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かきふらい先生=三浦ゆあん先生疑惑について

えーと、巷のまとめブログで、電撃だいおうじ掲載の三浦ゆあん先生が、かきふらい先生ではないか?、と言う話題が取り上げられていますw
 
001_20140522184223a01.jpg
ということらしいんですが、まあ…それはいいとして
 
個人的見解としては、まあこれはかきふらい先生だろうなと思います。99%(笑)

自分は、先生が別ペンネームで再デビューするのはどうこう言うつもりはなくて、やっぱり芳文社と円満に行かなかったのかな、と、そういう懸念の方を感じます。けいおんの終わり方は…あのプロジェクトは、最後のイベントが製作委員会でなく、ポニキャ単体主催だったことになにか違和感がありましたし、製作委員会に入っていなかった芳文社があの大ヒットをどう見ていたのかというところで、ちょっと裏でギクシャクしたことがあったんじゃないのかな、とそういう疑念が拭えないでいます
芳文社はどうも作家の扱いが巧くないという噂は方々から聞かれることですし…なんかなあという気がします。自分はかといってKADOKAWAも好きじゃないんですよね(おいw

……とりあえず、自分は10周年イベントちゃんとやってくれればそれでいいです(笑)
 
なにはともあれ、関わったすべての人が作品を踏み台にしていくのが理想的だと思うので、原作者先生にももちろん次のステージで頑張って欲しいなーと思います

 
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【山田尚子作品考】 「映画けいおん!」「たまこラブストーリー」そして…

でまあ…今日は雑感などつらつらと

とりあえず、ぼちぼち上映が終わりつつもある「たまこラブストーリー」なんですが、正直なところ、過去の考察で自分の中ではあらかた作品に対する把握、理解というものが終わってしまった感があります。その、巷でいうところのすごく良かったとか感動したとか胸キュンしたとか恋愛がしたくなったとか…そういう話はどうもその、アラフォーのおっさんがわざわざ言うことでもないという感があって述べにくいわけです(笑)
そう、この作品は自分にとって大変感想を述べにくい作品です。ただ良かった!と言ってしまえばそれまでで、別にそれを熱弁するのも変だし。というか…他の人の感想をTwitterとかでみて、ふんふんそのとおりだ、と思うんだけども、同じことを自分が言わなくてもいいなあ…みたいな、そういう気分になっちゃうわけですw

しかしそれでも、作品の核心部分は掴めた、という確信はあります
過去の記事に記述したように、「映画けいおん!」は「橋を渡る物語」であり、「たまこラブストーリー」は「橋を架ける物語」だった、という総括をしたからです。おそらくこれ以上にふたつの作品の本質を掴んだ表現はない、という自負はあります。あとのことは枝葉…とまでは言わないまでも、その本質を彩る仕掛け、装置だったと、今はそのように感じています
「映画けいおん!」は、あの足元をアップにした最後のシークエンス、横断歩道という車道に架かる歩道の橋を渡り、さらにその向こうの橋を駆けていくという展開が、作品全体を象徴し物語るものであり、「たまこラブストーリー」は、冒頭と最後、ふたりの間に糸電話の橋が架かるという展開が、作品全体を象徴し物語るものであったということです
自分が理解する限り、山田監督の作品作りは極めてロジカルであり、また、その描こうとする本質の部分は、宇宙の真理が単純な数学の方程式に表されるように、雑味なく簡潔に整理されうる、美しいものだと感じています

そして発表されたふたつの作品に「橋の物語」という共通点を見出した現在、山田監督の次回作も、おそらくは橋の物語であろう、という推察もあります
そう、もう自分の関心は半分くらい、彼女の次回作に移りつつあるかもしれません

