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【まとめ】 9/16放送実況時「たまこラブストーリー」読解全時系列ツイート

 えーと、9/16にTOKYOMXで初めて地上波で放送した「たまこラブストーリー」のTwitter実況で流していた全ツイートを時系列順にまとめたものを掲示しておきます。ハッシュタグは「#SMTLS読解」でした
 
この解釈が現時点での自分の理解、ということになります。この理解にたどり着いた過程は、このブログを読み返していただければわかると思います。過去の記事に言及していてこちらには言及していないことも多々ありますが、それはあまり重視されることではなかった、ということで…まあ時間もありますしw

自分が特に協調したい部分は赤字にしましたw
自分自身にとっての記録としても、ここにメモっておきます
 
 
【直前告知】TOKYOMX放送の「たまこラブストーリー」では、個人的な読解ツイートを連投します。タグは「#SMTLS読解」。興味のある方はどうぞ。不要な方はタグをNGかミュートワード設定してください 
#tamakolovestory 
#SMTLS読解

【総論1-1】本作は、山田監督の前作「映画けいおん!」が、そのラストシーンが象徴するように「橋を渡る物語」として総括できることに対して、(たまこともち蔵の間に)「橋を架ける物語」と総括できる #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論1-2】この「橋」とはふたつの世界を繋げる概念で、作中様々なイコンで現れる。タイトルにもモチーフされる「糸電話」が象徴的で、これはたまこともち蔵の部屋と部屋をつなぎ、心を渡らせる #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論1-3】もう一つの要点は「往復」。恋愛が成就するには一方通行ではダメで、思いが「橋」を「行き来」しなければならない。作中に「行って帰る」「リバース」を示唆するものが、幾つか登場する #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論1-4】この物語は、表層的には、もち蔵が橋を架け、たまこが橋を架け、思いを行き来させて通じ合わせるまでの物語といえる #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論2-1】深層的には、本作には「死」が影を落としている。死者、死にかける者、観念的に死んで蘇る者が登場する #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論2-2】この文脈では、本作は「たまこが転生し、自己を確立して周辺との関係性を再構築する物語」といえる  #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論2-3】鍵は亡母ひな子の存在であり、本作でたまこは母親との関係性を「亡母の影を追う娘」から「恋する女同士」へと改めていく #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論2-4】「死」を「終わり」と読めば、山田監督は本作を通じて「終わりを越えていく価値」。「時間を越える価値」を描き出そうとしているといえる #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論2-5】この姿勢は、卒業という「終わり」の先に残る価値を描いた「映画けいおん!」と通底する。これはおそらく次回作「聲の形」とも通じる。クリエイターとしての彼女の主題だと思う #SMTLS読解 #tamakolovestory

【総論3】新作「聲の形」においても間違いなく「橋」と「死」は読解上、注目すべき演出要素であるだろう #SMTLS読解 #tamakolovestory

【アバン】本作のアバンには、この物語を読み解く上での最低限の情報が全て与えられている #SMTLS読解

【アバン】英文は万有引力を発見したニュートンの言葉。「いつもそのことばかりを考えていたので」 #SMTLS読解

【アバン】「引力」=「惹かれあう力」。地球と月の関係性は引力と遠心力が釣りあって、離れられずくっつくこともない。現在のたまこともち蔵の関係性 #SMTLS読解

【アバン】「引力」は恋心、親愛の情であることは明白。では「遠心力」は? 引力に匹敵するほどふたりを遠ざける力は、確かに存在する #SMTLS読解

【アバン】「リンゴ」はアダムとイブに性を認識させた知恵の実。転じて恋愛の象徴。これが床に落ちるのは、もち蔵の恋心。「引力」の象徴 #SMTLS読解

【アバン】商店街はたまこともち蔵にとってある意味で家であり家族。かれらを育ててきた地域共同体 #SMTLS読解

【アバン】過去のイベントでの質疑応答で、山田監督はそのキャラクターを育んだ背景を描く重要性を認めている #SMTLS読解

【アバン】「月」は「餅」。赤い星は「火星」。火星の惑星記号は「♂」転じて男性 #SMTLS読解

【アバン】「糸電話」はふたりが思いを渡らせる「橋」。本作の最重要キーアイテム #SMTLS読解

【アバン】回転する円筒の穴から過去を覗く。本作が映画であるということになぞらえて、ゾートロープやキネトスコープをイメージしているのではないか #SMTLS読解

【アバン】かすれたフィルム調の回想。写真がコマ送りでアニメーションされるフィルムは、記憶の中で「時間の止まった者=死者」が「生かされている」ことを示唆する #SMTLS読解

【アバン】記憶がフィルム調であること、またその画面の傷は、たまこともち蔵がひな子の死を引きずっていること(ある意味では彼らの時間も止まっている)またその心理的な傷、心の痛みを象徴している #SMTLS読解

【アバン】この、ふたりが共有するひなこの死と心の傷が「遠心力」。ために、以来たまこは母親のことだけを思っている #SMTLS読解

【アバン】もち蔵の恋心=「引力」は、ひなこの死という「遠心力」と拮抗して、ぐるぐる回るだけで近づけない #SMTLS読解

【アバン】無数に登っていく糸つきの風船。糸電話からちぎれて生まれた無数の言葉と思い。天にいる死者への餞? 叶わぬ思い? それは未来へのきざはしになるのか #SMTLS読解

【アバン】回想シーンにおけるフィルム調と記憶の中の傷は、たまこともち蔵にとっての決定的な事件が起こる場面まで続く #SMTLS読解

【アバン】糸電話は、いつももち蔵からたまこへと架かっていて、たまこはうまくキャッチできないでいる。現在のふたりの関係性の象徴 #SMTLS読解

【OP】たまこは餅が大好き。頭のなかは餅でいっぱい。なぜなのか。それはTVシリーズでも明かされなかったが、本作中で明かされる #SMTLS読解

【OP】もち蔵は映画作り(録画)が好き。理由は想像するしか無いが、おそらく大切な出来事を留めるためで、発端はたまこと同じなのではないか #SMTLS読解

【OP】あんこ。実はふたりの関係をいちばん間近でよく見ている子w #SMTLS読解

【OP】たまこを思うみどり。本作は彼女がたまこへの拘泥から自立し、成長する物語でもあり、第二のヒロインでもある #SMTLS読解

【OP】かんなは友人たちを客観する審判者。本作の名バイプレーヤー。彼女もひとつ、成長のために克服すべき問題をもっている #SMTLS読解

【OP】史織はすでに自分のやりたいこと、やるべきことが見えていて、立ち止まらない。友人たちの中で一番成長して一歩先にいる存在 #SMTLS読解

【OP】学生時代のひなこと豆大は「フィルム」だが、ふたりの恋愛譚は本作の前史であり「時間を越える価値」でもある #SMTLS読解

【OP】川を挟んだのこちら側と対岸は、今いる場所と次に行く場所の象徴。両者は橋でつながっている #SMTLS読解

【OP】OP主題歌は本作における重要なナンバー。この歌が豆大とひなこの恋物語とその思いを、時間を超えてたまこへと伝える #SMTLS読解

ちなみに「バトン」はたまこの(監督の)「魔法少女」への憧れに起因する(=魔法少女のステッキ)。たまこの少女性の象徴 #SMTLS読解

「映画けいおん!」では後輩への歌。本作ではマーチングフェスティバルが卒業を前に主人公たち自身が設定した課題 #SMTLS読解

ところで床の反射がとても気になる。「返すこと」を無意識に意識させようとする仕掛けではないか #SMTLS読解

かんなのかばんの置き方は直角 #SMTLS読解

監督曰く登場するリンゴが本物と偽物なのには意味があるとのこと #SMTLS読解

背景のマーガレット。花言葉「恋占い」「真実の愛」。今のもち蔵としは6:4で「恋占い」だろうかw #SMTLS読解

左から右に流れる飛行機雲。「映画けいおん!」では未来の象徴。本作はそのオマージュか #SMTLS読解

橋の上で川の上流を見ながら将来のことを語る4人。橋は今いる場所から次の場所に行く象徴。川の流れは時の流れ。川の上流は未来の象徴 #SMTLS読解

ここで史織は自分の将来を見据えていることがわかる #SMTLS読解

古語において、ふたつの場所、世界を水平に渡すものは「はし」で、垂直に渡すものは「きざはし(階)」という。共に「橋」のこと #SMTLS読解

かんなの課題は高所恐怖症=垂直方向の克服なので、階段で未来のことを語っている。つまりこれも橋の上での会話で、かんなも自分の課題をわかっている #SMTLS読解

タンポポの花言葉は主にふたつ。花は「真心の愛」。綿毛は「別れ」。ここでは彼女たちの友情の象徴、だがいずれ綿毛となり別れる運命にあることが示唆されている #SMTLS読解

