あずキャットw)なのです

これに作為がないとは思われない。これをどう読むべきでしょうか

■ 何者でもない「梓」=「天使」

過去の記事で、自分は各メインキャラクターについて位置づけましたが、梓は「ヒロイン」と考えています。メイン4人からプレゼントを贈られる役、キーパーソンだからです。そのようなポジションにある登場人物が苗字を持たない抽象的な存在であること、これは物語的に重要な意味を持っています

つまり山田監督は、初見の観客に対して、梓を「中野梓」という具体的な特定個人として見せたかったのではなく、抽象的なヒロイン、有り体に言えば「(唯たちに対する)後輩という概念」として見せたかったのであり、その関係性を、主人公に感情移入しているであろう初見者の心情に投影させようと意図している、と読めるからです

そしてこの「何者でもない梓という後輩」は、最後の歌において、主人公の唯の中でいろいろに概念されます
最初は「君」。次にメモ書きにある「後輩」。当日の朝に「子猫」。そして最後に「天使」という呼び名を与えられます
そうして考えてみると、山田監督が際立たせたかったのは、我々ファンが知っている「平沢唯たちと中野梓の物語」ではなく「平沢唯という主人公とその後輩の物語」であり、その後輩が主人公たちにとって「天使とも言えるありがたい大切な存在だった」という、まさにそのことに観客の目をフォーカスさせたいのだという意図が見えてきます

■ というわけで…

梓の個人としての定義をあえて薄めているところからして、やはりよく言われるように、この映画は唯たちを主人公にしたオルタナティブな性格を持ったエピソードなのでしょう
そしてやはり、ファンとしては24話と表裏一体の話として見比べてみるべきエピソードだということが改めて確認できたと思います


■ 追記 (3/16)


61回見て、やはり「中野」が作中に登場していないことは確認しました
ですがホワイトボード、愛称すらありませんでしたね。キャラの個性が表現されてるだけでしたw
訂正してお詫びしておきます

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【映画読解】 りっちゃんの「という訳で」の解釈

59回見ました。今回は初心者、ファンではない一般観客のつもりで改めて映画を見てみたのですが、とても有意義な鑑賞で、3つほどの気付きが得られました
これから3つの記事でそのそれぞれをまとめようと思います

最初の一つ目は小ネタで、りっちゃんの例のセリフの解釈です


■ その前にあるふたつの「なにか」


でまあ、例の律の「というわけで、卒業旅行に行こうと思います!」のセリフの意味なのですが…

豆コンテとかあればこの前に何らかのシーンが入っているのかも知れないんですが、とりあえずあくまで映画の流れの中でどういう意味かを解釈してみる試みをしてみました

これ、客観的に流れを見ると、この前に彼女たちの前にはふたつの「なにか」があったことがわかります
ひとつは唯がいった"なにか"先輩らしいことをしたい」
もうひとつは、風子がいった「さわ子先生に"なにか"したいと思うんだけど」

このふたつの「なにか」が律に対してどういう影響を与えたかということを考えればいいことに気付きました

■ 田井中律の個性

自分は過去のテレビシリーズの感想でも、映画の感想でも、律の性格は現実主義者でありリーダーであると解釈してきましたし、キッパリ決断する人物と理解してきました。行動力があり、その場のノリで破天荒な事をぶち上げる一方で、本質的には繊細で自信のない部分があり、気の弱さも持っている人物です
また、唯とは対極的に、抽象的、夢想的な目標に対して、身構えたり引いてしまうところがあります

こういう彼女にとって「なにか」という抽象的かつ曖昧な目標設定がどういう影響を与えるか?
おそらくストレスになると思われるわけです。律は具体的なことに対しては現実的な判断を下してアクションすることができても、曖昧なこと、はっきり決まらない事に対してはなんともアクションが起こせない。そのことがそのまま彼女にとっては不快感になるのではないかというわけです

■ 具体的な目標としての卒業旅行

すると、この時点で出てきた「卒業旅行」というのは、ふたつの「なにか」に直面している律の前にぶら下がった人参(笑)というか、唯一具体的に決まっている物事、目標であることがわかります

つまり「なにか」と「卒業旅行」は対比概念なわけです

もちろん、教室の時点では律もまず梓のための「なにか」を考えなきゃいけないと思っていたでしょう。ですが教室でまた「なにか」が出てきた
だからこそ、律は「なにか」による停滞を嫌って「卒業旅行」という具体的なアクションが起こせる物事に飛びついたのではないか澪がそんな律を「すぐ後回しにする」といって怒ったのも、律のそういう気質を知っていたからではないか、というのが今回の気付きというか推測ですw

……っていうか正直、自分はこれ以上は解釈しようがないです、あのセリフw

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我も亦 知らぬなり


こういう管理人w

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