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【感想】「響け!ユーフォニアム」 第十話感想は…

えーと…十話感想を書こうと思ったんですが、もう…ほとんど肯定的に書ける要素がないので、今回はざっと
きちんとした感想は、残り3話が終わった時にまとめて書こうかと思います…気力があればw

いい内容ではないので今回は箇条書きで。ファンの方は読み進めないことをおすすめします。自己責任でよろ
 
 
 
 
 
今回、思ったことなど

主人公たちメインキャラに感情移入できないなと。いつもいってますが今回は決定的でした。いつも決定的ですがw
他人の感情を考えない麗奈、それに賛同する久美子、どうでもいいと吐き捨てるあすか、そして生徒に秘密を突っ込まれてオーディションのやり方を変えて多数決という責任回避へと日和る滝先生……なんか主人公格のはずの人たちがすごく感じ悪いですw
むしろ部の調和を保とうとする部長さんとか、先輩を崇拝してるリボンとか、トランペットの先輩とか(キャラの名前すら頭に入ってないw)、恋愛から前向きになってる葉月とか、葉月のことを自分のように思ってるサファイアとか…脇役の方が人間味や善性を感じて好感が持てるんですけど、自分だけですかw

真剣だから譲れないって話をやりたいんだと思いますよ? 麗奈とかも本質的には滝のNO.1になりたい、裏にあるのは恋心なんでしょうよ。滝先生もあれだ。音楽を聞けばみんなおのずとわかってくれると思って多数決にしたんだろうと、そういう理屈はわかりますよ。でもこれはドラマの持って行き方が下手すぎだし、主人公側がよくいえば超然としすぎている、悪く言えば人間性や社会性の一部が欠落してます。ちっとも共感や感動ができない。特に主人公のはずの久美子がまるで麗奈の取り巻きっていうか腰巾着っていうか、あれじゃジャイアンの太鼓持ちをやってるスネオとか、高慢なお嬢様の取り巻きの2人組のうちの1人ってポジションじゃないですか! 滝先生も登場した時の強引でしたたかな感じが全く無くなって、日和ったことで一気にヘタレなイメージが…もうちょっとこう一貫性をだなあ…

なんていうかもうちょっとこう…物語の文脈で、主人公たちをもっと好感の持てる人物に描写できなかったんですかね?

あすかとかどう見ても他人に興味のない、自分の快感しか追求してない一種の人格障害者でしかないですし、麗奈も人の和に入れない人ですよね。合奏をするのにそれでいいのか?って思います。久美子も葉月の思いなんて全然興味がないようですし、かと言ってユーフォニアムにそんな夢中なのかどうかもちょっと伝わってこない。っていうかラス前3話になってトランペットは響こうとしてますが、ユーフォニアムが全然響いてないっスよ! フーフー吹くなら、この俺のためにファンファーレでも吹いているのが似合っているぞッ!ってDIO様高笑いしちゃいますよ
本当にこれ、久美子が主役で良かったんですかね?(とうとうそこにきたw
  
 
 
とりあえず今回はこれだけですw

No title

>emanonさん
コメントありがとうございます
この部分は誤解されたくないので一点だけ…しかし長文ではありますが

自分が引っかかったのは「話の都合の良さ」ではなくいわゆる「納得力」でした

以下は私見とお断りして書き進めます

自分はむしろ話は単純で、わかりやすくていいと思ってるくらいで、都合が良くて展開を見通せるものが好きです。単純な話をどのように人物関係や状況を展開させ積み重ねて描いてみせてくれるかに面白さを感じます

例えば、手塚治虫の「ブラックジャック」は各エピソードのプロットは読めるけど面白い。もっと古い、田河水泡の「のらくろ」も面白いです。さいとうたかをの「ゴルゴ13」も面白いです。不思議なことに何度読み返しても、すでに話の流れがわかってるのに面白い。何故面白いかというと、人物の動機、行動、状況の因果の論理性や心情の変遷がしっくりくるからで、つまりそこが納得力なんです。それは自分にとって現代のアニメでも同じです
 
