スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「たまラブ」のフィルム演出の意図について~「映画けいおん!」の写真を踏まえて~

ずいぶん以前から、山田監督の「映画けいおん!」と「たまラブ」の構造、ギミックに見られる相似性、近似性について思索することが度々あり、メモ代わりにここに徒然とまとめつつ、それを踏まえて、たまラブのフィルム調演出の意味、意図を解き明かしてみます

この原文、もう1年くらい寝かしてたけどまあいいよねそろそろw

■疑問だったフィルム調演出の意味

自分が「たまこラブストーリー」の初見で最初に抱いた疑問のひとつが「なぜ回想シーンがフィルム調の演出だったのか?」でした

回想シーンがフィルムとして描かれる場面はふたつあります
ひとつは冒頭の、糸電話の穴から覗くようにして、たまこともち蔵の子供の頃からの関係性が描かれるシーン。もうひとつは飛び石でのたまこともち蔵がひなこを思い出すシーンです

本作において「フィルムという記号」はOPや映像ファイルのアイコンなど様々なシーンに登場し、パンフレットにもデザインのモチーフとして用いられています。フィルムは単純に、映像、映画と関連付けられますし、物語においても、映画研究会のもち蔵が将来の進路を映像関係に選ぶことが、たまこともち蔵の関係を変える大きな要因になっていますから、ぱっと見、これらの演出はなんとなく「そういうこと」なんだろうと解釈されます

…が、自分は直感的にも、突き詰めて考えてみても、正直、その真意がはかりかねる部分がありました
まずあったのが、過去の回想シーンでフィルム調演出をする「ルール」「規則性」がわからないということです

実は回想シーンの中で、フィルム調の演出は上記のふたつの場面しかありません
ですが、作中の回想シーンは上記以外にもいくつかあります
まず、女子4人でお弁当を食べるとき、昔のたまこともち蔵の絡みや、たまこがおもちが喋ったことを思い出すシーン。次に、その後、たまこが教室から空を見上げ、幼稚園時代の自分とひなこのことを思い出すシーン。この後、たまこがかんなの言葉を思い出すシーン。たまこがもち蔵の部屋の窓を見上げてもち蔵を思い出すシーン。体育館でたまことみどりが話すシーケンスで、ひなこの葬式を回想するシーン(主体はたまこ、みどり)。続くセリフの中でたまこがもち蔵のことを思い出すシーン。教室で歌を録音するひなこのシーン…これらは全て、フィルム調ではありません
まずこれがわからない。回想シーン=フィルム調というわけではないのです

ではフィルム調だった回想の回想主体は誰だったでしょう? 冒頭の方は、実はもち蔵の声が被っていないので、観客に対する作り手の演出です(流れとしてはもち蔵の認識、と解釈すべきかもしれませんが)
飛び石のシーンでの回想は、これはたまこの回想、続いてもち蔵の回想、このふたつが共にフィルム調です
つまり、フィルム調の回想をする主体者もたまこともち蔵のふたりと冒頭の演出で、一貫性がない。特にわからないのは映像が好きでフィルムと縁のあるもち蔵のみが主体者ではなかったことで、なぜか映像とは無関係なたまこもフィルム調の回想をしていたことです。しかしたまこは上記の通り、その後、普通の回想もしているのです

これはいったいどういうことなのか?
上記だけ回想をフィルム調にした演出に込められた意図はなんだったのか?

■フィルムを意識した演出はさらにふたつ

ですが、「回想」というファクターを抜いて「フィルムを意識した演出」という切り口で見ると、さらにふたつの場面が加わります
ひとつは、最後の日の教室のシーン。みどりがたまこに話しかける会話の中で、イメージ映像なのか、たんぽぽの3つの綿毛が空に舞い、みどりの嘘にたまこが教室を飛び出していった後、みどりの後にひとつの綿毛が空に待っている映像が入りますが、この直前に「フィルムのような映像の乱れ」があります

そして、EDがやはりフィルム調の映像になっていますが、こちらは監督が「もち蔵が撮影したフィルムである」という裏設定を明かしているので、今回の記事ではひとまず言及を避けておいておきます

ただ、これらを上記した回想シーン2つと合わせてみても、やはり演出意図がまるでわからない、というのが正直なところで、自分はこの疑問の追求を、長いこと保留してきました