山田監督は民俗学を踏まえたメタファー論の知識を持っている、ということを自分はほぼ確信しています
そも、「Free!」7話でも、トンネルが生と死、現世と幽世、この世とあの世の淡い、境界であり、異界との接点であることを踏まえた表現をしていました。そして今回の「たまこラブストーリー」においても、橋の上で死者と邂逅させるという演出をしています。彼女はメタファーによって物語を作る…それも、日本の民俗を踏まえたものを描くという傾向があるようです。実はオカルトとか伝奇ものだとか、そういうものを作らせても行けるんじゃないのか、という気がします。案外新作は、お化けが出てくるんじゃないかとも邪推?しています
 
ただ、先日の京都新聞のインタビューを見るに、彼女は日常の中のことを描いていきたいと確信を持ったようなので、きっとそういう内容の新作になるのでしょう。次のテーマはなんでしょうねえ。「たまこまーけっと」が終わった直後のインタビューですでに次回作の構想はぼんやりとあると述べていましたが、それをやるのかもしれません
まあ、新作が作られるとしてもまた1年は向こうのことでしょうが、それを楽しみにしていたいと思います
とりあえずはその前にインタビューやらBDやらですね。またCut誌やキネ旬あたりがやってくれると嬉しいのですけど

因みに自分の手元にはまだ「たまこラブストーリー」の前売が5枚残っています。これはしっかり使い切りたいところですw

【たまこラブストーリー】 読解メモ 09

19回見ました
主だったところはほぼ解釈できたかと思っています。今後は細かく気になるシーンで気づいた所があれば記事に起こしていって、最終的にいずれまた総括したものを作れたらいいなと思っているところです

で、今回は印象的なワンショットの解釈から、みどりについて軽く掘り下げる記事など書いてみます

■ 川の向こうと此方側―描かれたみどりの成長について

【川の向こうのたまこ】

本編で、最後の日、たまこが教室を飛び出した後、川の向こうの川べりを駆けている絵が出てくる
そう、あの琵琶湖疏水の脇の遊歩道、新幹線の落書きがある道だ
 
なぜ川の対岸側から見ているのか? ちなみに川の流れは左手が上流
 
結構以前の鑑賞から、自分はなぜああいう川越しのアングルで撮影した(ように見せている)のかということが気になっていた。ただ新幹線の絵が見せたくてそうしたようには思えなかったのだ
(実はTVシリーズ9話で、もち蔵ら映研のメンバーが新幹線の落書きの脇を歩いているシーンがある。が、ここでは映画中の演出を問題にしているので…)

 どうしてたまこは川の向こう側なのか?
 このカメラは誰の主観なのか?


ここまで自分なりに考察を重ねてきたが、結論から言えば
これはたまこがモラトリアム=少女時代を脱却した寓意といえる

以下はそんなことをつらつらと書き起こしてみる

【橋の向こうは異界・他界】


まず、あのシーンは、教室でのみどりとかんなの会話に重ねられるように登場する
ふたりの会話における主導権はみどりにあり、みどりはかんなに自分がたまこに嘘をついたことを明かす、そのセリフが重なっている。よって、カメラがある側の岸…桜並木がある岸は、みどりがいる側と解釈するのがひとまず自然ということになる

次に「川越しの撮影」の寓意するところは、これまでの「橋」論から説明できる
川はふたつの世界を隔てるものである。民俗学的に言って、「川の向こう=橋の向こうの世界」が暗喩するものは「異界」「他界」。つまりあの絵は、たまこが川のこちら側とは違う世界に行ってしまったということと解釈できる
まさにこの「たまこは別の世界にいった」ということを打ち出したくて、川越しにカメラを置いたのではないか、と思うのだ
加えて、その世界には新幹線の絵があるということから、彼女がもち蔵と地続きの世界を選んだことが、自ずから導かれる。それは恋に踏み出すことを選んだということでもあるだろう

ならば、此方側にいるみどりと、たまこがいる世界がわかたれたことを象徴するシーンということができる
つまりみどりのたまこへの片想いの終わりを意味する絵でもあったはずだ

