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【たまこラブストーリー】 読解メモ 09

19回見ました
主だったところはほぼ解釈できたかと思っています。今後は細かく気になるシーンで気づいた所があれば記事に起こしていって、最終的にいずれまた総括したものを作れたらいいなと思っているところです

で、今回は印象的なワンショットの解釈から、みどりについて軽く掘り下げる記事など書いてみます

■ 川の向こうと此方側―描かれたみどりの成長について

【川の向こうのたまこ】

本編で、最後の日、たまこが教室を飛び出した後、川の向こうの川べりを駆けている絵が出てくる
そう、あの琵琶湖疏水の脇の遊歩道、新幹線の落書きがある道だ
 
なぜ川の対岸側から見ているのか? ちなみに川の流れは左手が上流
 
結構以前の鑑賞から、自分はなぜああいう川越しのアングルで撮影した(ように見せている)のかということが気になっていた。ただ新幹線の絵が見せたくてそうしたようには思えなかったのだ
(実はTVシリーズ9話で、もち蔵ら映研のメンバーが新幹線の落書きの脇を歩いているシーンがある。が、ここでは映画中の演出を問題にしているので…)

 どうしてたまこは川の向こう側なのか?
 このカメラは誰の主観なのか?


ここまで自分なりに考察を重ねてきたが、結論から言えば
これはたまこがモラトリアム=少女時代を脱却した寓意といえる

以下はそんなことをつらつらと書き起こしてみる

【橋の向こうは異界・他界】


まず、あのシーンは、教室でのみどりとかんなの会話に重ねられるように登場する
ふたりの会話における主導権はみどりにあり、みどりはかんなに自分がたまこに嘘をついたことを明かす、そのセリフが重なっている。よって、カメラがある側の岸…桜並木がある岸は、みどりがいる側と解釈するのがひとまず自然ということになる

次に「川越しの撮影」の寓意するところは、これまでの「橋」論から説明できる
川はふたつの世界を隔てるものである。民俗学的に言って、「川の向こう=橋の向こうの世界」が暗喩するものは「異界」「他界」。つまりあの絵は、たまこが川のこちら側とは違う世界に行ってしまったということと解釈できる
まさにこの「たまこは別の世界にいった」ということを打ち出したくて、川越しにカメラを置いたのではないか、と思うのだ
加えて、その世界には新幹線の絵があるということから、彼女がもち蔵と地続きの世界を選んだことが、自ずから導かれる。それは恋に踏み出すことを選んだということでもあるだろう

ならば、此方側にいるみどりと、たまこがいる世界がわかたれたことを象徴するシーンということができる
つまりみどりのたまこへの片想いの終わりを意味する絵でもあったはずだ

では、みどりがいる此方側の世界、桜並木の岸は、なんなのだろうか? 
これを読み解くために、いま一度、劇中の描かれ方を確認してみた

【ふたりで幾度も歩いた道】


実は、カメラが有る側の道…つまりキービジュアルにもなっているあの道というのは、モデルとなった現地においても、川を挟んで、彼女たちの通学路がある側だったりする
 
キービジュにも登場するこの道。モデルは京都市藤森駅近辺。映画では奥(左)が川の上流
 
物語の前半、4人が進路相談をしているシーンを回想すべきである
「橋」論で説明したように、世界と世界を繋ぐ橋の上から川の上流を眺めると言う超越的視点は、彼女たちが未来を模索していることを象徴しているが、あの橋はこの川に架かっている橋である
まず、橋の上で史織が海外留学を明かす。次に、階段でかんなが建築科進学を明かす。行ったように階段=きざはし=橋であるから、彼女も橋の上で未来を語ったということができる

だがしかし―
みどりが進路を語るシーンに被るのは橋ではない。階段でもない。どこだったか?
そう。まさにあの川縁の通学路。新幹線の落書きがある対岸の(桜並木のある側の)遊歩道だったのだ
そしてみどりはその時、自分の進路をぼかして話している。つまり、彼女の話は未来を志向するものではなかったのだ

この桜並木の道は、みどりにとって、たまこと幾度もふたりで歩いた道なのだ
たまこへの思いを抱えたまま、ずっとそのままでいたかった場所なのだ
「橋」を「次の世界へ渡る道」とするのなら、あの「川縁の通学路の此方側(桜並木の側)」は、「モラトリアムの場所」と理解する他はない
 
ならば、たまこが走っている、新幹線の落書きがある側の遊歩道は、「モラトリアムの場所」とは「他界」であり、あそこで駆けているたまこはもう、モラトリアムの世界にはいないことになる
そしてそれは本編の展開と、見事に合致する解釈といえるのではないだろうか
 
してみると、フェスティバルの直前、まさにその道で、たまこからバトンがキャッチできる確信があること、そしてもち蔵への返事をすることを告げられたことは、みどりにとって極めて残酷で皮肉めいた意味を持っていた
みどりは、ずっとそのままでいたかったまさにその場所で、たまこから「変化」を告げられたのだ。彼女があのシーンに浮かべた表情の切なさの本質は、まさにそこにあるのではないだろうか
 
