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【たまこラブストーリー】 読解メモ 10

自分は今日も見てきたんですが、雑感をいくつか

■ ゾートロープ、キネトスコープ、シネマトグラフ

これは先日ツイートした憶測ですが…冒頭、もち蔵がたまこに投げる糸電話。回転してその穴からフィルム調の回想につながっていきますが、あのシーンの糸電話のカップは、モーションピクチャーの原理であるゾートロープ(語源に回転する円筒という意味がある)や極初期の映写機であるキネトスコープ(エジソンが発明した「覗き穴」から映像を見る機械)の暗喩で「映画」そのものへのオマージュなのではないかという指摘です。というのは、あの回想がフィルム調である理由がそのくらいしか考えられなかったから、なのですが…そもそもピンホール→カメラという連想があり、円筒が回転しているとなれば、それがもう映写機を寓意させるのは自然なことだと思います

また、たまこの部屋においてあるカメラとミシンという組み合わせなのですが、今までこれが何なのかよく分からなかったのですが、調べてみたらこれも、最初の映写機であるシネマトグラフの暗喩ではないか、と指摘できます
というのは、シネマトグラフの発明の最大のポイントは、光源の前でフィルムを一瞬(初期は1/16秒)止めてから次のフィルムへ送る仕組み(間欠送り)だったわけですが、シネマトグラフの発明者で写真業者だったリュミエール兄弟は、ミシンの布送りが針が下りる時に一瞬止まり、針が上がると布がわずかに送られることに着目し、これを実現している偏心カムを流用することで、フィルムを間欠送りにすることに成功したという逸話があります(このへんは、「ミシン、シネマトグラフ」でググると見つかると思います)
これを踏まえると、「カメラとミシン」という組み合わせからは「シネマトグラフ」という連想が出てくるのです

ただ…このカメラとミシンはTVシリーズでもたまこの部屋にあったものなので(8話、9話などで確認できます)、TVシリーズからそのような構想がない限りは、ただの偶然と見るべきなのかもしれません

■ 反射・投影について

これは前項とも関わってくるのですが、個人的に本作でとても気になるのは、ものが何かに反射して映っているシーンが非常に多いことです。体育館や学校の床にたまこたちの下半身が映っていたり、水面にたまこともち蔵が映っていたり、ガラスに空やたまこが映っていたり…と、きれいな映像を作っているだけ、かもしれないのですが、自分は観客に「投影」「反射」ということを意識させようとしている(いや、監督の言い方をするなら「無意識に働きかけている」)のではないか?と思っています

ただ、それがどういう意味をもっているか、ということについては推測するしかありません。今のところ、個人的には、前項のようにカメラや映写機へのオマージュなのかもしれないと思っているのですが…たまこたちがやっている「だるまさんがころんだ」にしてもアニメーションの源流のようなものですし、もち蔵のもっている機関車も、リュミエール兄弟が世界で最初に撮った映画のうちの一本「列車の到着」が連想できます。この作品には「映画」というものへの監督のラブレターともいえるような情報、小ネタがところどころに散見されるように思っています。このへんはもうちょっと勉強して意識してみてみようと思ってます
 
■ ひなこの3度の助力

本作で非常に重要な役割を果たしているのはたまこの亡母、ひなこである、ということは、一度ちゃんと指摘しておこうと思うので指摘しておきますw
以下の一部は、過去の記事にも書いたことではありますが…

まずひなこは、飛び石=橋の上でたまこともち蔵によって回想されますが、このシーンからは、ふたりの間にはひなこの存在が決定的に重く横たわっていることが指摘されるべきです

この場面で、ふたりは会話の上では別にひなこのことを口にしていません。たまこは「白くて、いい匂いがして…」と滔々と「餅」について語っただけです。ですがたまこは餅のことを話しながらひなこのことを思い出し、それを聞いているもち蔵もひなこのことを思います。つまり、たまこは餅にひなこを仮託し、亡母への行き場のない愛情と執着をそのまま餅への執着にしてしまった。そしてそのことをもち蔵もよくわかっているわけです