では、みどりがいる此方側の世界、桜並木の岸は、なんなのだろうか? 
これを読み解くために、いま一度、劇中の描かれ方を確認してみた

【ふたりで幾度も歩いた道】


実は、カメラが有る側の道…つまりキービジュアルにもなっているあの道というのは、モデルとなった現地においても、川を挟んで、彼女たちの通学路がある側だったりする
 
キービジュにも登場するこの道。モデルは京都市藤森駅近辺。映画では奥(左)が川の上流
 
物語の前半、4人が進路相談をしているシーンを回想すべきである
「橋」論で説明したように、世界と世界を繋ぐ橋の上から川の上流を眺めると言う超越的視点は、彼女たちが未来を模索していることを象徴しているが、あの橋はこの川に架かっている橋である
まず、橋の上で史織が海外留学を明かす。次に、階段でかんなが建築科進学を明かす。行ったように階段=きざはし=橋であるから、彼女も橋の上で未来を語ったということができる

だがしかし―
みどりが進路を語るシーンに被るのは橋ではない。階段でもない。どこだったか?
そう。まさにあの川縁の通学路。新幹線の落書きがある対岸の(桜並木のある側の)遊歩道だったのだ
そしてみどりはその時、自分の進路をぼかして話している。つまり、彼女の話は未来を志向するものではなかったのだ

この桜並木の道は、みどりにとって、たまこと幾度もふたりで歩いた道なのだ
たまこへの思いを抱えたまま、ずっとそのままでいたかった場所なのだ
「橋」を「次の世界へ渡る道」とするのなら、あの「川縁の通学路の此方側(桜並木の側)」は、「モラトリアムの場所」と理解する他はない
 
ならば、たまこが走っている、新幹線の落書きがある側の遊歩道は、「モラトリアムの場所」とは「他界」であり、あそこで駆けているたまこはもう、モラトリアムの世界にはいないことになる
そしてそれは本編の展開と、見事に合致する解釈といえるのではないだろうか
 
してみると、フェスティバルの直前、まさにその道で、たまこからバトンがキャッチできる確信があること、そしてもち蔵への返事をすることを告げられたことは、みどりにとって極めて残酷で皮肉めいた意味を持っていた
みどりは、ずっとそのままでいたかったまさにその場所で、たまこから「変化」を告げられたのだ。彼女があのシーンに浮かべた表情の切なさの本質は、まさにそこにあるのではないだろうか
 
【みどり=もうひとりのヒロインということ】

というわけで、あれは(みどりから見て)たまこが他界に行った、ということであり「たまこがモラトリアム=少女時代を脱却した」ということであると結論される

だがやはりここで、その後、みどりはどうなったのか、ということを確認しなければならないだろう
 

みどりとかんなの本編中最後のカット。みどりは「与える者」になっていた

みどりは結局、もち蔵を煽って背中を押し、たまこを騙して背中を押したのだ。それが無自覚だったにせよ自覚的だったにせよ、彼女にとって、ずっとたまこの周りをぐるぐるし続けるしかない自分を変えるために必要な行為だったのは間違いない。結果的に、みどりこそふたりに成長と変化のきっかけを与えたキューピッドだった
たまこにもち蔵を追うように言った後、たまこの机に佇む彼女は、かんなにこう言われる。「みどちゃん、今すごくいい表情してますよ」と。それは間違いなく、かんなからの、今のみどりの全肯定のメッセージだった
きっと彼女は、それでようやくそれまでの鬱屈、苦痛から解放された。そこで彼女のモラトリアムも終わったと思うのだ

教室での会話の後、かんなに誘われてふたりは校庭へ出る
目的はかんなの木登りで、これはかんなにとって高所恐怖症を克服し、彼女の未来を拓く挑戦の意味を持っていた。ちなみに、かんなが将来を語った場所は階段であるから、かんながここで成長を象徴して登るのが階(きざはし)であるのは必然だ。樹木はもっとも古い階・橋の形態である
みどりはここでも、かんなのお尻を押してかんなを木の上に押し上げる。つまり、みどりはかんなに対しても背中を押した。ただし今度は自覚的に。積極的に。もち蔵やたまこの時のように煽るのでもなく、苦痛を感じるのでもなく、他人の成長や幸福に力を貸す者になっていた。多分きっと、それこそが彼女の大人への成長。なぜなら大人の行為とは、他者に与えることだからだ