みどりは自分の将来を橋の上で語っていない。OPに出てきた「こちら側」の岸辺を上流へと歩いている。未来に向かいつつも、今いる場所から離れられない #SMTLS読解

商店街に入るところで画面の調子が変わる。商店街はたまこにとって「ホーム」であり、商店街の人々は擬似家族 #SMTLS読解

たまこがもらう花は亡母に捧げる一輪挿しのための花で、これはピンポンマム。花言葉は「君を愛す」を選ぶのが妥当か。彼女が商店街の皆から愛されているという意味 #SMTLS読解

ストレートがまだ飲めないたまこ。乳離れしていない、とも読める。母親から離れられないままという暗喩か #SMTLS読解

もち蔵は家から、商店街から離れる道を選ぼうとしている。彼なりの大人への脱皮だが、その前にたまこへの告白を課題としている #SMTLS読解

思いを伝えるのは糸電話でなければならない。終盤で重要 #SMTLS読解

もち蔵の電車模型は円環するレールの上をグルグル回るだけ。設定資料から、この電車は火星に向かう銀河鉄道(のつもり) #SMTLS読解

火星=♂=大人の男性の象徴。だが円環の上を走る列車はどこへも行けない。告白できず(大人の男になれず)に、ぐるぐる回っているばかりという寓意 #SMTLS読解

ここでもち蔵が撮影している絵がEDで使われている? #tamakolovestory

余談。手前の女の子、後ろの男子に興味がある? #tamakolovestory

ここでも床の反射 #SMTLS読解

もち蔵とみどりの会話。みどりはもち蔵を煽る。後述するが、ぐるぐる回っているだけ。その本当の理由を、おそらくみどりも知っている #SMTLS読解

コマのような窓の影の中を飛ぶ鳥。フィルム=映画の寓意? 彼を未来に羽ばたかせるもの #SMTLS読解

みどりは階=橋を降りていく。彼女の心理が自己嫌悪に陥って悪い方向に向かっていること。踊り場でたまこは光の中、みどりは影 #SMTLS読解

「俺達はずっと仲間だ~」は「スタートレック2」でのスポックの最期のセリフ「I have been,and always shall be,your friend」が元ネタか #SMTLS読解

というのは、コンテ段階の映研の背景設定画にはスタートレック関連の落書きが確認できるため #SMTLS読解

小指にキスをして誓うのは「スタンド・バイ・ミー」が元ネタ。トモダチは「ET」が元ネタと思われる #SMTLS読解

鴨川の「飛び石」は本作でもっとも重要な「橋」。今いる場所から次の場所に行く象徴。もち蔵にとってはその石はフィルムのコマでもあるだろう #SMTLS読解

たまこが手にした石は「餅」のイメージ。たまこの頭のなかは餅のことばかり #SMTLS読解

そんなたまこを見て、結局もち蔵は言えない。餅が持っている意味こそ、もち蔵に告白をためらわせてきたもの #SMTLS読解

橋の途中で立ち止まるもち蔵。先に行けない。だが後に、彼がこの石の先に行く場面が出てくる。たまこはもち蔵を追い越して戻る #SMTLS読解

演出上のポイントとして、二人の間で重要な意志の伝達は、常に画面上手(右側)から下手(左側)へ行われる。冒頭の糸電話も同じ。例外は作中に一度しか無い #SMTLS読解

ここで「餅」の持つ本当の意味が明かされる。餅とはたまこにとって亡母の象徴で、餅へのこだわりは亡母への思慕。たまこは母親のことは全く口にしていないが… #SMTLS読解

だが同じ連想をもち蔵もしている。たまこが追いかけているのは母親。餅=亡母しか見えていない。それが彼が告白をためらっていた本質というわけ #SMTLS読解
 
だが、たまこが手にしていた石=餅=母親が水中に落ちる。つまりふたりの間からひなこの存在が消える #SMTLS読解

だからここで、もち蔵はたまこに告白でき、それがたまこの心に届く。ふたりの立ち位置が入れ替わっていることに注目。重要な意志の伝達は右から左へ #SMTLS読解
 
たまこが水中に落ちる。水中は石=餅=亡母ひなこのいる世界=死の世界。つまり、ここで亡母にこだわっていたこれまでのたまこは概念的に「死んだ」ことになる #SMTLS読解

「ここでたまこが死んでいる」という傍証は、この後の演出から、いくつもの指摘ができる #SMTLS読解

TV第五話で、たまこはかなづちで水中では目も開けられない。だがここでは目を開けて沈んでいる。「びっくりしたから」は上辺の解釈。裏の意味は「死んだから」 #SMTLS読解

水中から出てきたたまこは「転生者」。それまでの彼女がクリアされた状態。だから言葉もおかしい #SMTLS読解

商店街を駆け抜けるたまこ。商店街は産道でもあるかもしれない。つまりここで商店街が本当の意味で彼女の母胎になっている #SMTLS読解

実家に現れたたまこが「ずぶ濡れ」なのも、つまり「生まれたて」だから #SMTLS読解
 
「裸眼」になっているのも「生まれたて」だから #SMTLS読解
 
中庭左手前に出てくるセンリョウの木はお正月に飾られる縁起物。一方、たまこの誕生日は12月31日。センリョウ=元旦とたまこの組み合わせも、たまこが生まれたてであることを暗喩する #SMTLS読解
 
たまこの中で、餅=母親という刷り込みが、餅=もち蔵という刷り込みに変わっているが、これも「転生」したたまこをとり上げたのはもち蔵だから #SMTLS読解
 
動揺してコケた…というのも表向きの理由。生まれたてなので歩くのが下手 #SMTLS読解
 
…というわけで、この日はたまこが転生したことを示唆する演出がいくつも出てくる #SMTLS読解
 
この場面から後、たまこの回想シーンはフィルム調ではない。母の死が刻んだトラウマが消えて、彼女自身の人生と時間が始まる #SMTLS読解
 
ここから本作は、たまこが彼女自身の人生をやり直し、周辺との関係性を再構築していく、その過程を描いていく #SMTLS読解

うさぎ山御霊祭。ここでも「死」がさり気なく作中に刷り込まれている。たまこが憑かれていた亡母への念が成仏したということかもしれない #SMTLS読解
 
バトンは少女性の象徴。心のバランスポイント(重心)が掴めない。未成熟さ #SMTLS読解

タイムラプス楽しいw #tamakolovestory

彼女の回想はもうフィルム調ではない。川で「死んで蘇った」ことで、母親が死んだことが払拭されている #SMTLS読解
 
窓からの回想。フィルムではないひなこが登場する。母親との関係性が「憧れの死者との関係」ではなく「今も心に生きている者との関係」になったことがわかる #SMTLS読解

「もち蔵くんはたまこのことが大好きなのね」ひなこの言葉はたまこへの助力になっている #SMTLS読解

物語は、そうして生まれ直したたまこだが、やがてでもち蔵との関係の再構築という課題が出てくるという展開へ #SMTLS読解
 
「宇宙」=未知の世界=恋愛、大人の世界。茫漠たるものへの不安。ちなみに「映画けいおん!」では未来や将来は「空」までだった #SMTLS読解

コンタクトは転生してからの成長が実際の年齢に追いついてきた象徴。たまこは再び自分のいる場所を再認識するが… #SMTLS読解

一輪挿しが二輪挿しになっている。ひなこの他にもうひとり死者がいるということの暗喩。鴨川で「死んだ」たまこのこと #SMTLS読解
 
いつもどおりではない要素がひとつある。ここでようやく、物語はたまこの転生を終えて、もち蔵の告白を受けた時点の続きへと戻ってくる #SMTLS読解
 
というわけで、こうしてみると、本作は、たまこが生まれ変わって人生をやり直す物語といえるのがわかると思う #SMTLS読解
 
またしても床の反射 #SMTLS読解
 
タンポポは別れを予感させる #SMTLS読解
 
あんこはもち蔵の良き理解者。それでいいのかw #SMTLS読解
 
もち蔵は橋を渡る。以前居た場所、告白できなかった男から、次の場所に渡りきってしまった #SMTLS読解
 
みどりもまた、たまこが亡母に囚われていると知っていたことがわかる。つまりみどりはもち蔵が告白できない理由を知っていて煽った。自己嫌悪して当然 #SMTLS読解
 
みどりはたまこに自分もたまこを見ていたことを知っていて欲しかった。彼女はひなこの死で止まった3人の時間の中で、いつまでも橋の「こちら側」にいたい人 #SMTLS読解
 
