【たまこラブストーリー】 感想その2 『本作の作劇はいかにして携帯を克服したかw』 【感想】

昨夜ふとtwitterでつぶやいたんですが、自分が思うに、『たまこラブストーリー』は何がすごかったって、人物ドラマにおいて、携帯・スマホを克服したのがさり気なくすごかった。この記事ではそこんとこを軽くまとめておきますw

実は自分、最初に京都駅に走って行くシークエンスを見た時に思ったのは、「今どき、告白のために駅に走って行ってホームで引き止めるドラマなんて作れるのか!」ということだったんですw

以前から思ってましたが、携帯電話が登場してから、「情報」「時」「場所」の格差によってドラマを作ることがとても難しくなりました。携帯電話が登場する以前は、「いつまでに誰がどこかに行って何かをしなきゃ(伝えなきゃ)いけない」ということでドラマを作れた。当時は、その時にその場所で個人が持つ情報は限られますから、複数の人間の間での情報の格差や相互の状況の落差を作り、それを埋め合わせることが事態を左右する、というドラマを作りやすくて、よくそれをクライマックスにすることもできました。しかし、携帯・スマホが普及してから、そういった情報格差は瞬時に埋めることができるようになり、そういったドラマを作るのが容易ではなくなりました

例えば、人物Aが爆弾解除に直面していて、離れた場所にいる人物Bが解除コードを知っているとします。携帯電話がない時代なら、爆発時間までに人物BがAの元に行かなきゃいけない、間に合うかどうか、という緊張感を物語のクライマックスに持ってくることが出来たわけです。でも、携帯電話がある現代では、携帯で解除コードを伝えておしまいで、こんな状況設定ではなんの盛り上がりも作れませんw
そんなわけで、携帯がもたらした瞬時の情報の共有、時間や場所の差を埋めるという現実の恩恵は、ドラマ作りにとっては全く逆で、多くのドラマのネタを潰してしまったと思うんです

で、果たしてたまこラブストーリーなのですが、ラストの京都駅に行くシークエンス。「もち蔵が新幹線に乗ってしまうまでに、たまこが直接いって、もち蔵を引き止めて、告白しなければならない」というドラマは、あれは見事に携帯電話を克服していました。なぜなら、たまこが直接行かなければならない理由も、間に合わなければならない説得力も、ちゃんとあったからです

たまこが直接行かなければならなかった直接的、表面的な理由は、「糸電話」であることは見ての通りです(告白は直接するのがマナーとか、電話の告白は心情的にどうよ…という論点は別にあるとしても)。でも、そもそも、あのラストシーン、たまこは糸電話に口を当てて告白してるわけですが、糸電話の糸は張られてませんから、実は糸電話で伝わったわけじゃない。その場の声が届いただけでしょう。でもあれふたりの間では糸電話によって伝わった告白で、そのことにこそふたりにとって意義がある。そして糸電話で告白したことで、ふたりの心がしっかり繋がるわけです
あのシーンに対して、「糸電話の意味がねーじゃねえか」というツッコミは全く無粋で、そこまでいうなら、たまこが学校から携帯使って「もち蔵大好き!東京行っちゃいや!」と言えばいいわけで(笑)、そうじゃダメなことは、見てる人はみんな分かると思うんですw

あの糸電話が何であるかは、形而上的には「ふたりの間に架かった橋である」というのは過去の記事で考察した通りですが、そう読み解くまでもなく、作中でもち蔵があんこに言ったように、あの糸電話はふたりの心と心を繋ぐアイテムで、もち蔵もたまこもそういう認識だったから、ふたりの間で、告白はああでなければならなかったわけです

つまり本質的に、『たまこラブストーリー』が携帯電話をどう克服したかというと、もち蔵があんこに諭した通り、作中一貫して、物語は「ふたりの心と心が繋がらなければいけない」というところに焦点を置いていて、故に、携帯電話ではなく糸電話でなければならない、という説得力と必然性を作り、糸電話という限られた距離と決まった場所でしか使えないツールを必須ツールにすることによって、昔ながらの"「情報」「時」「場所」の格差によってドラマを作る"ことに成功したわけです

