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【映画読解】 75回 記録者と受け継ぐ者の物語

75回見ました。今回の感想というか考察というか、私見のもろもろは、前回の記事の補足・補完となるものです


■ 3年生組=記録者であること

ここ数回、特に注意して見ているのはカメラ、レコーダーの類の扱いについてです

これまでをおさらいすると、そもそもは、卒業ライブでのオカルト研のロゼッタストーンの持つ意味はなんなのか?、という疑問から始まっていて、まずロゼッタストーンは時代を越えて文字情報を伝えているアイテムなので、おそらくレコーダーなのであろう、という推察をたて、さらにオカルト研の背後にいるカメラを持っている和、そしてそのふたりと符牒を交わす唯を通じて、やはりロゼッタストーンはカメラ同様の記録装置であり、また唯もその目に仲間たちの演奏の姿を焼き付けていて、この三者は同じことをしている=記録者なのであろう、と結論したのが前回の記事です

で、今回の観劇では、唯は記録者だった。では他のメインキャラクター4人は、記録についてどう振舞っているのか?というところに注目してみました。具体的に言うと、記録においては作中頻繁に登場する「カメラ」がキーアイテムであろうというところから、他のキャラクターは、カメラを使っている場面が描かれていただろうか?というところに注目して観劇しました
※ここで補足ですが、OPの豆コンテを見ると、OPの唯のノートの枠がしぼんで場面が切り替わる演出は、カメラのシャッターをイメージしたものであるのがわかります。つまりカメラが何らかの役割を与えられたキーアイテムであるのは、勝手な思いつきでも考え過ぎでもなくて、山田監督がある程度意識していることなのは間違いないところです

結論から言うと、劇中、唯と梓だけが撮影姿が描かれていません。他の3人は全員カメラを使用する場面が描かれています

具体的に挙げていきます

唯:成田空港で紬を撮影していますが、あれは撮影でなくおふざけでしょう。カムデンタウンでは自前のカメラで撮影しようとしていましたが、撮影シーンはありません

澪:自分のカメラを使って、一番多く撮影しています。空港で律と飛行機を撮りまくっています。ヒースローでも唯に言われるままに空や建物や英語の看板等の写真を撮りまくっています。ホテルに向かう車中からも街並みを撮っています。ロンドン2泊目では、真実の石ごっこを撮影してます。HTTマークの喫茶店で梓を撮影していたはずです。(ロンドン・アイ、市場でもおそらく撮影したでしょうが、撮影シーンはありません)

律:自分のカメラを使って、二番目に多く撮影しています。ロンドン2泊目、逆回転する時計のところで梓を撮影しているのは律です。警察官の前の澪たち4人を撮影しているのはそこにいない律と思われます。ヒースローに向かうタクシーの中で梓を撮影しています

※HTTマークの喫茶店と逆回転の時計の撮影は澪と律が逆だったかも?w 再度確認してみます

紬:ロンドン1泊目に、律のカメラを使って、制服姿の律を撮影しています

梓:OPで、唯のカメラを使って、先輩たちを撮影しようとしていますが、待たされています

この傾向からすると、唯についてはおそらく、上記した卒業ライブでのあの描写が、唯が記録者として描かれている劇中唯一のシーンでしょう。唯がカメラを使わないのは作為的な演出で、唯を、自分の心にその瞬間を焼き付けるキャラクターとして描きたいのだろうと思います。なぜならその描写は、s2e24で、唯が泣きじゃくる梓に自分たちが1年生の時の写真を惜しみなく渡した。その人物像と整合するからです。部屋のコルクボードにあるように、唯は写真を大切にしていますが、写真は象徴であるに過ぎず、その時間は彼女の心に共にあるものなのではないでしょうか

一方、カメラを使いまくる澪は、唯とは対照的に描かれていると言えます。シリーズにおける唯と澪の対比性については過去の記事で考察したり、過去twitterでも指摘したりしていますが(笑)、その文脈に合致します
被写体の傾向を見ると、澪は人物よりも風景を撮影していることが多いように思われますが、そこに理由があるのか、またどういう意味かは今のところなんとも言えませんが、情景、情感といったものへの指向性が強い澪の個性が描かれていると言うことはできると思います

律はまた、澪とは対照的に人物だけを撮影している、ということができるでしょう。律の仲間への気遣いのアンテナ、感受性が人一倍鋭いのは周知のことですが、この描写はその人物像に整合していると思います。りっちゃんは人間に関心が向く人物なのだ、ということもできるでしょう

紬は以前の記事で唯Mk2であると言いましたが(笑)、これは公式ガイドブックでも山田監督も同じようなことをいっているので公式設定ということでいいでしょうw というわけでムギがカメラを使っているのは劇中ただ一度だけです
ですが、TVシリーズとあわせてみると、ムギはs2e23で回し手紙を全部欲しいといってみたり、部室での会話を録音しようとしてみたりと、記録に対する執着心は人一倍強い人物であるように思われます。後述する通り、映画においても撮影記録に対する思い入れがあることが描かれています

しかしこうしてまとめてみると、劇中、澪、律、紬にカメラを使用したシーンがあり、唯は卒業ライブでのあの演出がそれに該当する、ということができ、3年生組は全員、記録者である、ということができるかと思います


■ 梓は被写体であり、価値を受け継ぐ者であること

では、カメラを使ったシーンが描かれていない梓は、先輩に対して何者であるか、というところで、この副題が結論なのですが、梓は価値を受け継ぐ者、として描かれているのだろう、と思われます