雲や水面の「反射」 #SMTLS読解
 
史織はどんどん先にいってしまう強い人。たまこにポジティブな影響を与えている #SMTLS読解
 
おぼろげにもち蔵への恋愛感情を持ち始めたことで、知っているはずの商店街の人達の別の面が見えてくる。彼女と商店街との関係性が変わっていく #SMTLS読解
 
一番身近な恋の手本が両親。TVシリーズ9話で両親の馴れ初めが描かれている。作中でも簡単な説明 #SMTLS読解
 
たまこが恋愛を自覚していく一方で、もち蔵は停滞してしまった今の場所から次の場所に行こうと思いはじめる。「MARS」は火星=♂=大人の男性の暗喩 #SMTLS読解

ここで背中を押すのがマスターというのがさすがというか #SMTLS読解

もち蔵が告白の時よりも先の飛び石に進むのは、彼の成長への志向 #SMTLS読解

もち蔵を頼もしく思うたまこ。この事件は恋心を決定的にする。だが、もち蔵は次の場所に行くことを心に決めはじめている #SMTLS読解

いうまでもなくこの事件も「死」を意識させる要素 #SMTLS読解

豆大はもち蔵が羽ばたくことを応援しつつも、商店街に繋き止める。男としての理解と娘の父親としてのアンビバレンツ #SMTLS読解
 
もち蔵からのショックな告白も、画面右から左へ、上手から下手へ伝えられている #SMTLS読解
 
以上のシークエンス、福が倒れた原因は餅。結果的には、この事件でたまこはもち蔵に頼もしさを感じ、同時に彼が自分から去ろうとしていることを認識したことになる #SMTLS読解
 
してみると、福の喉に詰まった餅はひなこの化身で、ひなこからの助け舟と見るべきかもしれない #SMTLS読解
 
余談。たまこの部屋にあるこけし、シーサー、ひょうたんはいずれも魔除け #SMTLS読解
 
中庭。どこにも行けない行き止まり感の演出。飛躍する空の方向に出口があるという #SMTLS読解
 
ここでたまこの恋心をはっきり自覚させるのは、一歩先にいっている史織さん。当然の役回り #SMTLS読解
 
史織の背景が広い空というのも演出 #SMTLS読解

チャイムによって始まり、終わる。たまこの恋愛の始まり。みどりの片思いの終わり #SMTLS読解
 
結局、たまこの餅への執着をすりこんだのももち蔵だったという新事実 #SMTLS読解
 
返事。思いを返すこと。それがここで重要な課題としてでてくる。ここまでさんざん反射とか照り返しとかが刷り込まれてきました #SMTLS読解
 
たまこ、もち蔵、みどりの時間を進めたのはもち蔵。たまこも恋愛を自覚して、モラトリアムにいるのはもう彼女だけ #SMTLS読解
 
餅を喉に詰まらせる演技は福の事件の後のたまこには毒。死はモラトリアム。そうまでして自分に意識を向けさせたいみどりの未練、悪しき停滞をかんなは見透かしている #SMTLS読解
 
余談だがミシンとカメラの組み合わせは映写機を意味している。フィルムをミリ秒単位でコマ送りする機構は、ミシンのカム機構を応用して作られた… #SMTLS読解
 
一方でもち蔵の部屋には録画カメラがある。つまりもち蔵は録画機、たまこは映写機というわけで、ふたりはペアの存在という暗喩 #SMTLS読解
 
カセットテープが「反転」する。思いを返すことの大切さが描かれ、少女時代のひなこがたまこの背中を押す。ひなこからの最後の助力 #SMTLS読解

古来言われるように、母と娘は成長に伴って女友達になる。たまこは亡母との関係性を「目指すべき存在」から「同世代の恋する女性同士」として再確立する #SMTLS読解
 
つまり本作は恋愛譚であると同時に、大人になる娘が母との関係性を再構築する物語でもある。その作中でのストーリーアークが広く理解されて欲しいと思う #SMTLS読解
 
迷いがなくなったたまこはバトンをキャッチできる。心の重心を意識できる確信を得ている=自分自身を確立したということ。乳離れでもある #SMTLS読解

みどりはたまこの変化、成長を見て自分の執着を振り払う #SMTLS読解
  
みどりは教室に入らず、入口で踏みとどまる。たまこの世界に踏み込まず、その背中を押す #SMTLS読解
 
フィルムの乱れはみどりのイメージ。散っていく3つの綿毛=3人は彼女の願望。それが是正されて、去るのは自分だけという現実、正しい時間が受容される #SMTLS読解
 
たまこはOPの対岸を走っている。たまこも次の世界にいったということ #SMTLS読解

かんなは今のみどりの変化を肯定し、よって彼女を救う #SMTLS読解
 
風は綿毛を別の場所へ運ぶ。次の世界への「橋」 #SMTLS読解
 
思いを伝えるのは糸電話でなければならない。それによって本作は携帯電話の時代に古典的な「出会えないもどかしさ」の物語を成立させている #SMTLS読解
 
みどりはここでもかんなの背中を押している。これが彼女の成長なのだろう。それはひなこの立ち位置と同じ #SMTLS読解
 
かんなは高いところを克服する。木=風=「橋」。彼女が次の世界に渡るという意味。成長の象徴 #SMTLS読解

後ろの新幹線の窓ガラスはフィルム=映画のよう。新幹線はもち蔵にとっては東京への「橋」 #SMTLS読解

だが、たまこは今は彼にこの橋を渡らせない。次の場所にいく前に伝えるべきことがある。もち蔵がそうしたように #SMTLS読解
 
流れる車両番号がラストシーンへのタイムカウントになっているw #SMTLS読解
 
初めて左から右へ大切な気持ちが伝達される。つまりここで初めて二人の間の気持ちが左右の「往復」を完遂し、物語が完成する #SMTLS読解
 
【ED1-1】もち蔵が撮影したフィルムという設定。偽物のリンゴはたまこの元へはいかない。たまこのもとにいくのは本物のリンゴ #SMTLS読解

【ED1-2】タンポポの花は「真心の愛」綿毛は「離別」だが最後の2輪のタンポポは花のみなので決して綿毛にならない。つまり永遠に「離別」しない。ハッピーエンド #SMTLS読解

【ED2-1】タンポポの綿毛は散っていった=未来に向かう彼女たちを重ねられる #SMTLS読解

【ED2-2】朝の空に最後まで残って煌く星は明けの明星=金星で、惑星記号は「♀」。たまこたちがなっていく大人の女性の暗喩。つまり、こうしてもち蔵は火星=大人の男に、たまこは金星=大人の女になっていく…ということを描いた物語 #SMTLS読解

【おしまい】以上。超記憶術版「たまこラブストーリー」読解/解説でした #SMTLS読解
 

以上なりw
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【聲の形】 9/17公開初日(舞台挨拶夜回)時点での感想 【感想02】

 と、いうわけで「聲の形」公開初日でした!
おめでとうございます!
 
