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「たまこラブストーリー」総論:「橋」の物語としてのたまラブ

先日の土曜日に、山田尚子作品について論じる定例オフ会で意見交換をしたのだが、フォロワーさんからもらった視点を元に、映画を鑑賞して、新たな展開ができそうになったので、以下にそれをまとめてみる

そう、今回は「橋」という民俗学的場所から「たまこラブストーリー」を論じてみようと思う。書き上げてみて思いのほか長文になったが、自分の中ではひとつの区切りがつけられたので、発表する
以下はあくまで自分の私見、自分の見解であって、それ以上でもそれ以下でもないことを、予めお断りして、以下を読み進めていただけたらと思う

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「映画けいおん!」において、「橋」は特別な場所だった
そう、ラストシーンで卒業を終えた唯たち4人は、橋の上を駆けていく

自分は「映画けいおん!」を論じた際、古来、橋は離れたふたつの場所を繋ぐものをいうと指摘した。ふたつの場所が水平であれば、それをつなぐのは「はし」であり、上下であればそれは「きざはし(階)」と呼ばれる
そも「はし」とは「端」に由来し、世界の終末点であり、その先は異界である。橋がつなぐその先はいわば未知の世界、あるいは異界なのだ。故に橋は古来、様々な物語において様々な寓意を与えられてきた。あるいは困難の克服、あるいは関係性の変化、あるいは発展、あるいは犠牲、あるいは生死…「橋」はただそれだけで、物語そのものですらある

おそらく…いや間違いなく、山田尚子監督は「映画けいおん!」の最後の橋に、彼女たちの高校時代とその次の世界を繋ぐ象徴的な意味を託していただろう

では、「たまこラブストーリー」はどうなのか
実はこちらのほうが「橋」は物語にはるかに大きな役割を果たしているのではないだろうか?

そんなところからアプローチする

【仮の結論:糸電話=橋】
 
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この物語において最初に登場する橋は、糸電話である

アバンで、糸電話の糸を光が煌き走る。たまこからもち蔵へ。もち蔵からたまこへ。もう一度たまこからもち蔵へ。あの光は「思い」だ
ふたりの部屋、ふたりの心、ふたつの異世界をつないで、互いの思いをわたらせる糸電話は、橋である

 糸電話=橋

とすればこの物語は、あのラストシーンより、たまこからもち蔵へ、そしてもち蔵からたまこへ、糸電話を放り投げ、糸電話という「橋を架ける物語」ということができる

橋を架ける物語は象徴的だ。古来より「橋を架ける」は人の関係性の構築を寓意する。本作は、糸電話という橋が象徴するように、ふたりの間に恋人同士という新たな関係性が構築されるまでの物語であるということができる

アバンとラストシーンと橋論で、この作品をいきなり総括してしまった(笑)
いや、優れた作品は最初と最後で要点をかっちり示すものだ。これは当然の分析結果w

ではこれをおいて、もっと細かく作品を見ていこうと思う

【4人が将来を話す場面は、橋の上】
 
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たまこたちが進路を話す場所は橋の上である

この場面に「映画けいおん!」と同じ寓意を橋に託しているのは自明だ。橋の上から川の上流を眺めているのはさらに暗示的で、彼女たちが高校3年生という将来を俯瞰する特別な場所にいることを象徴している
かんなの進路を語るシーンでは階段に座っているが、上記したように「階段」も「きざはし」つまり「橋」であるから、あれも同じことである

もうひとつ、前半で階段が印象的な場面がある
もち蔵に告白を煽ったみどりが、自己嫌悪して階段に向かう場面だ
いったように、階段=きざはし=橋である。みどりはもち蔵とたまこの関係性を変える干渉をしたことで、たまこを想っていたみどりもまた、次のステージに進むことになったのだ。そしてそれが階段を下ること、というのは彼女の気持ちを反映して、実に暗示的だ

これらの演出からして、山田尚子監督は「階段」もまた「橋」であることを知っているのだろう

【飛び石も橋である。そしてフィルムである】
 
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もち蔵が告白する場所。あの飛び石は「橋」である

この着眼をこそ、自分はフォロワーさんからもらったのだが、まさに慧眼だ
その通り、古くは「因幡の白兎」に登場するワニ(鮫)がそうであるように、飛び石は橋である。あの場所は橋だった。そして過去の記事で指摘したように、フィルムのコマでもあったのだ