この納得力は作画、動画、演出が与えるものではなくて、脚本、構成が提供するドラマツルギーによってもたらされるものだと思います。確かに、それは細部においては演出との境界が曖昧になるわけですが、しかし演出は物語の設計を改変してはならないはずで、文脈に沿うものであるはずです。よって納得力の有無は本質的には脚本や構成の問題なんです。それは作中のわかりやすい具体的描写によって積み重ねられるものです

ですが本作は、物語(文脈)を事象の具体でなくわかりにくい演出上の表現に頼りすぎていたり、因果や変遷の行間を端折っていたり、伏線?があっても結果を投げていたり、逆にナレーションで身も蓋もなく文章化したきらいがあったと思います
つまりそれが自分が楽しめなかった理由であり、脱文脈的に見えるということなのです。文脈が断絶した物語のピースは、再文脈化して都合のいい意味を与えなければならない。しかしそれは物語を楽しませてもらっているのではなく、半分、自分が物語を作っているようなものです。本作は自分にとってそういう部分の多すぎる作品でした
前のレスは噛み砕くとこういうことです
 
  
余談ですが、自分が、「けいおん!」や「たまラブ」を評価しているのは、自分が過去の記事で分析してきた演出上のギミックやメタファーを一切認識してなくても物語(文脈)を楽しめるからであり、また、物語(文脈)にそって演出上のギミックやメタファーが配置されていることが、物語に厚みと深みを与えているからです
一方で両作は確かに、脚本との境界が曖昧になるほどに演出が物語性を補っていて、そこに山田尚子が本質的に演出家であることがうかがえるのだと思っています

次の曲は始まるのだろうか?

最終話、中盤からほぼ演奏だけで、それに各キャラの
短いカットを被せる形で曲にのせて一気に見せたところは
個人的には素直に圧巻でした。

物語がきれいに府大会突破してるのは原作があるので
”都合が良すぎる” にはあたらないでしょう。

ただ絵のクオリティが非常に高く、スポ根にも通じる王道の
ストーリーで盛り上がった中で消化不良感はありました。

滝先生の吹奏楽に対する個人的なこだわりを暗示させるカットや
田中先輩のアニメ話中には見えない部分にあるもの、
大会会場に来ていたらしい (?) ”部活離脱組” の姿
その他にも話の先にあるものへの伏線がたくさんあるようで、
これらが次期制作や劇場版公開を前提にしたものなのか、
商業的に原作小説の併読を勧めるためのものなのか・・・。

自分にとっては良作でしたが、その辺に 「不親切さ」 を感じたのも
また事実です。

No title

> emanonさん
コメントありがとうございます

総括…ですか。うーん…今は時間的にも精神的にも余裕がありません
とりあえず今のところはあまり見返そうという気にならないのですよね…頭を冷やさないとダメでしょうw

現時点で、自分が引っかかった部分についてオッカムの剃刀を振るうと、本当にその、「各エピソード、シーケンスが脱文脈的で視聴者による再文脈化を要する脚本」に集約されます。背景、作画、動画、演出については高く評価しています。が、自分はそれらを第一義的に物語を描き出す道具、手段と見做しています

なんにせよ、本作は自分にとって、自分が作品に何を求め、どこに評価基準を置いているかを改めて確認させてくれた作品でした

絵の訴求力

1クール放映終了後の総括を楽しみにしています

京アニの近作には学校部活モノという土俵を持つ
「けいおん ! 」 「氷菓」 「中二病」 「たまこマ」 がありましたし
(舞台として部活を用意しただけで、目指すものは
全然違ったとは思いますが)

そういえば花田氏脚本の部活モノには 「ラブライブ ! 」 が
ありましたっけ・・・

それと作画や背景、効果がTVシリーズとして高レベルな点は
ドラマとは別に評価してもいいかと思います
( 「こんだけ描けるオレたち凄げぇ」 したいようにしか見えないと
捉える人もいるかもしれませんが)