さて
 
今回は、どの辺を気にしてみるべきか、というところをおさらいするつもりで、自分で16日くらい前に書いた感想を読み返してから観劇したんですがホントひどいこといってますね!w
いやまあ…でも、感想は素直に書いたものを間違いがあろうが誤解があろうが、ありのまま積み重ねていく主義なので、あくまで初回直後時点での感想ということでご容赦ください

あと前回の感想で書いてませんでしたが、これは感想なので当然ネタバレを含んでます(今更w
ていうか、ネタバレに配慮していたから試写会直後にアップしなかったわけで、ネタバレ無しの感想なら9/1にとっととアップしてます。そのへんは、わざわざブログに来ていただいているので言外に察してもらえてるとは思うんですが。一応今回はちゃんとお断りしておきます。
 
でまあ、昨日、2回目を見たのですが、おおまかなラインで感じたところはあまり変わっていません。刺さる人にはきっとすごく刺さると思うんです。でも、基本的には自分の心に刺さってくる類ではなかった。というか、ぶっ壊れた自分のソシオパシーな、共感力のなさが浮き彫りになる作品だなと(笑) 色んな意味でこっちが落ち込まされるなと
 
でもまあ、感じられない人がそういう風になるってことはいい作品なんです。それは間違いないです

で、今回は、自分もちょっと視線が優しくなったところはあるし、もっと歩み寄って理解しようと思って見てみました

まず小学生時代のシーケンス。前回はそこが駆け足、ダイジェスト気味に感じたので、演出面で見落とした部分が多すぎたかな?と思ってそこを気にしました。とくに主人公がいじめ?に走るまでの動機の演出、機微
次にヒロインのメンタリティ、人格。いじめられてあの反応は、自分には不可解だったので、ちょっと彼女への理解にも気を配ってみました
後は全体的に仕掛けとか文脈とか見てみました。まあ1度や2度じゃあね…
 
総じて感じたのは、やはり情報量はおそらく半端ない。おそらくというのはやはり自分に刺さってくる作品ではないから感度が鈍いため。ただ「映画けいおん!」の時に感じたような、「あーこりゃなんかよくわかんねーけど、分厚い肉を噛んでしまったぞ」みたいな感じはあったので(笑)、言い換えると1度や2度では理解しきれない作品だなという直感はあったので、何度も見るべき作品なのではないかと思います

自分はこの作品のこと、好きか嫌いかでいったら、多分好きなんだと思います。「大好き!」ではなく、興味と好奇心と探究心を刺激されるという次元での「好き」ですが
 
以上を踏まえ、今回の感想は気づいたことについて雑記していきます
 
■ 主人公ふたりについて
 
最初から、主人公のふたりは自分が嫌いな人間なんだと思って見ると、いろいろ演出や展開についてストンと分かる部分があって、なるほどーと思いましたが、やっぱり自分は自分が嫌いな人間、周りの声で自分自身を否定してしまう人間というのが根本的にわからない人種なので、所々でやはり主人公に感情移入がしにくかった。結果、ちょっとやっぱり「大感激大感動すげー!」という感想は持てそうにない、というのが正直なところです。残念ですが…
 
自分を好きになるって、誰かに自分を肯定してもらわなきゃ無理で、無条件で肯定してもらう経験が必要だと思うんです。一番身近なのは親に愛されることですが。そういう経験が欠如すると自分に対して懐疑的になっていくと思うんです。主人公2人はおそらく周りに愛されているのだけど自分がまわりに愛されていることに気づいてないか無頓着でいる。そういえば、植野と再会して別れた直後の主人公とヒロインの会話の手前の右側に「たまこラブストーリー」でも出てきたピンポンマムが映りますが、花言葉が「君を愛す」なんですね。あれは2人の女の子の気持ちとも思えますが、同時にあのふたりは自分が愛されているということについて鈍感なのかなと。でもそれって若い頃には良くありがちなことでもあって…自分の場合は自分が愛されていて当然くらいの感じで育ってきた末っ子だったので逆の意味で鈍感でした。その辺がやっぱり原作者となのか、山田監督となのかわかりませんが、感覚が違うのかなあと…

話がそれた。話を戻すと、そういう部分で最後の方で橋の上で、将也と硝子が生きていくために互いを必要とすることを確認するという展開はわかるんですが、自分はそれってちょっと悲しい、情けないことじゃないかなと思ってしまう。いやでもそれは大切なことなのか。大切なことではあるのだよな。うん。ごめんオレが悪かったw
 
■ 将也について
 
とにかく、将也と自分はすごく似てる部分と全く相容れない、とても理解できない部分があって、ある問題について同じ反応をするとしても、心の中で思っていることが全く180度違う、というのを薄々感じました…というか感じてたんですが、それが一層強くなりました(笑) 例えば「バツ印」にしてもですね、将也は自己否定の延長としてやっている。自分はそれを能動的にやるし肯定してる。そういうところが見ていてもどかしいというか、なんか…やっぱり、そんなふうに感じなくてもよくね?って思ってしまう。もうホントダメだ自分w
 
ただまあ、自分は彼のこと嫌いではないですね。彼が悪意をもっていじめ?ていたわけではない、というのはわかったし。ただ前回もいったように、それがああいうアプローチになる感覚は自分にはないので、そこはわからないけども
 
ああ、あと前回触れた「父性の欠如」についてですが、外国人の叔父の登場、結弦に勉強を頼まれる流れ、と父性がちらりと垣間見えるのは連続している場面だったので、もしかしたらあれは(去勢されていた)将也の父性の目覚めというか、男性性への覚醒を暗喩するような狙いがあったのかな?ともチラっと思いました
 
■ 硝子について
 
この子も、なにかと謝るのは処世術というよりは自分が嫌いで自分を肯定できないから、という文脈で読んだほうが素直に入ってくるのはわかったんですが…この子、友だちを作ろうとしているようで、本当は人嫌いなんじゃないですか。そもそも自殺をはかるというのは、自分が嫌いと同じがそれ以上に他人に関心がないわけなんで
でも彼女なりに強い部分ももっていて、それは死ぬことを考える弱さとどう共存しているのかなというところが。やっぱり自分には「よく分からない人」です…まだ
 
■ 植野について
 
作品に父性が欠落していると指摘しましたが、花火のシーンで確認したところ、彼女には父母ともに完全な家庭環境があり、弟までいる。なるほど彼女があれほどの人間的剛性をもっているわけだと得心しました。あと、小学校時代のシャツがハイビスカス(赤)。花言葉は「繊細な美」「新しい恋」「勇敢」。あと椰子の木も。椰子は「勝利」「固い決意」。やはり男性性のイメージが重なってきます。全体的に南国のイメージを重ねているのは監督のイメージなんでしょうか?
彼女は大変人間臭くて、人として好きにはなれませんが理解はしやすかったです。女社会怖いです(笑)
 
■ 他のサブキャラについて
 
まあこれはどうでもいいんですが、教師は前も書いたようにやっぱりただのクズですねw 聴覚障害者を健常者と対等に扱おうとするというのは実際に行われているので、その現場を知らないからあれが正しいやり方なのかどうかはわかりませんが、クラスにいじめられっ子を作ってしまったのは完全にダメでしょう。ゲスいですわw
 
あと、川井ですか。初見でもこいつおかしくね?と思ったけど、やっぱりあいつサイコパスみたいにおかしいわw 実際、女社会にはああいうのいるんだろうけど、ああいうのしれっと見せられるとかないませんね。どうでもいいけど、サイコパスの方がソシオパスより上位に立つんだってクリミナル・マインドで言ってたw
 
■ 水と死について
 
「死」が直接的に感じられるシーン、文脈を思い出せる範囲で簡単に羅列しておきます。また「水」との関連についても
 
・将也が自殺を考えている/川への入水自殺
・硝子の祖母が死んだ後の結絃/川岸、滝の脇にいる(ちなみに橋の下流側)
・硝子の祖母の葬式/葬儀場に水を溜めた噴水もしくは小さな人工池がある
・硝子の自殺未遂 
(ちなみにこれは花火の夜だが、しばしば花火は慰霊の主旨でも使われる)
・硝子を助けた将也がマンションから落下/落下時のイメージが水中に落ちた描写
 
というわけで、おそらく間違いなく「水」は「死」と関連付けられているのですが、そもそもそれはなぜなのかというのもあるし、小学生時代のいじめで、ノートを捨てるのも溜池?だったり、将也が硝子にホースで水をぶっかけてたりとか、そういうことにも使われているので…また子供の頃は川に飛び込んだりもしているので。単純に水=死でもない、とも思います
また水は、単純に「音」の存在感をアピールするための装置なのかなとも思います
 
■ 音について
 
前回はなおざりにしていたので…というか…「聴覚障害が扱われるんだから、音については当然このくらいやはってくるでしょ!」という上から目線な期待値通りだったので(ホントひどいな自分!w)、特に感銘がなかったのですが、今回は気を配って観劇しました

無音状態のシーンが2度?あったと思うんですが、それ以外は常に少なくとも環境音があって、いつでも音がどこかしらか響いていて、それも反響音のような、わわわーんと響いてくる音が多くて印象的でした。やっぱり音で感情に訴えようとしていたんだろうと思います
多分これって、BD出てからヘッドホンつけて感激するといろいろ気づくことがあるんじゃないかな、とか、それこそ爆音上映会とかで見たら面白いんじゃないかな
 