これをまとめてしまえば「人間を描く」「人の心を描く」ことによって携帯電話の問題を解決して、携帯電話以前によくあった「誰かが、いつまでに、どこかに行って、何かをしなければならない、クライマックス」を実現したわけで、本当につくづく、山田監督と吉田玲子さんの作劇はすごいなと。いや、こんな方法があったんだなと、素直に自分は感嘆するし、このことは高く評価されるべきだと思うのです。わりとマジでw

またもう一つ、それによって本当に久しぶりに「駅のホーム」が別れの場所(になったかもしれない)になるドラマを見たんだなという感動もありますw

だって駅ですよ? 駅のホームで別れることが恋人(未満)同士の別れになるなんて、機関車が走ってるような昭和30年代、40年代のドラマですよw 当時は地方から東京に出てくれば、片道数時間ですからもう異国に行くのとそう変わらないわけで、今生の別れみたいな盛り上げ方も出来たわけですが、現代になってしまうと、せいぜい遠距離恋愛みたいなもんで、それこそ携帯電話やスマホでいつでもメールや話ができて、PCで対話だってできるわけで、駅のホームでお別れなんて話は考えられないと思うんですよ

でも『たまこラブストーリー』は、(みどりに煽られたたまこの思い込みだったにせよ)確かに京都駅という場所が別れるか否かの瀬戸際の場所になっていて、いや…こういう作劇もできるんだなと、これも密かに関心してしまったポイントでしたw


こうしてみると、やっぱり山田監督は古い日本の映画、ドラマをやりたかったんだろうなあと、そんな風にも思います。そして見事にやってしまっているところが、すごいなと改めて思うわけですw


■ 補足

まあ、ちょっと舌っ足らずだったと思うのは、映画中ではたまこにとっての糸電話の意味付けがハッキリとは描かれてなかったことで、もち蔵は心と心を繋ぐものだと認識してるんだけど、たまこがどう思ってるかは映画だけを見る限りではちょっとわかりにくいかも。作りなおそうかという道子さんの申し出を断ったシーンで、たまこにとっても特別であることはうかがい知れるとは思うんですが

TVシリーズを踏まえると、12話Bパートでたまこが語っているように (引用:「窓越しに、もち蔵と遅くまで喋っててお父さんに叱られたときは、道子さん、糸電話作ってくれた。これでこっそり喋れるよって」) 糸電話はもち蔵と話したいたまこが豆大に叱られるからというので、道子さんが作ってあげたもの。つまり、もち蔵→たまこの片想いのように見えるけど、実はたまこ「が」もち蔵と話をしたいという時期も確かにあって、多分それが映画作中にある小さい頃の糸電話を手にしたふたりの間に風船が飛んでるシーンで、その頃は相思相愛と言わないまでも、好意が通じあってたんだろうと

そういうわけで、たまこにとっても糸電話は「心と心を繋ぐ」特別なアイテムであるのは明白なんですが、もうひとつ、映画の中では母親のカセットテープに背中を押されるわけで、
たまこの中で、告白の返事をするアイテムとしてのカセットテープ=糸電話という関連付けがされている、という指摘もできますね

No title

>Padossさん
コメントありがとうございます
自分はそのフジテレビの話は不明でしたが、確かに恋愛ものではすれ違いとかの演出がやりにくくなったというのはあると思います。(自分はどちらかというと探偵モノや刑事モノへの影響が大きいかなと思っていましたが…)
Free!の件はなるほどそういう評価ができるかと思いました。今は、携帯をどう自然に手放させるか、というところがあるいは脚本家の頭のひねりどころだったりするのかもしれませんね

余談ですが、たまこラブストーリーでは、黒電話、携帯電話、スマートフォンすべてが登場しているのがさり気なく面白いところで、もしかしたら意図的なものだったのかもしれません。特に黒電話がちゃんと描写されているのは世代的にちょっと嬉しいところです。最近の若い人には「ダイヤルを回す」という言い回しが通用しなくなってきているとも聞きますしw