No title

>emanonさん
コメントありがとうございます

お言葉を借りるなら、その「散りばめられた(=脱文脈的な)」エピソードを視聴者が「想像力で紐付ける」のが、自分のいう「再文脈化」ということになるかと

この作品は(というか花田氏の脚本は)視聴者によって、脱文脈を受け入れられるかどうか、再文脈化を楽しむ見方ができるかどうか、というところで評価が分かれるのだろうと思います

想像する楽しみか、不親切か

残り1回となったわけですが
個々のキャラクターの言動にハッとする魅力がありつつ
ドラマの奥行きが消化不良気味、そんな感じでしょうか

葵ちゃん先輩に限らず、先輩3人組の関係とか、久美子の
家族 (受験に専念するために吹奏楽をやめた姉と妹の間に
何があったのか)、 モーション掛ける幼なじみの男の子・・・

唯一、麗奈との過去エピソードと今の姿がつながっては来ましたが

ちりばめられた多数のキャラクターの持つ設定や明かされない
エピソードを紐付けるのは視聴者の ”想像力” 次第ということなのか
もちろんそれが楽しい人もいれば、イライラの種になる人もいるし

それと原作付きの本作品では (アニメは改変部分があるようですが)
原作でアニメを補完する必要があるのかな、とも
自分は原作は読んでいないのですが・・・

No title

>桜高軽音部FC会員さん
コメントありがとうございます
まず、自分はアニメ評論家ではありませんし、今はライターでもありません。このサイトは個人のブログで、個人の感想です。別にダメならダメでいいですし、それで問題ありません。また、一般論として失敗したとは結論してません。その点は誤解なきようお願いします
なお、冒頭でお断りしたように、自分の感想記事で万一ご不快になられたとしても、自己責任でお願いします。クレームはご遠慮ください

ご質問ですが、その論点は少々不適切かと思います
まず、自分は少なくとも放送中は両作を比較したくありません。ただ、あえて言うなら、けいおんは作品の性格、方向性が違うので一概に比較できないと思いますし、作品の評価の差や違いを、花田氏の起用のただ1点のみで論じることが適切ともフェアとも思わない、というのが回答になります
花田氏の起用法という論点なら、演繹して導かれる推論はあると思います

重ねて、この作品が好きな方がいることは理解していますし、否定する気もありません。ただ、自分の感想記事はネガティブになることが多いと思いますので、もしご気分を害されるようでしたら、今後は回避されることをおすすめします。あしからずご了解ください

No title

>こういう作りは「艦これ」でも見られたことで、花田十輝という脚本家の個性ではないかと思うのですが、「艦これ」のようにドラマ性が希薄でキャラ性の強い作品ではこの傾向はさして気にならなかったのですが、本作は群像劇のようなドラマ性があるために非常に気になります
自分はそういう脱文脈的な部分が低評価で、評価している人はそういう部分を頓着していないか、再文脈化によって魅力に感じているのではないか、と推察しています

そんなわけで、申し訳ないのですが、自分にとっては細かく見ようと思うほどには訴求力のない作品です
自分はアニメ評論家ではないし、評論自体があまり好きではないので、第一に楽しい、面白い、波長が合うと思った作品を見ます。好きになれば細かく見ますが、そうでない作品はあえて掘り下げては見ないので…
本作は確かに作画、動画、演出は非常に凝ってると思います。京アニ史上最高レベルかも知れませんし、現在の京アニの技術力を結集しようという気概を感じます。演出なども毎回色々変えて起用していて、人材育成をガンガンやってるんだなと思います。しかしそれらの技術は、自分には「物語を紡ぐ手段」としての評価しかあげられません。作品としての評価を正直に言えば、山田尚子さんが関わっていなければ、とうに切っています


でしたら、貴方が敬愛する、山田さん(監督じゃないけどね)のこの作品が、なぜ失敗したのか、お得意の「けいおん!」と対比しながら語っていただけると勉強になります。
「けいおん!」に花田先生が関わってるのは周知の事実。
だったら、そこを掘らないと、ライターとしてダメじゃないかと。
わたしは、「けいおん!」も好きでしたけど、本作は「もっと」好きですよ。