■ 橋について
 
重要な舞台装置であるのは指摘するまでもありません。あからさまに大量に出てきます。一緒に渡れなかったり、橋の上で会ったり、一方だけが橋を渡ったり…概ねその場面の心理や状況どおりに演出されてます。電車で硝子から将也に初めてメールが来るシーンでも、窓ガラスの景色で橋が流れていて、つまりふたりを乗せた電車が橋を渡っています。これなかなか気づかないと思うw
 
あと、主人公が橋の上から川を見ているシーンをチェックしていましたが、ほとんどのシーンで将也も硝子も下流を見ている。つまり水流を時の流れに擬えるなら時の下流=過去を見ている。後ろ向きだなーと。川に飛び込むシーンも下流側ですね
ただ、一箇所、将也が上流を見ているシーンがあります。どこだったか。夕日に照らされてるシーンで悩んでるシーンだったと思いますが、あれは今後のことに前向きになってるからなのかな?と思いました
しばらくこれもチェックしていこうと思います
 
■ 花について
 
もう多すぎで無理だっつーの!w
と言ってしまいたいですが、言ってますが(笑)、気づいた範囲で少しづつメモにしていこうと思います

・シロツメグサ/「幸福」「約束」「復讐」
 →SNSの件で自宅謹慎中の将也が握ってる。公園のカット手前にも。結弦からの復讐を受けているから
  同時に自宅謹慎の約束を破り、硝子や姪との交流でささやかな幸福、ということになるでしょうか
・ハイビスカス/「繊細な美」「新しい恋」「勇敢」
・椰子/「勝利」「固い決意」
 →上記の通り、小学生時代の植野のシャツ。個性ですかね?
  病院で植野を待ち伏せしている硝子のシーケンスにも確か椰子の木がワンカット入りますが、これは硝子の「固い決意」でしょう
・ヒマワリ/「私はあなただけを見つめる」「愛慕」「崇拝」「偽りの富」
 →どこだったっけ。落ちたシーンだったっけ?ワンカットありましたよね
・コスモス/「調和」「平和」「謙虚」「愛や人生の喜び」「純潔」(ピンク)
 →これは予告編でも目立つw 「愛や人生の喜び」あたりが真意なんでしょうかね。見返さないとわからない
・ピンポンマム/「君を愛す」
 →上記の通り。ただこのシーン、ピンポンマムの後ろに別の花がある。それと意味を合わせるべきだと思う
・スイートピー/「門出」「別れ」「ほのかな幸せ」「優しい思い出」
 →これもどっかで出てきてたと思う。見返さないとわからんw

というか、見ただけではなんの植物かわからない、というのもあって、たしか結弦がらみで野菊が出てくるカットもあったと思うんですが、野菊の花言葉は単純に「清爽」で、詳細な品名がわからないとこれが正しいかわからない…というw
まあほんとこれはおいおいですね。おいおい
ていうかこういうのって後日、あっさりファンブックとかで一覧表になっちゃったりとかしてたりするから悲しいw
 
■ その他
 
前回、これは山田尚子監督のエヴァなんじゃないの?と言いましたが、自分は旧作のエヴァで、シンジが結局、理解できない他人のいる世界を選び、その後に現れたアスカに「気持ち悪い」と言われるあのオチを、今では理解して肯定しているんです
本作にはそれがない。すくなくともないように見える
そのことが自分の中でやはり相容れない部分なのかな、という感じは今もあります
ただ本作ではそこのところを、他人と理解していく努力を前向きに描くことで超克しているのかな、とも思う。自分はそこに、前も言ったように、山田監督が人間を愛していて、世界を愛している。そういう信念に裏打ちされている作品だと感じるわけです。人間や世界を諦めていない。そして同時に自分がそうではないということを突きつけられる。やはりそこがこの作品について、自分がどうしてもなんか釈然としないというか…変に拘泥しているところなのかと思いました
 
あと、公開したのでいいますが、自分は正直この作品は、賛否、評価が分かれる作品だと思っています
単純なエンタメとしてすげー!感動!っていうのとちょっと違って、多くの人にとって考えさせられる、観客に問いかけてくる作品だと思ったので…ある意味ですごすぎて敬遠されてしまうかもしれない、どちらかと言えば文学的な、あるいは情緒的な。そういう類の作品だと思うんですよ
一般論として、そういうものが果たしてスマッシュヒットになるかどうか、難しいかなあというのが初見での率直な感想でした。それだけに試写会で見てからのこの2週間あまり、社運をかけているかのような松竹のものすごい力の入れようが正直自分は怖くて仕方がなかった。え?これで期待通りの興行成績じゃなかったらどうなっちゃうの?みたいな
 
今もどうなるかさっぱりわかりません
世間的にすごいのかすごくないのか。原作ファンにとってはどうだったのか。自分には本当にわかりません
正直、究極的には、巷の評価がどうあろうと、自分個人と作品との評価があれば別にいいんじゃね?とは思うんですが、それでも作り手が今後も良い活動をしていくには興行成績は無視できないわけで…山田監督にマイナスの形にならないか、それがちょっと気がかりですし、そうならなければいいなと。これが取り越し苦労だといいなと思います
本当にいい作品だとは思うので、成功することを祈っています
 
あと、自分まだパンフレット読んでないw
でもこういうのは文字情報やインタビューの情報を入れると、作品以外の情報によって少しづつ色が付いていって、自分の感じ方や意識もそちらに誘導されてしまうので、なるべくそういうのは見ないで何度か映画自体とのみ、接していこうと思います。そもそも自分、作品のみで語りたいことが語り尽くされてない作品は凡作というのが信条ですし、山田監督も当然、作品のみで語るつもりで作品を作っていると信じています
 
あと、どうでもいいんですが山のカット綺麗だったね!
これも山アニメ!山アニメだよ!山クラスタは見に行こうぜ!(おい
 
とりあえず今回はこんなところで
 
(初稿 2016.09.18)

【聲の形】 8/30試写会時点での初見感想 【感想01】

■ はじめに
 
本稿は、2016年8月30日(火)東京都港区虎ノ門ニッショーホールで行われた講談社合同先行試写会を見た時点での個人の感想です。自分にとっては初見です。この記事の主幹部は同日夜から翌31日にかけて記述され、修正を加えて正式公開日の9月17日に一般公開されたものであることを記しておきます。
 
なお、信じられないことかもしれませんが、自分は観劇まで、本作の原作を全く、文字通りの全く、1Pも読んでいません作品に関する知識は一般的なレビューに記されているような、障害者やいじめが扱われた作品である、という程度であり、キャラクター名も把握していなければ、レビューが記している作品さわりの部分?以後の物語がどう展開し、どう完結するのかも知らない状態で映画を観劇しました。

最後に、自分は原作の扱う「障害者」「いじめ」といったテーマが生理的に嫌いで、原作未読ですが先入観として嫌悪感を持っています。本作のファンの方には不快な表現が多々あるであろうことを予めお断りします。
ただし、これは個人の感想であり個人のブログなので、クレームは受け付けません。クレームは不毛なので、以下を読まず、ここでお引き取りください。

この記事は8/30から8/31時点に書かれたものなので、その時点での自分の思い込みや理解、得ていた情報によって書かれています。またその頃は、ほぼ一切のメディアの摂取をしていませんでした
よって、その後のインタビューとかは全く勘案されていませんので(笑)、それと矛盾することが書いてあったり、誤解があってもご容赦ください

以上をご留意、ご了解の上、以下の記事をお読みください。

 
■ 観劇前の自分の先入観について
 
観劇直前に、以下のツイートを残しておきました。
 
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一言で言えば自分はこの「聲の形」という作品がなんとなく嫌いなのです
読んでないけど扱っているテーマが嫌いで、だから読みませんでした
 
「身障者ネタ」…もうそれだけで某24時間テレビみたいな、偽善じみた善意の押し付け、聖人化された身障者像の押し付け、人間ってスバラシイみたいな胸糞悪いエセ感動話が展開されるだろうなと。その先入観でうへぇ、もういりませんお腹いっぱいとなってしまう
さらに「いじめ」もダメ。自分も小、中、高といじめの経験がありましたから、これまた陰惨なイメージしか出てこない。というか…その体験が紛れも無く自分という人間の今を作っているので、創作のそれは自分の全存在に挑戦してくる価値観なわけです。そんなものを偏見なく素直に受け止められるわけがない。実際、創作が描くいじめとその心理描写について共感したことが全く無かった…