【みどり=もうひとりのヒロインということ】

というわけで、あれは(みどりから見て)たまこが他界に行った、ということであり「たまこがモラトリアム=少女時代を脱却した」ということであると結論される

だがやはりここで、その後、みどりはどうなったのか、ということを確認しなければならないだろう
 

みどりとかんなの本編中最後のカット。みどりは「与える者」になっていた

みどりは結局、もち蔵を煽って背中を押し、たまこを騙して背中を押したのだ。それが無自覚だったにせよ自覚的だったにせよ、彼女にとって、ずっとたまこの周りをぐるぐるし続けるしかない自分を変えるために必要な行為だったのは間違いない。結果的に、みどりこそふたりに成長と変化のきっかけを与えたキューピッドだった
たまこにもち蔵を追うように言った後、たまこの机に佇む彼女は、かんなにこう言われる。「みどちゃん、今すごくいい表情してますよ」と。それは間違いなく、かんなからの、今のみどりの全肯定のメッセージだった
きっと彼女は、それでようやくそれまでの鬱屈、苦痛から解放された。そこで彼女のモラトリアムも終わったと思うのだ

教室での会話の後、かんなに誘われてふたりは校庭へ出る
目的はかんなの木登りで、これはかんなにとって高所恐怖症を克服し、彼女の未来を拓く挑戦の意味を持っていた。ちなみに、かんなが将来を語った場所は階段であるから、かんながここで成長を象徴して登るのが階(きざはし)であるのは必然だ。樹木はもっとも古い階・橋の形態である
みどりはここでも、かんなのお尻を押してかんなを木の上に押し上げる。つまり、みどりはかんなに対しても背中を押した。ただし今度は自覚的に。積極的に。もち蔵やたまこの時のように煽るのでもなく、苦痛を感じるのでもなく、他人の成長や幸福に力を貸す者になっていた。多分きっと、それこそが彼女の大人への成長。なぜなら大人の行為とは、他者に与えることだからだ

みどりの本編ラストカットは、樹の枝にぶら下がるかんなとともに、樹の下で風上を遠く眺める絵だった。彼女にタンポポの綿毛が重ねられていたことを思う。ならば彼女もきっと、遠い世界に運ばれていくのに違いない
してみると、かんなの言った通り、彼女こそ、本作のもうひとりのヒロインだったのかもしれない


今回はこんなところで、どうでしょ

※ 今回の記事作成にあたり、Twitterでエンドスさん夷さんから参考意見をいただきました。ありがとうございました

テーマ : たまこラブストーリー
ジャンル : アニメ・コミック

No title

>ふぁにぃさん
コメントありがとうございます

木漏れ日のカットは、映画けいおん!でいうとひこうき雲のカットのように頻繁に入っているのですが、使い方としては場面転換の最初のカットとして入っているように思います…体育館や学校の中庭、そして最後の告白の日も。その陽の光の様子やみどりの色などに何かの意味はあるのだろうと思いますが、自分は意味を読もうとはしていません。あれを読むのはちょっと難しそうな気がします…

自分もこのかんなとみどりのラストシーンは印象深くて良いと思うのですが、ふたりに比べて、史織さんの描写がここまで削ぎ落とされた理由について、監督に聞いてみたいところですw

No title

みどりの登場シーンの直前に木々の緑のカットが多い事を、もう少し論理的に整理出来ないかと
思いつつ出来ていません。自然の緑という色のイメージがもたらす若さや癒し等、
好ましい正の感情というところでしょうか。
あの川沿いの桜並木がモラトリアムの場所であるならば、TVシリーズ2話の
「たまこには…一生無理っぽい」の台詞は自分が解釈していた通りかなと喜んでみたりw

かんなのみどりに対する全肯定、多くを語らなくとも傍に寄り添う事の優しさが
個人的には一番ツボなシーンでした
みどりのラストカット、しっかりと地中に根を張った樹木とみどりを並べているところに彼女が次の世界へと確かな足取りで踏み出す事をイメージ出来てとても好ましかったですね

No title

>nanashiさん
コメントありがとうございます

なるほど。宇宙の向こうと言う発想はありませんでした。京都駅を宇宙に見立てているというのはあるのかもしれませんね。するともち蔵はたまこにとって特別な星ということになるのかもしれません
その辺は本当に監督に聞かないとわからないところですが…

なんにせよ、寓意としての他界概念をこの作品の中に散りばめている、というのはおそらく間違いないところでしょう。恋愛ものに、そういう妄想はつきものですしねw

宇宙の向こう側

向こうの世界=宇宙の向こう側ではないでしょうか
ラストのたまこの疾走は宇宙の向こう側へ駆け抜けるシーンだと思います

映画の最後にたまこは京都駅で「どこか分からないよ」と言い
散々駅の中をさまよい最後にもち蔵のところに行き着いていました
あれを見て監督が宇宙に対して「上も下も分からないような感覚」と言っていたのを思い出しました

そしてエンドスさんがブログで書かれているように京都駅の複雑さはまさに宇宙w
現実の場としての宇宙に京都駅を持ってきたんじゃないでしょうか

ラストの告白シーンはこの映画で宇宙の入り口に立ったまこが宇宙を抜けきった瞬間だと思いました

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