No title

丁寧な議論、ありがとうございます。
記憶術先生の意見を良く理解できました。

No title

>名無し++さん
お気遣いある長文をありがとうございます
非常に長く、あまりいい内容にはならないかもしれませんが、あらかじめお詫びして返信させていただきます

これはもう趣向の違いだと思いますが、自分はその荒削りなところを評価していないのです。すいません
自分は物語性と人物描写が相関して両輪になって構成されている作品を趣好しているので、本作はその意味では、人物描写、主に数名の対話のシーンを彫り込むことに注力していて、場面同士の連続性や積み重ねによって物語を紡ぎ人物像を描くことには無頓着と言っていいほどの粗があって、片手落ちだと感じます。これはあとでもう少し総括的に掘り下げようと思うのですが、連続性や文脈を意識していないから、自分には人物描写や出来事が後に付加されてきてもドラマ性やワンダーのない種明かしになっています。正直なところ、カタルシスの乏しい作品だと感じています
ですので、本作はもうあまり語らないほうがいいかなと思ってます…ええw

例えばその「麗奈にとっては」~「…いますよ)。」は了解しています(久美子は麗奈への感情的な部分が強すぎて、それがノイズになっていると思います。そういうところが腰巾着に見える、ということなのです)。ですが、それはここに至るまでの論理性、整合性が破綻していて粗があり、ドラマとしても快感がなく、自分には感動や感銘を受ける描写ではありませんでした

他の方へのレスでも少しいいましたが、本作を語る上での一番ポイントになるのは「脱文脈」「再文脈化」だと思うのです

本作は場面場面が(各エピソードでさえも)散文的に、脱文脈的に置かれることで作られていて、その場面(あるいは各エピソード)だけ見るとその時に(都合よく)再文脈化される作りをしていると思います
簡単に言えば、場面個々を見ると魅力的に作りこまれているけど、総体としては整合性を欠いているということです。これは人物描写に特化した(俗っぽく言えば、キャラ萌えに特化した)脚本といえます

こういう作りは「艦これ」でも見られたことで、花田十輝という脚本家の個性ではないかと思うのですが、「艦これ」のようにドラマ性が希薄でキャラ性の強い作品ではこの傾向はさして気にならなかったのですが、本作は群像劇のようなドラマ性があるために非常に気になります
自分はそういう脱文脈的な部分が低評価で、評価している人はそういう部分を頓着していないか、再文脈化によって魅力に感じているのではないか、と推察しています

そんなわけで、申し訳ないのですが、自分にとっては細かく見ようと思うほどには訴求力のない作品です
自分はアニメ評論家ではないし、評論自体があまり好きではないので、第一に楽しい、面白い、波長が合うと思った作品を見ます。好きになれば細かく見ますが、そうでない作品はあえて掘り下げては見ないので…
本作は確かに作画、動画、演出は非常に凝ってると思います。京アニ史上最高レベルかも知れませんし、現在の京アニの技術力を結集しようという気概を感じます。演出なども毎回色々変えて起用していて、人材育成をガンガンやってるんだなと思います。しかしそれらの技術は、自分には「物語を紡ぐ手段」としての評価しかあげられません。作品としての評価を正直に言えば、山田尚子さんが関わっていなければ、とうに切っています

厳しい意見ばかりでごめんなさい。あくまでこれは個人の評価とご理解ください

No title

コメントありがとうございます。記事を読み返してみたら全然箇条書きになってなかったw 書き始めた時は箇条書きにしようと思ってたんですが、気づくとだらだらとした文章にw すいません

>桜高軽音部FC会員さん
「感想」ですので、あしからず

>桜高軽音部FC会員さん
たまことはまた違った主人公の存在感の希薄さなんですよね。ナレーターをやっている分、存在感はありますが…
その吹奏楽部についても、滝、昨年の問題、恋愛といろいろなところを思いつつくまま食い散らかしてる感があってどうにも…個人的にはこれは原作と脚本に問題があるのかなと思ってます