ですが、「映画けいおん!」と「たまこラブストーリー」の演出を比較して見るようになってから、ひとつの糸口がつかめ、これらの疑問に一つの仮説が持てるようになりました
以下はそういう話です

■「映画けいおん!」の"写真"と「たまラブ」の"フィルム"

山田監督のふたつの映画作品には、いくつかの共通したギミック、構造が確認できます
大雑把にまとめるとこんなかんじです

ギミック・構造映画けいおん!たまこラブストーリー
1)描かれる価値下級生への友愛幼なじみとの恋愛
2)克服する障害生きる時間の差心理的・物理的距離
3)克服の方法共有体験と歌死者と歌
4)未来の象徴飛行機雲(空)星空(宇宙)
5)異界ロンドン(過去)川(冥界)
6)共同体HTT/軽音部/3-2/高校家族/商店街
7)保護者さわ子/両親/とみ親/商店街
8)橋を渡る架ける
9)価値の伝達写真と歌映像(フィルム)と歌
 
これをひとつひとつ突き詰めていくとそれはそれで記事がいくつかかけるのですが(特に「歌」が作中で果たしている重要性は際立っていますが)、今は9)のひとつだけ。けいおんとたまラブには「写真(ピクチャー)」と「映像(フィルム、モーションピクチャー)」というよく似た要素があるということです

このふたつはそれぞれ、観客に対して描かれた、作中で最も重要な価値を伝達する手段として使われています
けいおんにおいては写真は冒頭から登場し、作中では先輩たちが梓をカメラで撮影してもいます(ただし唯は例外。過去に、教室ライブでの最後の唯の瞬きが「カメラのシャッター」であり、唯だけは唯自身が梓に対してカメラである、という指摘をしました)そして、ラストに部室で唯が梓に渡すものが写真です
一方、たまラブではもち蔵の想いが込められているのが彼の映像、フィルムであって、それはEDで登場します。そして上記の通り、フィルム調の演出が、ふたりの思い出を描写してもいます

しかしここで当然に、なぜ「けいおん!」では「写真」で、「たまラブ」では「映像(フィルム)」だったのか?、という疑問が出てきます

■切り取られた「今」と、生き続ける「過去」

ここで写真とフィルム…映像(動画)の違いについておさらいしておきます
映像の原理はパラパラ漫画と同じです。一つ一つの像は止まった絵ですが、これを少しづつ変えた像を連続瞬間的に見ると、「モーションピクチャー」と言われる通り、人間の脳にはアニメーションして見えます。ちなみにアニメーションの「ani」の語源はラテン語の霊魂、命という意味の「anima」です。アニメーションとは命を吹き込むことなわけです

余談で、これは以前も記事で言及したことですが、たまラブには、「写真」と「フィルム」をつなぐ小道具がTVシリーズの「たまこまーけっと」から登場しています。それはたまこの部屋の棚にある「一眼レフカメラ」と「ミシン」という奇妙な取り合わせです。これはぼーっと見ていると気づきませんが、しっかり映画にも登場しています
なぜ「カメラとミシン」はちょっとググればわかりますが、これが意味するものはおそらく「映写機」です。映写機の技術は、ミシンのダダダと断続的に糸送りするカムの技術をカメラに応用することで発明されたものだからです。これは監督が当然に知っていることでしょうから、「カメラとミシン」には「映写機」という意味があると考えてよいでしょう。ちなみに(TVシリーズより)もち蔵の部屋の棚には撮影用ハンドカメラが置かれています(これはもち蔵とたまこが対である、という意味に解釈していいと思います。ちなみにデジタル以前の時代には撮影用カメラと映写用の映写機は別の機械でした)


で、そんな予備知識を踏まえつつ、なぜけいおんでは「ピクチャー」でたまラブ(たまこま)は「モーションピクチャー」だったのか。比較して考えると、これはおそらく、作中で果たす役割の違いから来ていると考えられます

けいおんは、唯たちが卒業、大学という近未来に向かっていく物語でした。そこで写真は、今この瞬間を切り取って、現在ある梓との絆という価値を未来に伝える手段として機能しています。つまり、今の価値を未来の自分や仲間に伝えていくための手段なわけです

一方、たまラブのフィルム的映像演出も、大意としてはけいおんの写真と同じく、過去の価値を現在に、更に未来に持っていくための手段であろうと考えられます。でもその場にはけいおんではなかった、特別な存在がいることに気づきます
そう、過去で時間の止まっている存在―つまり、故人のひなこです
ここで、それがフィルムであることの意味、つまり止まった絵をつなぎあわせてアニメーションさせることの意味を考えると、ひとつの推察が浮かび上がるわけです

回想がフィルム調なのは「時間の止まった存在を、記憶の保持者が無理に生かし続けている」という意味ではないか?