No title

もしかするとご存知のことかもしれませんが、フジテレビの社長も「恋愛ドラマの退潮は携帯電話の普及にある」といった趣旨のことを定例会見で言っていたそうです。
(YOMIURI ONLINE「消えた若者恋愛ドラマ…携帯普及「すれ違い消滅」」より)

何でこんなことを憶えていたかというと、紙面でこの記事を見たとき、別の人の発言ですが「同じ恋愛ものでも、好調な映画もある」とあって、ひょっとしてたまこラのことも念頭にあったのではないかという考えがよぎったからでした。
(実際はこの会見はたまこラ公開直前の4月25日だったそうですし、ドラマ畑の人たちははなからアニメのことなど歯牙にもかけてないのかもしれませんが)

ただこの時は、おっしゃるようなたまこラが「携帯を克服し」ていたという発想にはいたっていませんでした。
われながら希少種であると自覚はしているのですが、自分で個人用のケータイを持っていないので、そもそも物語中で携帯電話がどう関わってくるのか、小道具以上の注意が向かなかったせいかもしれません。

ですが改めて、携帯電話が物語にどういう役割を担うのか考えたとき、最近再放送で見返した「Free!」で、遥がケータイを持ち歩かないことからすれ違いが生じながらも、メッセージをあとから聞くことでいっそう強調されるような効果があったように見えたので、「いつでも持ち主の手から離れ得る」という属性が固定電話と違うドラマを生むようにも思えました。

No title

>emanonさん
コメントありがとうございます

山田監督はキャラクターのバックボーンとしての家族とか共同体の存在を重視していますが、家族の存在は本作でも強く描かれていましたね。本作はたまこの母離れ、乳離れと言う側面も多分にあって、彼女がそれまで「こうである」と思い込んでいた親や共同体を再評価し、それらとの関係性を再構築する話でもあると思います

もち蔵は性的欲求を限りなく消してるので、まあそこにリアリティがないといえばないですよね。少なくとも表面的には、彼は少女漫画的王子様の人物造形になってると思いますw ただ、この作品を自分が読む限りでは、彼とたまこの間にあったのは常に「ひなこの死」だったんだろうと思います。あの飛び石の場面でふたりが共に言葉にしなくてもひなこを思い出しているように、もうずっとあの二人の間にはひなこの死という重いものがって、それが彼に煩悩に走らせない重石になってたんじゃないかな、と思うわけです

ひこうき雲とわーについては、あれは素直にファンサービスと受け取っておくのでいいんじゃないでしょうかw
自分はそうしておきますwww

No title

ようやく、というか遅いよ、というか、観てきました。

糸電話どころか黒電話、カセットテープ、ホントに監督は 「昭和」 の香りの使い方が上手いですね。

で、オープニングからコレしかないよな、と思わずにはいられなかった 「こいのうた」。父と母の恋模様をそのまま追い掛ける娘。亡き母にあこがれるたまこ・・・ラブストーリーと銘打ってましたし、確かにたまこはもち蔵の告白を受け入れて、幼なじみから一歩踏み出せるのか?という話ではあるのですが、個人的には微笑ましい家族の話、でもあった (むしろその要素の方が私には強かったです) と思います。 ま、私の両親がすでに他界していたこともそう思わせたのかもしれませんが、理想的過ぎるという点を差し引いても 「家族はいいな」 と。

たまこの心の成長、は最初無邪気に「おしり餅」だの「おっぱい餅」だの言って、小学生のあんこにあきれられたりしていた (妹のあんこの方が先に恋を知ってますし) のが、もち蔵の告白で異性を意識しないわけには行かなくなってしまったというあたりが、監督らしいというか、とかく生々しくなりがちな十代の目覚めをサラっと描いていて好感が持てました。もち蔵があまりに好青年過ぎてちょっと不満ではありますが・・・自分が高校生の頃の憧れの女子への視線は、もうちょっと煩悩があったなーなんて思い出しましたw 後ろの席に座る機会があった時にはうなじにトキメいたり、ねww

あと、空や飛行機雲の演出、みどりの 「わーっ」 には 映画けいおん ! をどうしてもダブらせてしまいます。あれは・・・あえて使ったのかな?

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