みどりの本編ラストカットは、樹の枝にぶら下がるかんなとともに、樹の下で風上を遠く眺める絵だった。彼女にタンポポの綿毛が重ねられていたことを思う。ならば彼女もきっと、遠い世界に運ばれていくのに違いない
してみると、かんなの言った通り、彼女こそ、本作のもうひとりのヒロインだったのかもしれない


今回はこんなところで、どうでしょ

※ 今回の記事作成にあたり、Twitterでエンドスさん夷さんから参考意見をいただきました。ありがとうございました

テーマ : たまこラブストーリー
ジャンル : アニメ・コミック

【たまこラブストーリー】 読解メモ 08

えー、今回は今までで残ってた大きな謎のもうひとつ、「磁極の話」です
これ一体何言ってんだろう?とずっと思ってたんですが、ちょっと気づいたことがあるので、総論に絡めて触れてみます

■ 「磁極」考

【"S"極同士は弾き合う】

えーと、どこから話したものか
そもそもこの磁極の例えを出したのはかんなです
どうしてもバトンが取れないたまこについて、4人の女子が集まって考える。その時かんなが磁力グローブとバトンにも磁力を持たせれば、SとNで引きつけ合ってしまうはずだ。でももし間違ってSとSにしてしまったら離れてしまう、という話をし、それを聞いたたまこが顔色を変える、というものでした(大意)

でまあ、自分は今まで、なにがS極でなにがN極なんだろう、とずーっと探していたんですが…そういうことじゃないですね?
違う極なら引き合い、同じ極は離れてしまう、というところが重要なんですね?
先のシーン、たまこはバトンのトップにもち蔵を重ねていて、彼女にとってバトンはもち蔵でもあり、それを掴み損ねるということは彼の気持ちを受け止め損ねるということなわけです…
で、S極同士は弾くということは…

そう、つまりここで言ってる磁極ってのは、同じ気持ちってことじゃないですか!なんでわからんかったんだw

好き同士になるとむしろ弾かれてしまうのではという…たまこの自分の恋心を認めることへの恐れなんだと思います。自分も相手(もち蔵)を好きになったら、弾かれあってしまうのではないか、ということで顔色を変えたわけです。つまり、「S極」というのは、「好き極」なんでしょう。因みにそれまでのたまこは「北」白川だけに「N極」ですねw

しかし、史織はたまこの本心を看破して、好きだと自覚させてしまう
たまこもS極にしてしまうわけです
(…史織さんがいかにとんでもなかったかわかるw)

だから体当たり作戦は失敗したし
店の前でもたまこはもち蔵の前から走って逃げる
あれはやっぱり同じ極が弾きあってしまったという寓意
なわけですよ

しかし、もうたまこがS(uki)極、もち蔵がS(uki)極であることは変えられない
これを避けてふたりがくっつくにはどうすればいいのか?

物語を俯瞰すれは、たまこはこの問題を、好きを自覚した日から、フェスティバルまでの間に解きます
もっといえば、みどりが餅を詰まらせたふりをしたその夜に解きます
あの夜にあったこと、それはひなこの歌を聞いたことでした。だからきっと鍵はそこにあります

【気持ちが弾き合わない方法】
 
ここでちょっと止まって、総論に立ち返りましょう
この作品は「行く橋」「帰る橋」つまりふたつの橋によって世界が輪になることがポイントです
それによって人はどこに行っても帰ってこれるし、思いも通いあうことができる。そういう世界観なわけです
ふたつの世界は、ふたつの橋で繋がることで輪になる。丸くなるわけです。「丸」ってのはこの作品世界では「お餅」の暗喩でもあるわけで、ベストの状態なわけですよ