 飛び石=フィルム=橋

この指摘はおそらく正しい。もち蔵が次の場所=東京に行こうとする動機は映画=フィルムだからだ。自分は今まで飛び石にフィルムを仮託している理由がわからなかった。逆だったのだ。フィルムこそ彼の飛び石であり、そして次の世界へと渡す、橋だったのだ

そう、あの飛び石はもち蔵の未来に向かう橋だということができる

彼はだからあの飛び石の上でたまこに告白した。彼が次の世界に行くその前に、その橋の上で
そして「星とピエロ」の後、もち蔵がその先の石の上に佇んでいるのは、彼がたまこへのこだわりを振りきって、次の世界に行こうとしている、その姿なのだ

【橋は生死をつなぐ場所。だから…】

そして橋は現世と幽世(かくりよ)を繋ぐものである
古来、様々な物語において橋は死者や幽鬼との接点だった。橋の向こうにいる人間は死者でもあった

だからあの飛び石=橋の上で、ふたりは死者の回想をするのだ
死者であるひなこのことを
そしてあのふたりが死者であるひなこの呪縛を逃れる場所もまた、橋の上でしかありえない

あの石=餅を落とした時、たまこはそれまでの餅=死者という刷り込みを忘れ、目の前にいる異性に餅を投影するようになる
なるほど、橋という異界との淡い(境界)であるなら、そういう呪術的なこともおこるだろう

なんだかもうラブストーリーというより民話、怪談話のようになってきているが(笑)、おそらく本線は外していない
山田監督はまず間違いなく、あの飛び石を「橋」と見立てているからこそ、そこでたまこともち蔵にひなこのことを回想させたのだ。橋の上で生者が死者と接するのは、古来よりある、ごくありふれた物語なのだ

そして事実、この「ラブストーリー」は、生死と無縁の物語ではなかった

ここで福が死にかけるシークエンスがあったことを想起しなければならない
「橋の物語」において、人が死にそうになる、という展開は別段、不思議ではない。言ったように橋は現世と幽世を繋ぐ寓意でもあるからだ。もっとも、その原因が「餅を喉に詰まらせて」というのは…餅に誰が仮託されていたかを考えると、ちょっと恐ろしい話だが…w

しかし、古来の橋の物語において死んでいく者は橋を渡る者だ。福さんは橋を渡ってはいない。結局無事で、ピンピンしていた
この顛末を見てみれば、一見、無用に思われる福のエピソードは、この物語を「橋の物語」と位置づける場合、たまこに対して「親しい誰かが(橋の向こうの)異界へ行くかもしれない」という"揺さぶり"として、必要かつ必然のドラマツルギーだったといえる

なぜなら、もち蔵は「橋」を渡り、たまこの前から異界に行ってしまおうとしているのだから

またこの福のシークエンスを踏まえて、「餅」に幽世へ渡るツールという「橋」的な意味合いを与えるなら、みどりの喉に餅が詰まった振り、というのは、あの場から逃避したい彼女の本音であったのかもしれない

それが間違った選択であることはいうまでもないことで、彼女も本気ではないのだが、その時のみどりのダウナーな気分を、おそらくかんなは感じ取っていたはずだ
それが教室での、全てを前向きにしたみどりとのやりとりのシーンに繋がっていくのだろう

【橋はふたつある】
 
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話を飛び石の場面まで戻す
もうひとつ、あの飛び石で重要な指摘がある。それはその背後に橋があるということだ

そう、飛び石と立派な橋。橋はふたつある

この指摘も自分はフォロワーさんからもらったのだが、自分は橋がふたつあるということに別のことを思ったので、以下はそれを展開する

なぜ橋はワンカットにふたつあるのだろう

「鴨川のあの場所が事実そうなっているから」というのは答えではない。創作物には、ましてすべてが人為によって作られるアニメーションのすべてのコマには必ず意図がある。まして山田尚子なら
わざわざカメラをああ置いて、ふたつの橋を見せていることには必ず意図があるのだ

