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【映画考察】 62回目。今日の気づき

今日は新宿で62回目を観劇しました
そのあとにツィッターのフォロワーさんと3人ほどでオフ会をして、映画の感想戦や意見交換をしたのですが、その中で面白い事に気づきました

それは、劇中に登場する、カメラと写真、ロゼッタストーン、そしてが、「価値を伝達する者」としてイコールで結べるのではないか、という仮説です

過去に自分はロゼッタストーンについては、作中に登場するカメラの頻度と、ロゼッタストーンが過去から未来に情報を伝達する石板であることを根拠として、あれにはオカルト研にとっての呪術的意味合いとして、また制作側の意図するところとして、卒業ライブを石版に焼き付けている、レコーダー、カメラとしての意味があるのではないかと推察しました

ですが今回の発端は全く違う方向からサジェストを受けてのものです
それは、例の「あずキャットくよ」のセリフはすべてカメラ絡みである、という指摘からでした。「あずキャットくよ」のセリフは、作中に3度登場しています。1度目はカメラをとり出そうとして手こずる唯にムギが言ったセリフ。2度目は、ロンドン・アイでカメラ撮影しようとした澪に律が申し出たセリフ。3度目はやはりカメラ撮影しようとした澪が、ムギにお願いして出てきたセリフです
それで、あずキャットとカメラにはなにか関係があるのか? という疑問がでてきたわけです

一方、写真については作中冒頭から登場していて、最後に天使にふれたよ!を聞く梓も持っています
写真は思い出への縁なのか?とも思わせるのですが、そうした後ろ向きの志向は、常に前向きで未来を志向するこの物語とは姿勢として矛盾する。シリーズ中でも、思い出に執着したのはs2e23での手紙を回収しようとしたムギくらいなわけです
では写真をどのように理解すべきか?というところで、これは価値を伝えるもの、伝達するもの、として捉えるべきではないかという推論をもらい、得心しました。つまりここで、先のロゼッタストーンと話がつながったわけです

振り返ると、唯がs2e24で梓に写真を渡したのは、思い出のためではありません。今、そしてこれからも続く絆を伝えるためです。それは過去のTVシリーズでの感想でもいったように、仲間との絆を確かに手に入れいている今の唯には必要のないもの、先輩とのつながりが絶たれることを恐れる今の梓にこそ必要なものだからこそ、唯はあの写真を惜しげもなく梓にあげる。つまり、あの写真は過去のためではなく、現在と未来への価値の伝達のためにある

また、過去の考察記事で自分は、「天使にふれたよ!」は先輩から梓に、唯たちが学生生活で得た絆という最高の価値を伝えるための歌だ説きましたとすれば、梓自身もまた、きっと後輩にその価値を伝えていく存在なわけです

よって 梓=あずキャット=カメラ・写真=ロゼッタストーン=価値の伝達者 という図式が成り立つわけです(余談ですが、桜の花びらもそうですね)


でまあ、感の良い方はわかると思うのですが、これは、先の「何者でもない梓」という考察記事とも関わってくるわけです。この映画に「中野梓」は登場していない(エンディングテロップで初めてフルネームがわかる)。どうも、この作品における梓は、複数の形而上的意味を与えられていて、いかようにも読み解ける存在として設定されているように思われます


…というのが、今日の気づきです。ちょっと面白いのではないかと思います

テーマ : けいおん!
ジャンル : アニメ・コミック

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