それを磁極に照らして言うなら
ひとつの橋しかなければ、弾き合う同じ極は同じ橋を渡れない
もうひとつの橋が必要なわけです

ところでここまでに、ふたりの間に架かっている橋は何だったでしょう?
それはいつももち蔵が一方的に投げて、いつもたまこが受け止められなかった
糸電話の橋でした

…うん。これは非常に形而上的な話ですが…
つまり、もち蔵からの糸電話に対して、たまこからもち蔵に気持ちを伝える、別の…または新たな手段が必要なわけです

それが結局なんだったかというと、あの最後の糸電話なわけですねw
以下は、それはどういうことかという話です

【ひとつのアイテムでふたつの橋を架ける】

というわけで、ひなこの歌の話に行きましょう

ひなこは歌が下手です。これはTVシリーズ9話で豆大も指摘していたことであり、TVシリーズでたまこが歌の正体を9話まで判別できなかった理由でもありました。そして劇中のこの場面でも、あんこがお母さんは歌がうまくないと指摘します
でも、ひなこは自分の精一杯で、自分の歌で、自分の気持ちを豆大に返したわけです
同じ年頃だった母親が、母ではなくひとりの少女としてたまこに伝えた事こそ、たまことひなこの関係性を再構築し、たまこに勇気と自分がどうあるべきかを分からせたのでしょう
それは相手の気持ちをきちんと受け止め、自分の本心、誠実に従って、精一杯返すということだったはずです

問題はここでも返す方法です。同じ磁極(思い)は同じ橋を渡れない
ふたりの好きという思いが行き来するにはふたつの橋が必要なのです

総論で指摘したように、ひなこの豆大への歌は、思いを返す返歌です
そのひなこの思いが渡った帰る橋は、豆大の思いが渡ったテープの裏面にありました

そう、リバース
ひとつのカセットテープをリバースして表と裏を刻み、自分たちの磁力によって記録する
それによってふたりは互いの好きな気持ちを伝え合った
豆大とひなこはリバースするテープによって
ひとつのカセットテープでふたつの橋を架けたのでした


リバースと糸電話。あとはもう分かりますよね?

そう…それが看板の前のふたりの立ち位置が
回想シーンとは逆=リバースしていた理由なわけです
それでこそ、もち蔵の気持ちは上手から下手へ、たまこの気持ちは下手から上手に流れて通い合う
あるいはそのリバースは、いつもと逆にたまこが糸電話を用意した、というところから始まっているのかも知れませんが…ともあれ、総論で結論したように
一本の糸電話はあのシーンでふたつの橋になり
気持ちが通い合った
わけです
 
【なぜ風船は舞い上がるのか】

これももう、確度の高い説明が出来ます
空気より軽い気体が中に入っているから、ではなくて…
 
地球の引力=思いと反発しあう
同じ磁極の思いだから
なのでしょう
 
やはりあの風船は、糸電話によってふたりに生まれる、いろいろな思いなのだろうと思います
(好き、なのかと思いましたが、リンゴ=恋心が地球に引きつけられてる、ということはそうとも限らない? 山田監督がいうように、いろんな揺れる思い、あるいは夢、という結論になりますね)

そしてそうなら、あの風船は空を越えて、宇宙の果てまで飛んで行く
もしかしたら星になるのかもしれません
すくなくとも、たまこを金星=♀=大人の女性まで、もち蔵を火星=♂=大人の男性まで導く「飛び石のきざはし」にはなるんじゃないでしょうか

【気持ちを押し付けないという哲学】

というのが今回のお話なわけですが…

この読解において、ひとつ指摘すべきことは、本作には「好きという気持ちは一方的に押し付けるものではない」という哲学があることです。上記の構造には、恋愛にはきちんと人格のある相手がいて、相手が思いを受け止めて、相手の思いを返してくるべきだ、という思想があります