だから読みませんでした。話題作とか言われてプッシュされればされるほど絶対に見るものか!と思いました
なんで娯楽を読むのに不快な思いをしてまで見なきゃならんのですか
 
でも、その作品を山田尚子監督がやると聞いた時の失望…ジレンマ…
あなたにはわからないでしょうねえええええ!!(古い)
 
企画発表から公開のこの日まで、自分は喜びのコメントをしたことが無いと思いますが、本音はこういうことです(笑)
でも、ここで見ないという選択をするのも監督のファンとして悔しいので…
見ますよ。どんなものかなと。努めて客観的に

以上を言葉を丸くしてツイートしたのが上の文章です(笑)
 
とまあ、そういう悪感情の吐き出しはさておき…

この企画を聞いた時に自分が最初に思ったのは、「強力な原作をつかまされちゃったなあ」でした。「けいおん!」はこういってはなんだけどそんなに強い原作ではなかった。しかし本作はすでに根強い原作への支持がある。こういう作品を山田監督が手掛けると聞いて、これはどう転んでも辛いことになりそうだなあと。こういう作品って、失敗すれば当然袋叩き、成功しても絶対に根強いアンチが生まれてしまうものだから、正直「あああ~!」って感じでした。もうホント自分はこの流れを歓迎してなかった…

さて、果たしてどういう作品作りをするのか? 主に二択。ひとつは原作を尊重して演出家・映像家のスタンスに徹する。もうひとつは原作を咀嚼して、自分の作品として再構築する…だけど自分は上記の通り原作を読んでいないので、出来上がったものを見ても、どこまでが原作に忠実で、どこからが創作なのか。同じ場面でも文脈や意味が組み替えられているのかどうなのか、それがわからない。だから映画を見るまで、やはり原作を見ておくべきかどうか、大変悩みました
 
しかし結局、原作を見ないで見ることにしました
というのは、本作はおそらく大勢の人、9割方が原作を既読で観劇する…その上での感想や批評が展開されるだろう。ここが原作を再現してたとか、ここが原作をふくらませていたとか……原作への理解を前提にして映画を見る人たちばかりだろう。であれば、全く原作を知らず、見ないで見た人間の感想はそれなりに貴重であろうと、また自分にとってもその第一印象は貴重であるだろうと。原作既読の視点で映画を見ることは後からでもできる。そういう考えからでした。まあ自分の先入観は相当に偏向していますけどw
 
というわけで、そんな自分が見た本作の「素直な」感想を以下に書いていきます。原作のストーリーを全く知らない人の、なんの衒いもない、まっさらな感覚での純粋な感想、ということになります
原作による予備知識も脳内補完もありませんから、劇中のみの情報量では舌足らずなことには容赦なくツッコミも入れると思いますし、「原作の再現度が高いから素晴らしい」みたいな、原作があっての評価はしません。自分はただこの映画作品とだけ向かい合います

自由にぶっちゃけて書いていきます。よって、原作既読の方にはトンチキなことを言っているように見える部分もあろうかと思いますが、その点はご容赦ください
 
■ 全体の感想~本作と自分のすり合わせ
 
まず、自分が理解した限り、本作のテーマはディスコミュニケーションの超克と自己肯定をいかに成すか。だと思います。それまでの道程を小学校から高校まで描いている。ちょっと駆け足で一つ一つの要素の掘り下げが浅めになってしまい、それがもったいなかった印象を持ちましたが

 
でまあ…そのドラマについていうと、わかる。理屈では
なにがどうなったのか。どんな心の動きがあったのか。理屈では
でも、心で共感できない
自分の経験に照らしてしまうと。自分の心に照らしてしまうとダメだった…
 
これは感想なので、おのずから、自分自身とすり合わせていくことになっちゃうんですが、正直に言うと、これが非常に相性が悪かった(笑)
もちろん、こういうことをいうと「現実と虚構の見境をつけろ」っていわれるかもしれないですけど(笑) ただ感想としての好き/嫌い、良い/悪いと感じる自分の経験や価値観がやはり関わってくるわけですよ。そこのところでウマが合わないのを感じました
 
まず、自分はもうあんな繊細さは持っていないなあというのが(笑)
今の自分は…過去に人間関係でいろいろあって、人と人は分かり合えないものだと絶望しているし、同時に、でもそれでいいんだと諦観している。エヴァみたいなこと言ってるけど(笑) そのことに対する嘆きをもう感じないようにしている。そんなことは別にどうでもいい。そこに人がいるだけでそれが慰めや希望になるのが人間だとも思っている。今度はカイジみたいなこと言ってますが(笑)
でも今の自分の人生観ってそんな感じなんですよね…なんか
 
そもそも自分には、少年期の主人公みたいに身障者にあんないたずらをしようなんて感覚はなかったし、いたずらや、相手が嫌がることをすることによってコミュニケーションをはかろうとするいじめっ子の感覚、あるいは考えがそもそも根本的に理解できないのです。かと言って、誰かを傷つけたからといって自殺まで自己を全否定するような感性もない。本作の主人公は、そこで自己否定してしまって、自分を赦せなくて、どうしたら自分を肯定できるのか、赦せるのかともがいてしまう。自分の場合、自己評価は決して高くないけれど、理不尽への怒りと自己愛とプライドは高いので、ために自分が死のうとは思えない。ふてぶてしく生き残ろうと自己正当化してしまう…ここが主人公と決定的に違う(笑) 
だから主人公に感情移入ができなかった(どっちかというと、自分の感性は脇役に近い…)。なので事象として客観的に見ていただけというか…

自分に言わせると、この主人公は悪い意味で弱い。そして優しすぎる。ああいう傷つき方をしてしまう人間はそれは自殺に走るだろうと思う。っていうか、なんでそんなに傷つくんだよって思う。ああ、そういうところは作品に感情移入してたのかなー…
また、ただ謝るってだけのことができなくて、ようやく最後にそこに至るのも、正直ピンとはこなかった。それも自己肯定感が関わっているのかもしれないけど…うーん…もうちょっと見返さないと深いところはなんとも言えない。作品構造が掴みきれていないかも
 
また、自分がヒロインみたいに一方的に理不尽な暴力、否定をつき付けられたらものすごく傷つくし、相手を絶対に赦さないと思う。赦すというのは自信のある人間だからやれること。自己評価の低い自分は理不尽も他人も赦すことができない。とことん追いつめられたら、自己愛が強いからニンジャスレイヤーみたいに「すべて殺してしまえばいいのだ!」となっちゃう(笑) でもここでも、ヒロインの感じ方は自分とは違う。彼女は逆に根っこが強いのか? 彼女の処世術なのだろうけど攻撃に笑顔で謝っちゃう。それは攻撃に対する愛想笑いという処世術はわかる。でも彼女、さらに赦してませんか? それとも赦してなかったんでしょうか? でも赦した相手だから好きになるんですよね? 自分はやっぱりそこで、謝罪もなくなぜ赦せるんだ?と自分は思う。妹が小動物の死体を撮影する目的からいって、描かれていないところで、ヒロインが自分の障害のためか、いじめのためかわからないけど、以前から笑顔の影で陰々滅々と自殺を考えていたのは明白。だけど、前者の苦しみは自分にはわからないし、後者の感性も自分にはわからない…やはり共感しにくい…
 
主人公に共感できないというのが…やはりなんかな…うん…
 
さらに、自分は学生時代、他人との関係性に苦しめられる沼の中で、マンガやアニメ、オタクの世界への逃避に救いを見出してしまったので、それでもあくまで他人との関係性に救いを模索する話というのは、自分にとってファンタジーで、別世界の物語なんですよ…身も蓋もないけど(笑) 自分はいじめの時代を脱したあと、今度は逆に失われた時間や、孤独な他人を救済したいという代償行為のために「みんな」と繋がろうとして、結果的にこれまた手痛い経験をしたこともあるから、「みんな」を求めて肯定受容するという方向も間違っている、というのが人生訓でもあって。だから今の自分は自分の意志で他人の顔にバツつけて生きることを肯定しているし、限られた人間にだけそのバツを剥がす人間でもある。結局、幸福は自分の身の丈でだけ得られればいい。確かに一人で生きていくことは出来ないけど、そのために理解者が多い必要など無い。そのために世界が全部開けて見える必要など無いし、誰しもと繋がる必要など無い、それはむしろ自分を苦しめると今は思っているのですが…
 