>さぶろーさん
今のところ自分は、この作品は印象的な場面を継ぎ接ぎしただけの、脱文脈的な脚本であることが悪く出ていると考えています

>emanonさん
久美子と麗奈が8話で唐突に接近していて、その後の久美子は完全に麗奈のシンパになっているように見えます。そもそも自分は8話のあの久美子の心理にまるで共感できませんでした

ご指摘の部分もつまり脱文脈なのだろうと思うんですね。花田氏の脚本はエピソードの連続性や場面と場面のつながり、脈絡、相対としての物語の整合性をあまり重視していないように思います。その場面場面だけ見ると出来はいいのですが、俯瞰してみると粗が目立ち物語が破綻している。本作はそういう作品だと思います

No title

いつも楽しく拝見させて貰っています。
「つまんない感想ですね」というのは個人のブログでの論評に対して、
いささか大人気ないコメントですね。心ない書き込みに対して、
ご同情申し上げます。自分の好きなアニメを不当に評価されたからって、
個人攻撃するほど人間は落ちぶれちゃいけない。

とはいえ、やはり貴方の評価は少し不当に低すぎるような気がします。
不当に、というのは批評に正解や不正解があるということではなく、
相対的な妥当性という意味において、バランスを不当に欠いているように思います。

ストーリーについては人の好き嫌いはあろうかと思いますよ。
私は結構この粗削りなところが好きです。
明確な一つのプロットがあり叙述構成が三段論法のように明快だが退屈きわまわりない金太郎飴のようなハリウッド映画のような)ものではない。

要はヘタウマな味がある。これは脚本構成が悪いというよりは、
原作者がヘタウマなんだろうと思います(原作読んでいないけど)。

ご指摘のようなあすか副部長の人物像のわかりにくさも、
久美子の存在意義の危うさも、人物造形がお世辞にも巧くはないからだと思います(むろん私自身が売れる小説を書けるわけではありません)。
ただし、そこに原石ならではの不思議な魅力が感じられるかどうかが問題で、
私は部分的にはそのヘタさ故の分かりにくさ、人物の面倒臭さ(特に久美子)にこそ、不思議な個性や魅力を感じます。
ブロンテの「嵐が丘」を引き合いに出すと持ち上げ過ぎでしょうが、
いつものラノベの金太郎飴ではないですよね。

万能な滝顧問が人選への反対意見をねじ伏せるというのが
実際には良い指揮者なのかもしれませんね。彼が「日和って」しまうところに
ストーリー作りのまどろっこしさや下手さがあり、ただしそこにこそオリジナリティや妙なリアルさあるとは思いませんか?お世辞にも物語として巧いとはいえないけれど、味わって楽しめないほどのものでしょうか?

もっとも、これはドムドムバーガーやラーメン二郎が美味いか不味いか、
リンゴ・スターやジミー・ペイジがドラマーや
ギタリストとしてどうなのか的な議論に似て、不毛かもしれません。

私が今回の貴方の批評で妥当性を欠くと真に感じるのは、別のところにあります。

それは、制作者の演出意図を汲み取ろうとしていないところです
(「お主も意地が悪うござるな」と戦国武将なら顔をしかめるかもしれません)。

例えば、「麗奈が他人の感情を考えない」というのは、10話ではそのようにも
みえない訳ではありません(そのように演出付けがなされているから。ただし10話最終場面の表情等を細かく観ておけば麗奈がそうだとは思えない筈)。
しかし、勝者ならではの悩み・痛み・重みを超えた決意が次に描かれることぐらい予想はつくのではないでしょうか(実際に11話で曲がりなりにも描かれたと私は評価しています)。その前フリとして10話の麗奈があのように描いているんだという意図は、せめて理解してあげましょうよ。