これは善良、誠実で、今一度強調すべきことだと思うのです
そして男女はそうあるべきだ、というのは
おそらく山田尚子監督の恋愛哲学なんでしょう
…多分
 
 
今回はこんなとこで。あとからちょっと加筆改訂

テーマ : たまこラブストーリー
ジャンル : アニメ・コミック

【たまこラブストーリー】 読解メモ 07

■ 「月」雑考

というわけで
一昨日アップした総論を自分のたまラブ論の主幹としつつ、今後は枝葉を伸ばしていく、ということをやりたいと思っているわけですが、総論はほぼすべての謎に回答ができていると思いつつ、大きな要素でありながら、ひとつ説明のつかないものがあります

それは「満月」「満ち欠けしない月」です

読解メモ04追補で仮の結論を出したテーマですが、今は別の解釈を当てることが出来る気がしますので、以下は、これをどう解釈し、先の総論につなげていくか、という作業をしようと思います

■ 映画けいおん!との対比に基づく作品構造

これは前回の記事のおさらいですが、「映画けいおん!」と「たまこラブストーリー」、このふたつの作品は、以下のようにまとめられます

 映画けいおん!
 ・「空の物語」
 ・要約……橋を渡る物語
 ・橋……主に二次元(水平方向と、せいぜい校舎の高さまで)
 ・描かれる世界……空=見渡せる限りの未来
 ・世界のルール……「時」。一方通行

 たまこラブストーリー
 ・「宇宙の物語」
 ・要約……橋を架ける物語
 ・橋……三次元(水平方向と、風船が渡す空の果てまで)
 ・描かれる世界……宇宙=すべて
 ・世界のルール……「引力」=「思い」。行って帰ってこれる

というわけで、ふたつの作品の比較で見えてくるものがあります。それは「世界を支配するルールが違う」ということです
つまり今回のテーマに即していうと、「たまこラブストーリー」の世界では、時は世界を支配していないのではないか?という指摘が出来ます

だから月は満月のまま、満ち欠けしない
そして世界を支配する「引力」によって(ここではもち蔵とたまこの思いによって)、寄ってきたりもするし、離れて隠れたりもする

なんともファンタジックな話ですが、わりと本当にそういうことなのでは、と考えています、少なくともこれなら、先の総論とつなげることができますので…。そもそもあの満ち欠けもしなかったり、現れたり消えたりする月は、科学的な説明など出来ないのですし(笑)

■ たまこまーけっとの世界論

ここでかつてたまこま最終回直前記事と、最終回感想記事を通じて、「たまこまーけっと」について論じた文章を引用します

その上で、たまことは何者かを改めて考えてみて、自分はひとつの結論を持つようになりました
それは、この作品におけるたまことは、世界観の象徴なのではないか、ということです
(中略)
つまり、この作品世界のイメージや価値観、観念、理想、テーマ、有り様の姿をそのまま、ひとりのキャラクターとして象徴しているのがたまこなのではないか。

彼女は「変わらなかった」。しかしそれは文字通りの意味ではないのです
彼女を取り巻く環境は微妙に変わっているし、彼女の認識も変わっている。変わることを考える出来事があった。ざわめきがあった。しかしそれら全てが結局は、彼女の世界の出来事の中に回収され、吸収され、何事もなかったように「変わらなかった」。いうなれば、大河に小石を投げ入れ、波紋が水の流れとともにかき消えていくように「変わらなかった」。お妃騒動のこと、そしてこの一年のこともすべて、この世界の中で起きた出来事、ひとつの記憶として、この世界の「蓄積」になった。これまでの蓄積、世界の深みが、すべてそうした些細な出来事を飲み込んで、変わらなかった
この作品は、「今」の価値を描いた「けいおん!」よりも、長いスパンの時間、広い世界の出来事に物語の焦点を置いていて、その長大さ、広大さの中で、今、その時の「変化」をただの「蓄積」として吸収していく、そういう「世界」の強靭さ、そして世界の優しさを描いていたと思います。人が生まれる前の過去から積み重ねられてきたもの、そして今も積み重ねられていくものが、全て「あなたの世界」に回収されていく、この作品は、そういう価値観で描かれていた。