本作で、物語の最後にバツが全部取れたというのは、おそらく主人公の自己肯定からくる世界の受容なのだけど、でも、そうして世界が広がったからそれがなんなん?本当にそれっていいことなん?と自分は思ってしまう。でもそこでまた他人に失望、絶望させられるのが人界ですよって。そう思っちゃう。まさにエヴァ(笑)

だからあのラストは…うーん…と思う。わかるけど。理屈ではいい話ってのはわかるけど
 
ここまで書いてきて、そうか、あのバツが一斉にハラリと落ちるラストの既視感って、あれがエヴァ(TV)での、みんなからおめでとうって言われるオチに似てるんだ、と気づく。ディスコミュニケーションと自殺を考えるほどに自己不信を抱えた人間が、紆余曲折の末に、自分と世界を受容するから。そうか、これはどっちも似たような題材を描いてるんだと
だから自分のこの作品への感想は昔のエヴァへのイメージや感想に近づいていくのか…で、気づく
もしかして、自分は山田尚子版の「エヴァンゲリオン」を見せられたのでは?(笑)
すごいな!「シン・ゴジラ」と同時期に山田尚子のエヴァとか!w
 
……話を戻すと、さらに本作は、人が変わることを肯定している、要求しているんだと思います
人が変わらないことで自分もまわりの人間も傷つく、主人公は自己否定する自分を変えなければならず、ヒロインも自分が変わらなければならないと思う。自分が変わると世界も変わるよと、そういうお話だと思う?んですが…
 
でもごめん。自分は正直、変わらない人が悪いと思えないんだ
対人関係において互いに妥協や譲歩や感謝や奉仕は必要だと思うけど、それぞれ、自分としてそこは変えられないとか変われないとか、そういう部分はあると思うし。そういう変化は自発的なものであるべきで、自分が納得しない限り、変化する必要などない。変わらない結果がどうあろうとそれは自分自身であることより尊いものではないと思う。だって他人は自分にはなってくれないから。だから変わらない他人を受け入れる優しさが人間(じんかん)には必要なんでないの?と自分は考えてる
 
例えば作中に、ヒロインが他人に、彼女が変わらなかったことを責められる場面がある。でも、別に自分はそんなの責めてどうすんのとしか思わない。誰かがその人のままでいるせいで人間関係が壊れていくなら、それはお互い様だし、ただそれだけの関係なんでないの?としか思えない…もっとも、作中では、だから皆態度を改め、少しづつ自分を変えて関係を維持していくんだけども、自分はそれならそれで、どうしてそこまでして、あんなひどいことを言い合った相手と繋がろうとすんの?って思っちゃう
…あああw オレってほんと人間嫌いなんだなあ!w
 
だから自分は、この作品って山田尚子って人がホントに人間が好きで、人間に期待してて、人間を愛してる、人間の世界を肯定したいっていうテーゼ、思想に裏打ちされて作られてると思う。それは「けいおん!」から強く感じていたんだけど、自分はけいおんでそれを感じた時、それを眩しく思ったし憧れたし癒やされた。でも本作では逆に、自分が別種類の人間であることを強く意識させられたんだよ!失楽園だよ。最悪だよ!(笑)

ただこの点について、とりあえず作品は自発的な変化を肯定しているように見えたんですが、もしかしたら違うのかもしれない。次回はそこを改めて注意して見てみたいかな…
 
そんなわけで…本作のテーゼはどうも今の自分には全く響かない…なんかズレてる。いやまだ1度しか見てないからこの理解が本当に正しいのか、まだよくわからないけど。今はそう思う。いや、もちろんあれで感動するのもありだと思いますけど
 
……辛い
これ、自分の異端さ、心の傷が浮き彫りになって痛い……
こまーるなー♪
 
 
ところで、最初に言っていた障害者ネタへの嫌悪ですが、これは不思議と全く感じなかった
というのは、本作における聾唖という設定ってただ、主人公のディスコミュニケーションっぷりを相対化して浮き彫りにするための仕掛けですよね。本作は決して聾唖者問題を描いているわけではない。聾唖はただヒロインの個性として落とし込まれていて、それにまつわる差別や陰惨さの描写は触り程度でほとんどしていない。作品は主人公も世界に耳を塞いで塞ぎこんでいく流れになっていくことで、聾唖はただ主人公を相対化するためだけの設定になってしまい、かえって、ためだけにわざわざ聾唖者を出したという「あざとさ」だけを感じるものになってしまっていた感がありました。これは原作のせいなのかアニメ化のせいなのかわかりませんが。肩透かしを食らったような感じと、同時にうーん?となったりして
一方で、脇役たちは表層的な描写をされていたためか、むしろ理解しやすく、いろいろ感想を抱きやすい存在でした。こいつはいい奴だなーとかこいつやな奴だなーとか。その気持ちわかるーとか(笑) そういうところは普通に作品に乗せられたし、のめり込めたと思います
 
あと、恋愛要素薄くてちょっと残念だった
自分はもうちょっと期待してたんだけど、主人公があんな風に去勢されてちゃ無理なんな…ヒロインが頑張ってるのに報われないのはちょっと可哀想。あと、ライバルの子は感情表現がトゲトゲしてて、ネチっこくて、ある意味すごく「女」で、これが見てて全然気持ちよくなれない(笑) まあそれはそれで人間臭くて面白いけど
また、aikoの主題歌がキラキラしたラブソングなもんで、なんか作品と噛み合わないなーというのはありました(笑)
  
■ もうちょっと客観的に見て…なにが欠如していたのか
 
ともあれ、どうしてこうも自分とこの作品の主人公の感性にはズレがあるのか…改めてそう考えていて、不意にそのもっともらしい理由に、はたと気づいたんです
 
本作は「父性」が欠落している
 
ハッキリとそう描かれてはいませんが、おそらく、主人公とヒロインには父親がいない。少なくともすぐに出会える環境にはない。ヒロインは補聴器をあれだけ奪われても父親は怒鳴りこんでこないし、主人公が家にいっても父親はいない。さらにいうと、ばあさんはいてもじいさんはいない。主人公の家にも父親の影はない
 
では、父親の代役となる大人の男性はどこにいるのか?
小学校の担任教師。あいつはヒロインを健常者と同じ扱いしていたのかもしれないが、無思慮で生徒のことなどろくに見ていないクズだった。主人公の家に居候?している姉夫婦の旦那で姪の父親。気の良さそうな陽気な人。だがこの人物はワンカットだけ帰ってくるという形で登場し、しかも外人なんですよ。唯一まともな「父親」が「外人」。これは象徴的で、意図を感じます
 
もしかして、この作品からは意図的に父親が排外されている。父性が排除されている
だから主人公のメンタリティがああなる…というか、主人公のメンタリティを惰弱にするために、こう設定しているのでは?
 
本作の主人公からは、父性が与える人格的剛性、不正義への怒りや攻撃性、現実と妥結する力や、現実や他者を乗り越えて我を通す強さ、そして無駄な争いを避け、ルールによる調和を求める感性が削ぎ落とされている。父性を欠落させられているんです 
有り体に言えば、本作の主人公は去勢されている
 
それによってこの作品はこの恋々とした、もだもだした筋書きを成立させているんじゃないですか?
自分が本作に感じた不自然さ、違和感って、その作為性なのかも?
 
……そういや、シンジも人生から父性が欠落してる人間だったな(遠い目)
 
もっというと、主人公の小学生時代の親友。あの裏切り方。あれには自分は違和感を覚えました。ああいうケースもあるのでしょうが、男社会ってもっと仁義を重んじません? あれもどっちかというと、女性のメンタリティですよ。登場人物にしてもあれは少女漫画に出てくる少年、青年たちだったなあと…。あと、ヒロインの妹が主人公に勉強を教えてほしいと頼むシーン。あれが妙に印象に残った。それもおそらく、あの場面は唯一と言っていいほど、少女が年上の男性に父性を求めたレアな場面だったからです。あの場面はかえって作中の父性の欠如を際立たせていた…
 
というわけで
これは女性のメンタリティによる
女性向けの作品なのでは?
……という分析、仮説に至りましたw
 
まとめ:
わりと本気で、本作は
山田尚子版エヴァンゲリオンだと思う
そうか…ライバルは新海誠ではなく、庵野秀明だったか…!!
エヴァを補助線とすると作品構造がスルスルと紐解かれる直感がします
 