冒頭の糸電話の穴を覗きこむシーンで、ふたりの赤ん坊時代から現在に至るまでがフィルム調で回想・説明されるわけですが、ここからもいくつかのことが読み取れます
ひなこが死んだ後、糸電話をもち蔵がたまこに差し出します。そのもち蔵には道子がついていますが、この糸電話はTV12話で語られたように、夜遅くまで窓越しにもち蔵と話していたら豆大に叱られたたまこのために道子が作ってあげたものです。そして、糸電話を持ったふたりの間に色とりどりの風船が舞い上がるシーンが入り、その後、今度は家の仕事のため、餅のトレーをもったたまこをもち蔵が助けるシーンが入り、たまこがもち蔵に制服姿を見せる(高校入学当時?)シーンが入ります
たまこはひなこが死んだ後、その痛みを埋めるためにもち蔵とのコミュニケートを求めた時期があったのでしょう。それによって、いろいろな思いが幼いふたりの間に流れた時期があったのも多分間違いない。だけどその後、たまこは家の手伝いをするようになって、たまこが自分の存在意義を亡母の代役に求めるようになったことで、ふたりの間が進展しなくなった…恐らく。それが現状なわけです

つまり、ふたりが発展しなかった理由は、突き詰めればひなこの死なのだと考えられます。ひなこの死という重石があるからこそ、もち蔵は母親であろうとするたまこに踏み込めなかったし、たまこは母親であろうとするが故に誰かを意識することもなく、結果としてもち蔵を踏み込ませなかった
ふたりの間にはひなこの存在=ひなこの死が障害としてある、ということが、あの飛び石の上の回想が本当に意味しているところだろうと思うわけです

この膠着状態を打破するところから「ラブストーリー」が始まるわけですが…ここで自分が思うに、ひなこがもち蔵に助け舟を出している。彼女の最初の助力です
一連のたまこの台詞のあと、川下から川上へと風が吹きますが、あの風はまさにひなこの風で、啓示なのではないかと思うわけです。あの後、ひなこが仮託された餅の石がたまこの手を離れて川の中に落ちるのは、つまりひなこがふたりの間から消えるということです。それこそまさにひなこの助力であって、まさにそのときにもち蔵が告白して、たまこが衝撃を受ける、というのは表面的な意味だけでなく、寓意として、その直前にたまこの意識から姿を消しているからこその衝撃、なのだと思います

二度目にひなこが助力したのは、恐らく福のトラブルです
福は餅を喉に詰まらせて病院に担ぎ込まれるわけですが…餅というのはたまこを通じてひなこが仮託されたものですから、これはひなこの仕業、という見方ができます…恐ろしい話ですがw
しかし、この事件があったその時はまさに、もち蔵があの飛び石―あの世と繋がっている橋の上で、たまこのことを吹っ切ろうとしていたわけですから、そんなもち蔵を見て、ひなこがたまこの背中を押すために揺さぶりをかけたという物語も成り立つと思うのです

福の事件があったことで、たまこは自分が心細い時、側に居てほしい/居てくれる異性としてもち蔵を見直します。また同時に、もち蔵から「(告白は)なかったことにして欲しい」と言われたことで衝撃も受けるわけですが、福の事件がないままにもち蔵から告白をキャンセルされたら、たまこの返事も変わっていたに違いないと思うんです

そして三度目はいうまでもなくカセットテープで、これは直接的にたまこの背中を押します
それは純粋に母親としてではなく、恋愛の先輩としてでもあって、たまことひなこの関係はここで、母娘というだけでなく女性同士の共感としても成り立っています。それまでたまこが抱いていた「お餅のような母親」ではもうなく、母親への認識が改まり、母親との関係が再構築されたわけです
してみると、この作品はある意味で、たまこの親離れの物語であるということができるでしょう

■ ひなこの回想がフィルム調である意味

冒頭の回想がフィルム調であるのは上記したように恐らく映画そのものへのオマージュとしての意味があると思うんですが、飛び石でのたまこともち蔵のひなこの回想がフィルム調であることについては、別の意味付けが求められると思います