かいつまんで言えば、自分はたまこまの世界観をこのように結論したわけです

・たまこは作品世界によって育まれた、世界観の象徴である
・それは餅のように、変化をすべて飲み込むような、長大な時間、広大な空間に焦点をおいた、普遍なものである

つまり、お餅のように変化を飲み込んでしまう、というのが「たまこまーけっと」の世界観だったと思うのです
そしてそれは、時間的な不変性がある世界、という言い方もできると思います

この文脈からも、たまこまーけっとでの時間的な不変性がある世界観が反映され、象徴するものがあの「満月」「満ち欠けしない月」だったのでは?という指摘が出来ます
 
■ しかし、変化が主題

しかし。だがしかしそう、「たまこラブストーリー」の主題は「変化」だったわけです
変化するための一歩を踏み出す話。公式にそのように喧伝されています

自分の記事でも、これはお餅=母親のようになることを志していたたまこが、「餅=ひなこ」から「餅=もち蔵」へと刷り込まれることで、すべての関係性を見直し、自身を再構築し、自他の関係性が変化する話である、と論じました

もしこの推論が正しければ、あのラストシーンのあとは、月は満ち欠けする=変化するものになっているのかも?しれません…いや、本当にわかんないけどね?w

■ 「月」はお餅が作られる場所なので…

どうもしっくりこないので、もうちょっと考えてみましょうw

そもそも月というのは、本作において特別な位置づけのはずなのです
そうです。日本人なら誰でも知ってるように月のうさぎはお餅つきだからです本作の重要なアイテムである「お餅」と「うさぎ山商店街」というネーミングに、「月」が介在しているのは明白です。というか商店街の看板を見ろという話なんですがw

月はこの作品世界においてその一部を構成する最重要のエレメンツのひとつであり、無くてはならないもの。お餅に縁のあるものです。また、本作において、たびたびたまこがいっているように、お餅はまるいもの、なのです
ここから、満月に餅が仮託できるということは指摘できそうです。すると前項で書いたことから

 月=お餅=ひなこ=もち蔵

という構図が浮かび上がります。すると、たまこにとってのふたつのお餅(ひなこともち蔵)と読解メモ04追補で示したように、新月(?)を挟んで登場するふたつの満月という符牒が見えてきます。つまり…

 告白の夜に、雨雲によって隠れる最初の満月は、ひなこ
 病院の夜に、輝いている満月は、もち蔵

もしかしたら、こういう意味なのかも?

物語の流れに当てはめると、たまこの中の刷り込みから消えていくひなこは、雨雲に隠れる月、というのは分かる話です。一方、病院の夜、告白をなかったことにしていい、今まで通りにしよう、とたまこに言ったもち蔵の本心が、あの輝いている月、というのも、そう無理のない解釈のように思われます

■ というわけで…

要するにやっぱりよくわからんわけですw
ふたつの方向からアプローチしてみましたが、作品の文脈に照らすと、後の方の、ふたつの月はひなこともち蔵の寓意である、という方がしっくりくる気がします。まあ、このふたつは別にぶつかる説でもないので、月が出たり消えたりする理屈は、最初の方、ということになるでしょうか
今のところはそのように解釈してみることにします

今、気にしているのは、作中に登場する「時計」です
ぱっと思い出すのは、たまこが起床する05:05頃、校舎の時計のカーテンショットから黒板にインフルエンザの文字が書かれてる場面の8:40頃、あともち蔵の部屋に6:05くらいもあったような気がするのですが、そのへんからあの月を説明できる手がかりはないかなと思ってます

テーマ : たまこラブストーリー
ジャンル : アニメ・コミック

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超記憶術先生

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