■ 構成について
 
原作を知らないのでわからないですが、先述の通り、相当に駆け足な印象で、特に前半はダイジェストのような感覚に陥りました。例えば、小学生の頃、主人公がなぜヒロインにあんなに粗暴に接したのか、ヒロインがそれをどう受け止めたのか、その深いところの感情、思索を場面から汲み取ることは出来ませんでした。ここが理解できたら、本作への印象は全く変わったかもしれないと思います

中盤、主人公がヒロインとの再会を通じて、失ったものを再構築していく過程は積み重ねが丁寧に描かれていて良かったです。それがぶち壊されヒロインの自殺阻止までが起承転結の「転」になるかと思うんですが、そこからの展開が、それがきっかけになって全てが吐き出され問題が畳まれていくという展開の安直さがちょっと…これは原作の作りがそうなってるせいなんでしょうか。ああいう仲直りってまさに自分にはファンタジー…あんな風になったらもう永久に破綻しないっすか?…すいません
…というのと、全体的に転結部がちょっと間延びした感じがしました
ただ全体的には、無難によくまとまっていたのではと思います。この辺は吉田玲子さんの手腕でしょうか
 
■ 映像や演出
 
映像表現についてはさすがの丁寧さだと思いましたが、でも実は正直、ハッとさせられるものはありませんでした。自分が感情移入できてなかったせいかもしれないけど、おお!このカメラアングルすごい!とか、この見せ方すごい!みたいなのはあまり感じられませんでした…うーん。なんだろう?
でも、もう一回見てみたらこの感想は全然変わるのかも。今回はストーリー追いかけるだけで、わりといっぱいいっぱいだった
 
演出。自分はもっとどぎつい演出をやってくれるかなと思っていました。山田監督が「Free!」なんかで見せてくれたような。でもそういうのはなかったですね。つかエンドテロップ見たら演出は山田さんじゃなくて、山田監督は絵コンテだけでした…
というか、絵コンテしかやっていなかったのはがっかりしたというのが正直なところです…
 
■ 小道具や舞台装置の寓意
 
なにより最初に指摘すべきこととして、監督の前作「たまこラブストーリー」に続いて本作には「死」の影が色濃くあり、「死」は本作でも「水」と関連付けられていたように思います。死が描かれる場面、死が意識される場面、水はほぼ常にといっていいほど出てきました。「水没」は本作における「死」の寓意であり、「水中」は本作における「異界」なのではないか思います。例えば主人公はヒロインの自殺を阻止した場面で水中に落ちて死にかけて…というか観念的には死んで生まれ変わってるわけでしょう。水没するということ、水の中に入るということが転生を寓意している可能性もある。その場面の前後の人物描写の変化には要注目だと思います。その観察、確認は今後の課題ですが…
 
しかし山田監督はどうしてこんなに作品に「死」を意識させるんだろう? 「死」というのは「終わり」ということでもあるんだろうか。だとすれば、けいおんでも、たまラブでも、本作でも、「終わり」の先の話を描こうとしたのは彼女の思想なんだろうか? つまり、「たまこラブストーリー」の感想でも言ったけれど、「終わり」を越えていく価値、永遠性を持った価値を描くのが彼女の作家性なのかもしれない。この性向は確かに彼女の3本の映画に共通していると思うんです。このことは改めて強く指摘しておきたいと思います
 
「花」が沢山出てきました。「それぞれの花言葉はそれぞれの場面の人物の心理や状況を表す」といういつもの仕掛けがあると思うので、それはおいおい細かく見ていけたらと思います
 
タイトル通り「聲」の「形」に注目する必要があるでしょう。つまり「聲」の代役となっているイコンが幾つか登場します。「ノート」「接触」「手話」「蝶」「写真」「手すりや空気の振動」等々…価値を伝えようとしているものは本作において全て「聲」であり、山田監督の前二作における音楽や写真に相応するイコンといえるでしょう。それを読み切ることで見えてくるものがあると思います
 
また「橋」(「横断歩道」や「階段」も「橋」)。これも過去の記事で再三触れた通り、山田監督の前二作を踏まえて、今回も重要な舞台装置でした
2つの世界の接点(健常者と聾唖者とか、過去と現在とか)、異なる価値観が出会う場所、別れる場所、運命が転回する場所、境界が曖昧になる「淡い」の場所…等々。古来演劇で「橋」に与えられた幾つかの形而上的な意味がそのままその場所で展開していたと思います。橋でなにが起こるか、橋を渡れるのか渡れないのか、これも、各場面で細かく見ていくとあれこれと評論でき、きっと作品の理解を深めると思います。これも今後の課題ということで
 
本作では「橋の下の水」が結構象徴的な意味を持っていると思います。英語でいう「water under the bridge」は「すぎてしまった取り返しのつかないこと」「過去」を意味します(原典はフランス語とか)。橋の下の流れる水が度々出てくるのは引きずっている過去の寓意と考えていいんじゃないでしょうか。ちなみに、邦画の木下順二監督は「どうしても取り返しのつかないことを取り返そうとすることが、あらゆるドラマの根幹にある」と著書で述べているそうです。そういう意味では、本作はまさに過ぎてしまった取り返しの付かないことをどうにかしたいと頑張る物語ですので
 
で、その「橋の下の水」にいる「鯉」。主人公ふたりが餌をやる鯉。この鯉は多分ダブルミーニングで、鯉が滝を登って昇龍となるように、やがて未来が開けるという一方で、及ばぬ鯉の滝登りという諺があるように、頑張ってもどうにもならないままだという、その両方の意味があるように思います。橋の下の水にいる鯉への餌やりは転じて、どうにもならない過去からそこに棲んでいる、どうにかなるかもしれない「期待」とか、どうにもならない「停滞」の象徴なのかもしれません
 
「手話」に幾つか意味を込めてくるかな?と思いましたが、初見では特に気づいたことはなかったです。手話がわかるなら、なにかしら発見があるのかもしれません
 
「バツ印」は主人公の目に映る世界にあるアイコンですが、あれは一見、主人公が世界を拒んでいるように見えるし、大まかにそういうことなんですが、でも本質的には主人公が自分自身を否定しているからでしょう。囁き声とかも実際にそう言ってるのかは眉唾だなと…なぜなら彼は自殺未遂をした人間ですし、彼がバツをつけていた人間が、実は話しかけると普通に接してくれたり、彼と友人になりたかったりもするわけで、現実・事実と対応していないらしいからです
主人公が否定したいのは自分で、それでも自分を肯定してくれる救いを探してもがいている。そして、中盤まで、そういう救いの存在にはバツが外れるんじゃないかな…と思っています。でもラストは、主人公が自分を変えれば全部消すことができるもの=彼自身に原因がある、ということがハッキリ示されていますので。この点も今後何度か見返してチェックしておこうと思います
あと、この仕掛については、作中終盤にかけて、カメラがあえて主人公に語りかける人たちの顔をなかなか映さない、それによってバツが付いているのかどうかを観客に意識させヤキモキさせる。そういう演出をしているのは面白かったです
 
■ 音楽・音響
 
専門外なのでなんともいえませんが、もっと音の有無を効果的に使ってくるかなと思っていました。もちろんそういう演出はあったんですが(特に前半の幾つかの場面で)、想像を越えるような衝撃は特に感じませんでした。今後の確認課題
 
■ その他
 
いろいろ否定的な事を言いましたが、もしかしたら多分に自分の偏見フィルタで作品を見ているかもしれないので、今度はもうちょっとスタンスを変えて見てみようと思います。どこかに妥協点や理解が生まれるかもしれないので
 
あと、来場者(招待客)が圧倒的に女性過多だった。その理由は上記したような作品に対する仮説を持っているのですが、なんにしても女性層の口コミを狙っているのと、やはりメインターゲットは女性層なのかなと。でもこれはどうなんだろう…純粋に恋愛物とも言い辛いし…どのくらい訴求するんだろう?わかりません。正直全くわかりません。自分の分析では本作は完全に女性向けですが、女性が本作を見てどう感じるのかが男性の自分には全く想像がつかないからです
あと、やはり原作が強力なので、原作との違いをいろいろ突っ込まれて足を引っ張られちゃったりするんじゃないかなーと。山田監督にとっては本当にハードルの高い、チャレンジングな作品だったと思います
 
 
 
でも正直にいうと 
山田監督にフリーハンドで作品作らせてあげてよ
「ポスト宮﨑駿戦線」なんかに放り込まないでよって思うんだ…

自分はそういうのが見たいです…やっぱし
 
(2016.8.31初稿)
(2016.9.01追補)
 

テーマ : アニメ・感想
ジャンル : アニメ・コミック

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