あれはフィルム…つまり止まった映像の連続映写による「アニメーション」ですから、おそらく「animate=命を吹き込む」という語源に照らして、ひなこに命を与えているのでしょう。転じてあのひなこは「生きている」という寓意だと思います(ワンカット入る「喋る餅」にしても、あれはたまこがいうように「話しかけてきた」わけなので)
つまり過去の読解に照らすと、やはりあの橋の上で回想されるひなこは「思い出されている」というよりは「(生きた存在として)降臨して邂逅している」のだと思います

■ 川に落ちるたまこ=死と生まれ変わり

これも以前から思っていたことではあるわけですが…一度ちゃんとまとめときます

これも飛び石=橋という考察記事を踏まえた解釈ですが―あの飛び石=橋がひなこという死者と邂逅する場所、つまりこの世とあの世の間にも架かる橋だとすれば、やはりあの飛び石=橋から川に落ちることには「死」のニュアンスがあるように思われます。おそらくあそこで、それまでのたまこ―つまり、母親ひなこの死から後、餅に母親を仮託して、頑なに自分も餅のように、母親のようにあろうとしたたまこは「一度死んだ」のだろうと思います(生まれ変わりなので、正確には「すでる」ということになりますが)

その後、家へ走っていくシーン、周りの景色が消えて商店街の人たちの声しか聞こえてこない場面は、表面的には告白を受けた動揺やときめきを表現しているのですが、裏の意味としては、川で死んだたまこが商店街という「産道」を通って生まれ直しているということになりますし、たまやに再び生まれてきたたまこは、赤子同様、ずぶ濡れなわけです。そういう意味では、やはり彼女にとって商店街は家族で、母胎なのであろうと指摘できます

その夜、たまこよりあんこの方がしっかりしているのも、たまこが部屋で転ぶというのも―そして何よりも、コンタクトレンズがなくなり裸眼になっているというのも、そのたまこが「生まれたて」であることを暗にほのめかした演出なのだろうと、そのように解釈ができます

■ 体育館のみどりとたまこのショット

これはもうBDがでてからでないと細かく指摘できないのですが、体育館の壁にふたりが並んで体育座りして話すシーンのカメラワークが、とてもおもしろいので、あれはちょっとBDが出たらいろいろ見返してみたいところです

単純にかいつまんで言うと、あのシーン、最初正面からふたりが並んでいるショットが入って、その時は右側(たまこ側)に大きな「空間」があるんですが、話が終わると、今度は同じように正面から写した、左側(みどり側)に大きな「空間」があるショットがきます。なので、その「空間」が、あたかも「ふたりが心に溜め込んだ思い」のように見ることができます。話す前はたまこがいっぱい溜め込んでいたものが、話が終わったあとは、たまこから、もち蔵からの告白や悩みを聞いたみどりがいろんな思いを溜め込んでしまう、そういう暗喩なんじゃないかと思いました

また話の間、カメラが右手前に置かれたみどりのかばん舐めやや遠くから映してから、桂馬飛びして左手前へ接近し、さらにたまこの右側に近づいていく、という動きをするシーンとか、あのへんも「飛び石」を意識してるのかな、とか

ひなこの葬儀の時、たまこはもち蔵のことを話しているけど、映像はたまこを見ている幼いみどりの回想からみどりのアップで、あれは紛れも無く、みどりの「私もいたのに(気づいてもらえない)」という切ない心情を描いているのですが、それはもう見たままですねw

あのシーンのカメラワークには、ふたりの心情を反映させた意図があるように思われるので、研究してみる価値があるように思います

■ 橋について追記

以前の考察についての、ちょっとした傍証
学校のシーンのカーテンショットとして、学校の池に架かっている石橋のカットが2度使われています。最初は横から写したもの。二度目は上から見下ろしたもので、最初は池が曲がっていて、二度目は橋が曲がっている事がわかります。このへんにどういう意味があるのかまだわかりませんが、何にせよ「橋」が意味を持っていることは、このあたりからもうかがえると思います

■ 鳥ですが…

これは本当に小ネタ
夜の鴨川に佇むもち蔵のシーンで飛んでく鳥なんですが、あれ2本の冠毛があるので、多分シラサギのコサギと思われます
あの冠毛は夏にだけ生えるそうです



今回はこんなとこで
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