橋がふたつあるという寓意の一番簡単な答えは「行って帰ってくる(これる)」ということだ。輪になったふたつの世界を行き来できる、ということである。あれはつまり、もち蔵は彼の夢であるフィルムが掛ける東京への橋(=飛び石)を渡っても、帰ってこれる(帰ってくる)、ということなのだろう
確かに現代社会において、京都と東京の移動など深刻な問題ではないし、遠距離恋愛も珍しいことではないだろう。そういう意味ではふたつの世界は、離れていてもつながっていると言える。それに病院のシーンでもち蔵は、豆大に「帰ってこいよ」とも言われている。もっとも、もち蔵は感極まるだけで、彼が将来についてどういうつもりでいるのかはわからないが…

そもそもTVシリーズを踏まえれば、それこそはたまこまーけっとの世界観なのではないか?
帰ってこれるということが。世界はつながっているということが

ふたつの橋が、もち蔵は行っても帰ってこれる、という寓意であるなら、では何が本質的な問題だったのか

【橋は思いで架かっている】
 
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「行って帰ってくる」で思い出されるのは、バトン

たまこは、バトンのトップが餅に見えてしまい、もち蔵を意識している
投げあげたバトンが落ちてくることが、もち蔵が行っても帰ってこれることを寓意しているのなら、バトンを再び地面に引き戻す「万有引力」もまた「橋」ということになる
だがこの作品において、みどりのセリフを踏まえれば、月を地球の周りでぐるぐる回らせる「引き合う力」には「人の思い(愛情)」が寓意されてもいる

 引力=思い=橋

なら、たまこがバトンを受け止められないのは、彼女の思いがもち蔵が帰るための「橋」にならないということであり、彼女が「もち蔵の帰る場所」になれないという寓意だ。つまり、たまこがもち蔵を送り出したら、ふたつの橋があったとしても、たまこがバトンが受け止められない限り、もち蔵の東京への旅立ちはそのままふたりの別れなのだ
だからたまこがバトンを受け取れるようになることは、物語において重要な意味をもっていたのだろう

さらに作中にもうひとつ「行って帰ってくる」ものがある

 

豆大がひなこに贈った歌に、ひなこは豆大にアンサーソングを返す
あのリバースするカセットテープは、そのまま「思い」の往来でもあって、糸電話と同じ、「橋」ということができる
あのデッキがリンゴ=思いと同じ赤い色なのも宜なるかな

 カセットデッキ&テープ=糸電話=橋

あのカセットが、ひなこから豆大への「返歌」をたまこに伝え、それが贈られた思いを返すことの大切さと勇気を与えたのは、見たままのことだ
 
しかし、これらバトンとカセットテープのふたつが寓意し示唆するのは、「思い」が橋を架ける、ということではないか
カセットテープの裏面に録音したのはひなこであろうから、戻る橋はひなこが架けたのだ
そしてバトンを受け止められるようになる、ということは、たまこがもち蔵が戻る橋を架けることに等しい行為なのだ
 
【ラストはたまこの行きて帰りし物語、なのか?】

で、何が結局どうなったのか
ラストの京都駅のシークエンスを考えてみる

もち蔵はエスカレーターで上がり、たまこはそれを追って上がり、階段を下って、また上がり…階段=きざはし=橋で、フロアがひとつの世界を示すのであるなら、彼女は実に4つの異世界をくぐり抜けて、今まさに東京という異世界への橋(=新幹線)を渡ろうとするもち蔵を引き止め、さらにあのパンフレットの表3のショットを見れば、彼を商店街に連れ帰ってきた、ことになる

フロドも真っ青の大クエスト(笑)だが、冗談抜きにして、英雄が異世界に行って価値あるものを取り返して戻ってくる、という話はあまりにも普遍的かつ原始的な英雄譚のフォーマット

だがあのシークエンスは、そういう英雄譚だったと解釈していいのだろうか?