理由が大きくふたつ挙げられます
まず、梓は先輩たちの被写体であるということです。前項の記録行為において、唯、澪、律が梓を被写体にしています。ムギは?と思いましたね? ムギには、携帯で撮影した梓を見ているシーンがあります。よって紬にとっても梓は被写体で、つまり劇中、梓は一方的に、先輩たちの記録・記憶対象なのです

次に、前項で示した通り、OPで梓は先輩たちを撮影しようとして待たされています。ですが、s2e24で、また劇中でもワンカット描かれているように、唯から先輩たちが1年の時の写真(と、梓自身の写真)をもらっています。ここで象徴的に、梓は先輩たちが記録・記憶してきたものを先輩たちから譲り受けているのです

以前、s2e24を通して過去の記事で、自分は「天使にふれたよ!」は、唯たちが3年生の部活動で得た最高の価値である「絆」を梓に伝えるための歌だった、と総括し、あの最後の演奏は、大切な後輩への価値の伝達としての演奏だったと、そのように結論しました
ですが、こうして劇場版を通じてみると、このカメラ等による記録・記憶行為もまた、梓への価値の伝達手段としての扱いをされている、と指摘しなければなりません。おそらく、撮影という物質的な側面では澪が象徴的に担っており、卒業ライブでその瞬間を目に焼付け記憶していた唯は、精神的な側面を象徴する役割を担っているのではないかと思います(あくまで、演出面において唯と澪が対比的描写ということですが…)

いずれにせよ、写真においても歌においても(またそこに込められている思いにおいて)、梓は先輩たちから、先輩たちが大切にしてきた価値を受け継ぐ者、なのだろうと思います

まあ、結論としては過去の考察と同じなんですけどねw

■ 補足:映画の時制について

ええと、過去の記事では、s2e26と今回の劇場版の前後関係についてはっきりと結論を付けられなかったのですが、とりあえずs2e26との前後関係は確定しました。以下の通りです

 s2e22:受験合格発表
 劇場版:冒頭~ホワイトボードに「鳥獣戯画」が描かれるまで
 s2e26:留年未決定。ホワイトボードに「チョコやるよ/わはーいん」
 劇場版:留年決定会議(冒頭から一週間ほど)
 s2e23:卒業式前日。ホワイトボードに「チョコやるよ/わはーいん」が消去

根拠は、s2e26のホワイトボードです。これがs2e23と同じなので、その間に鳥獣戯画が書かれて消され、同じものが描き直されたとは考えにくいため、s2e26は劇場版で鳥獣戯画が描かれてから、ロンドン旅行を挟んで、卒業式前日までの間の出来事であることが確定します
また、s2e26が留年かどうかが確定する前の出来事であることから、映画冒頭の会話(一週間後に留年決定会議)からの一週間以内の出来事であることになります

つまり劇場版における
「卒業旅行先決定の日」~「旅行当日」
この間に、留年決定会議があり、その以前にs2e26が入ることになります

テーマ : けいおん!
ジャンル : アニメ・コミック

No title

>TTさん
コメントありがとうございます
写真=思い出のアイテムという後ろ向きな思い込みのために、あまり写真とカメラの存在意義と意図について考察を広げられずにいたのですが、写真が未来に向かって記録を伝達する手段であるという捉え方をすることができたことで、作中に頻繁に登場するカメラと写真の意図を理解できるようになりました
そもそもs2e24で唯が梓に写真を与えたのも、思い出を振り返るためではなく、未来にそれを携えていくためのものですから、この作品において写真は過去のためにあるのではなく、未来の為にあるツールということができると思います。であればおのずから、この作品に登場する写真は、そこに封印された時間の精神的価値、記憶を触発する縁であるに過ぎない、ということになろうかと思います

No title

コメント欄ではご無沙汰していました。
毎度毎度濃い考察、恐れ入ります。
カメラ、写真・・・いいですね。
カメラというものは、ある意味で時間と空間を切り取る装置なんですよね。
では切り取った時空は何処に・・・といったらそれはやっぱり写真、ということではないような気がします。
実際に見たものそのままの色で焼き付けられているわけではないですが、デジタルはともかくフィルムの場合、写真を撮った時そこに存在したことは確かに証明できると思います。
身分を特定する写真などの場合はそれでいいですが、アニメに限らず記念写真のようなものの持つ役割はそれとは違います。
プロが撮ったわけでもなく、しかもただの風景や友人の写真そのものにそこまでの価値なんてありません。
では何故大切にするのか、それは超記憶術先生さんが唯についての部分で触れられている通りです。
シャッターを押したその時その空間にいたことを本当の意味で証明できるのは他でもない当の本人たちしかいません。
そして写真は飽く迄一部を切り取っているに過ぎず、その上下左右にはその場に居合わせた者のみが共有した時間、空間があります。
だから当人たちの心の中には写真ほど鮮明な映像はないにしろ、フレームにはおさまり切れなかった生き生きとした空気が、時間が、そして思いが流れています。
写真というのは、記憶の中の思い出を喚起させる一種のよすがとしての役割を持つものだと思っているので、アニメでの写真を使った演出というのはやはりいいものだと感じます。

No title

>やすさん
コメントありがとうございます
恐縮です。ありがとうございます。なるべく毎日、でもマイペースで気長に更新していこうと思っていますので宜しくお願いします
はい。豊郷に行けたらいいと思います。なかなか難しいでしょうけれどもw

No title

昨年のライブレポート以来ずっと拝読しています。
素晴らしく深い考察、感じ入ることしきり。
10年後にけいおん!の素晴らしさを伝える為に
無理のない中で続けてください。
豊郷の上映会でお会いできると良いですね。

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Author:超記憶術先生
元業界人(コミック系フリーライター)
Twitter:@SuperMnemonic

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