久美子は麗奈の「腰巾着」というのも曲解だと思います。
デカリボン優子も、久美子も、人間として親しい人を優遇し応援したいという気持ちは当然持っている。それは腰巾着というのは少し酷なのでは
ないでしょうか。企業内でも、学会内でも、日展でも、政界でも、おそらくは京アニ内でも、そういった湿ったものはもちろんあるが、
それをギリギリ超えたところで技芸の評価は辛うじて成り立つものではないでしょうか(山田尚子さんのけいおんでの抜擢は、むろん本人に才能があったからとは思いますが、飛び越されたと感じた演出家は何人かいたんじゃないでしょうか)。

そうした、ある意味でえげつない勝負の世界を描いていることに対しては、オリジナルな取り組みとして、もう少し高評価はあげられないでしょうか。

麗奈にとっては、中世古先輩がかつて苦悩したであろう不当な権威主義(年齢が上がったからといって功が必ずある訳でもない)に反発するのは当然でしょう。中世古先輩だって何もオーディションの公正さを疑っている訳ではありません。機会のある限り挑戦して、納得のいく「負け戦」をするために
再オーディションを申し入れたのであって、「高慢なお嬢様」的な位置づけではないし、久美子もデカリボン優子も「腰巾着」というには芸術的な審美眼やフェアネスの感覚はあるようです(これは11話にならないと明確にはされませんが、9話等でもしっかり前フリはなされていますよ)。

貴方は批評眼をお持ちのようですから、
もう少しこのアニメを細かく観て評価してあげられないものかなと思います。

相対的にこの時期のこのアニメを楽しみ評価してあげられないなら、
何をアニメないしドラマとして評価してあげられるというのでしょうか?

で、葵ちゃんはどこへ行った?

うーん・・・。

終盤に来て個人要素をぶっ込んできて、それまでどちらかというと淡々と
吹奏楽部の成り行きを語ってきた流れからの唐突さは確かにバランスの
悪さはあるかな・・・それと女子同士の友情? 共感? "百合" ではないと
思うのだけども、深い友情という要素がいきなり突出してきた (笑)

とにかく出てくるキャラクターの内々を描くには尺不足という感じで、
例えば幼馴染で何かありそうな (たぶん、これは先輩キャラには共通の前年の
ゴタゴタなのだろうと思いますが) 葵に関しては、部活やめるってよ、で
終わってしまっているし。だったら最初からスポットを当てるキャラクターを
絞って、俯瞰ではなくキャラクターの行動を追い掛ける見せ方が出来なかった
のかな、とか。

10話、11話のエピソードに関しては 「お手々つないで皆でゴール」 という
風潮に対する 「自己主張へのこだわり」 (空気を読むことなんてもっと大人に
なってから考えればいい) を言いたいのかな、とも思いましたが。ただ、公開
処刑になりかねない状況について教師として、フォローなしでいいのか? と
いう不自然さは確かにありますね。体育会的な競い落しが学校現場でどう処理
されているのかは、わからないのですが。

No title

下の方へ
私は、どちらかというと2話で吹奏楽部自体の物語を描いていくことに期待して見てきたのですが
そう見ると6話あたりから段々ズレてきたように思えます。
葉月とサファイアに尺を使うなら、部の雰囲気を変えた滝先生の人物描写に時間を取って欲しかったです
やはり久美子は物語を引っ張るタイプではないですから、吹奏楽部自体の物語であるなら葉月とサファイアの描写がストーリーを進めていく上で活かせてないように見えます(特に恋愛関連)
個人的には、吹奏楽部自体の物語と見るなら満足度は低いのですが...
結局、10話まできても何を描きたいのかが掴めていないのでこの作品の見方が分からないってのが本音ですけど



No title

そもそも主人公=物語を引っ張るという考えた方が違うんだと思いますよ
この作品は久美子が一応主人公と言う形になっていますが実際には語り部に近くて、真の主人公は吹奏楽部その物なのかなと

>久美子が主役で良かったんですかね?
これはほんとにその通りであくまで久美子は作品上の体裁としての主役なだけだと思いますよ

まあ、TV版のたまこよりはよほど主役してますが

No title

つまんない感想ですね。

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