【新幹線も橋である…だがしかし】
 
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ラストシーン、ふたりの背後で流れていく新幹線
これはもう、ここまでの読者さんには説明がいらないはずだ
流れる黒い窓がフィルムのように見えるのは意図的にそう見せている。つまり新幹線は飛び石と同じく、もち蔵を次の世界につなぐ(具体的には、京都と東京をつなぐ)「橋」なのだ

 新幹線=フィルム=飛び石=橋

それはいいとして、問題はたまこがもち蔵にその橋を渡らせなかった(=新幹線に乗らせなかった)ことをどう解釈すべきなのか、ということだ
あれはたまこがもち蔵を、商店街という場所に「引き止めた(連れ帰った)」と解釈すべきなのだろうか?
それともたまこが、もち蔵の帰ってくる場所に成り得た、ということなのだろうか?

しかし…夢に向かうもち蔵を引き止めることも、たまこともち蔵がただ思いを確かめただけということも、あの劇的なラストシーンの意味としては弱すぎる

そこでもう一つの要素が登場する
ラストショットの背景の看板にある「風船」だ

【引力に逆らって飛翔するものは、橋】

前記の通り、引力を思い、戻ってくるための橋とするなら、引力に逆らって飛翔するものはなんだということになるのだろう?
作中に、空を飛んで行くものは少なくとも4つ、登場する

 風船
 飛行機
 
 タンポポの綿毛

このうち、飛行機は海外留学を志している史織を次の世界に渡すツール、つまり「橋」である

鳥は、もち蔵が東京行きをみどりに打ち明ける場面と、星とピエロを出で飛び石のところで見上げる空に登場する。これらは彼の「夢へと飛翔しようとする心」を象徴しているのだろう
またこの前者のシーン、鳥は影として登場し、影の窓枠の中を飛翔する
あれは明らかにフィルムの暗喩であり、つまり鳥もフィルム=飛び石=「橋」と関連付けられているといえる

綿毛の飛翔はによるものだ

風はいくつかの場面で印象的に登場する
告白の直前のシーンで、南風がたまこの髪を揺らす
南の島のシーンで、チョイ「たまこの風」を感じる
木によじ登ったかんなが、風を感じる

風は新しい世界へと綿毛を連れて行く、やはり「橋」であり、新世界の象徴としても使われているといえるだろう

空に舞い上がる綿毛は、空が寓意する「未来」へと飛翔するのかもしれない。しかし散っていくだけで孤独である
すると、おそらく飛行機や、鳥や、綿毛(風)は、この物語において、たまこともち蔵が選ぶべき「橋」ではないのだろう

【風船もまた、飛び石であり橋ということ】
 
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風船が登場する場面は回想シーンとラストシーン
ふたりが糸電話を持っている場面
つまりふたりの間に「橋が架かっている」場面だ

5/11の舞台挨拶において、山田尚子監督は風船について「心が揺れているということ」「色んな色がある」ということを読解のヒントとして出している
すると単純に考えて、あれらの風船が寓意するものは、ふたりが糸電話で交わした無数のやりとりなのではないかと思う。言霊(「思い」では、というご指摘をうけました。全く同意です)といっていいかもしれない

だが、なぜその風船は空に舞い上がるのか?
ふたりが紡ぐ言霊が、羽ばたく未来を約束するから?いや、もっと確信的な表現ができる

なぜなら、この世界に橋はふたつあるからだ
引力という「戻ってくる橋」があるのなら、もうひとつの「行くための橋」があるはずなのだ。この作品には

そして「行くための橋」は、そう、「飛び石」だ
この作品においてそれは、飛び石という橋でなくてはならない
鴨川を渡る橋も、東京へ渡る新幹線の橋も、飛び石だったではないか
ならば天へと登る「きざはし」もまた、飛び石なのだ
 
「空」そしてその向こうにある「宇宙」の寓意するものは、過去の記事で考察した。空も宇宙も、その象徴するところは未来
ならば、あれらの風船は空、そしてその向こうの宇宙へ、ふたりの未来へと橋を架ける「飛び石」なのだ。きっと

 風船=飛び石=ふたりの未来へ架かる橋

そしてそれは、ふたりの紡ぐ思いが架けることのできる橋なのだ

あのラストシーンは、ふたりはあの駅から東京に行くのではなく、商店街へ帰るのでもなく、糸電話というふたりの間に掛かった橋を以って、ふたりだけが架ける事のできる風船の橋を渡って、空の向こうの未来に向かう事ができる、そういう意味を込めたラストシーンだったのではないだろうか
 
【橋が架かるべき場所】

最後に、OP後のこの作品の冒頭
カメラが体育館の開いたドアとドアの間にズームアップしていくことを想起して欲しい
間の空いた、ふたつの場所
それこそは橋が架かるべき場所だ


結論:たまこラブストーリーは、橋を架ける物語である




……というのが、本論の結論
どうすか。ラブストーリーになったでしょwww


【補足】

・風船のシーンで、少年少女時代と、ラストシーンで、もち蔵とたまこの立ち位置は逆になっている
 これは糸電話が、行って帰るふたつの橋になったことを暗喩しているのだろう

・また進路を話し合うシーンでだるまさんがころんだをしているのは、それが寓意するフィルムと橋の関連付けと考えられる

・ふたつの橋を以って、行って帰ることは、ふたりの間で気持ちの伝播の向きが固定されていた理由と考えられる
 
・この物語は、ふたりが金星、火星となる寓話であるという過去の見解を踏まえれば、風船のきざはしは、ふたりをそこへ導くもの、ということもできる

・余談だが、かんながみどりの助力で登る「木」もきざはし=橋といえる。因みに、木を渡すのは最も古い橋の形態。かんなが木に登るのは、大工志望ながら高所恐怖症であるかんなの成長とかけた演出といえる

・たまこともち蔵がひなこを思い出すのは橋の上というだけでなく夕刻。夕刻もまた昼と夜の間の淡いの時間、逢魔が時である。橋という淡いの場所、夕刻という淡いの時間。ふたりが死者と邂逅するに自然なシチュエーションである

・福を死にかけさせるのが餅というのは、餅にひなこが投影されているのを踏まえれば、ひなこがたまこに助け舟を出すためにやったという見方もできる。病院のシークエンスはたまこがもち蔵を頼りがいのある異性として見直す体験だったし、危機感を煽ることにもなった

・ふたつの世界に橋がふたつ架かる、ということは世界が輪になるということであり、丸になるということ。つまり餅の形になるわけで、作品のテーゼでもある

 
(初稿・改訂 20140512)
(加筆・改訂 20140512 05:30)
(改訂・補足加筆・記事リンク 20140512)
(補足加筆 20140513)
(加筆・記事リンク 20140514)

※twitterフォロワーのあずま鑑(@HQVJF9)さんと、平安さん(@cotan11)からサジェストを頂いたことを記します。ありがとうございました!
 

テーマ : たまこラブストーリー
ジャンル : アニメ・コミック

No title

>おいもさん
コメントありがとうございます。恐縮です

そうですね。あの少年少女だった頃のたまこともち蔵がどんな関係で、どんな子だったのかということに興味がわきます。どうでもいいですが、たまこはあのメガネの方が野暮ったい可愛さがあって好きですw

仰るような、それまでの経験や思いが積み重なって、あのラストに繋がっていく、という厚みが60分ほどのフィルムで読み取れるのですから、やはり本作はすごい作品だと思います!

No title

「橋」で色んな事物や描写が結びつくんですね、鳥肌が立ちました。笑

特に風船と糸電話については、はっとしましたし、本当に同感です。
それらは、幼い頃のたまこと17歳のたまこに架かる橋でもあるかもしれませんね。

もち蔵とおもちが嫌いで、少し内気で、お母さんを失ってうつむくたまこが
天真爛漫な餅屋の娘になれたのは、商店街や家族の存在と共に
もち蔵との糸電話でのやりとり(風船)が
本当に大きな支えになったんだろうな、と思うと感慨深いです。

福さんが倒れた時にもち蔵に助けを求めたたまこの気持ちは、
お母さんを失ったばかりの頃にたまこがもち蔵に糸電話を通じて無意識に助けを求めた
気持ちが自然と現れたものに思えます。

だからたまこにとってのもち蔵は、顔が描かれたお餅で慰めてもらって糸電話で話し始めて以来、
ただの幼馴染の餅屋仲間以上に特別な大好きな存在で、
喋るお餅の記憶が豆大の声にすり替わってたのは、
恥ずかしさや照れが無意識にそうさせたのかな、と思ったりもします。

ひなこさんのことも含め、過去の色んなページ、フィルムがあってこそ
最後の「大好き」があって、本当に素敵なラブストーリーですよね。

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