■フィルム="アニメイト・デッド"の呪縛

作中で冒頭の回想シーンを除き、主としてひなこを記憶している主体はたまこともち蔵です。特に飛び石のシーンではふたりともフィルム調として記憶のひなこを登場させています。つまり主人公ふたりが、死んだひなこを心の中でアニメイトさせて、生き続けさせていたと考えられます
ですが飛び石での告白のシーンの後、このような回想は消えます。ふたりは、死んだひなこをアニメイトさせることをやめたわけです

ここで思い当たることがひとつあります
それは、ひなこを投影していた「お餅石」が「川に落ちた」ことです
過去の記事でも、あの演出は「ふたりの間にいたひなこという存在、呪縛が消えた象徴である」ということを度々指摘してきましたし、「ひなこの死がふたりの恋愛の障害である」と指摘してきました

なぜなら、ひなこが早逝したために、たまこは家族内でひなこの代役を演じ、また彼女自身もそれを目指すようになった。それが彼女を17歳らしからぬメンタリティ、大人に変えていたわけです。もち蔵もまた、たまこのその意志を知るからこそ踏み込めなかった。あの飛び石のシーンで、(少なくともふたりにとっては)ひなこが憑依していたであろう「お餅石」が水中に没するというのは、彼女がもう一度死んでふたりの間から消えた、という寓意と解釈する他なく、まさにその直後、もち蔵はたまこに告白しているわけです

これをさらに一歩進めて考えると、お餅=ひなこ、というたまこのイメージ、思い込みは故人のひなこの偶像化なわけで、実はそれ自体が彼女の中のひなこが本当のひなこではなくなっている、ということなのかもしれません。偶像としてのひなこが水中に没する、とは、ふたりの中の思い込みが消える、ということでもあったのでしょう

これを敷衍すると、あの場面でふたりにとって、偶像としてのひなこがもう一度消えたから、それ以後のふたりの回想の中で、ひなこはフィルム調ではなくなった、と理解することができ、それはふたりにとって、ひなこは無理に生かしている存在ではなくなった、ということだと解釈されます
それはひとことで言い換えるなら、ふたりはひなこの死にとらわれることをやめた、わけです

要するに、あの「フィルム調の演出」の意味は「ひなこの死のトラウマ」「呪縛」だったといえます
たまこともち蔵が「心の中で死者を無理やり生かし続けている」=「ひなこの死を背負い続けている」という"呪縛"そのもの。心にのしかかり、あらゆることに影を落とし続けてきたひなこの死の重さ。それがあの「フィルム調の記憶」だったのでしょう。冒頭の演出がフィルム調だったのも、この物語がふたりがその呪縛から解放される物語だったからだと理解でき、その演出が消えた=「ふたりがひなこの死という心の枷、呪縛を解いた」という意味で、これは物語の流れとも矛盾なく合致します

すると、その後のたまこの回想でのひなこがフィルム調でないということは、今のたまこと共に生きている存在として生き返ったということでしょう。過去の記事で、たまことひなこの関係性が「母と娘」から「恋する同世代の女同士」に変わっている、たまラブは母と娘の関係性の変化の物語であるという指摘をしましたが、それとも合致して、それを補強する演出だったと理解できます。それはたまこが(親の死に囚われた)子供ではなくなった、ということでもあるわけです
 
■みどりの時間

すると、みどりのイメージするシーンで、一瞬画像が乱れて舞い上がるたんぽぽの綿毛がみっつからひとつになる、という演出も、たまこともち蔵ほどでないにせよ、間接的にひなこの死の影響を受けていた彼女のたまこへの拘り、ひなこへの憧れが解呪されたという象徴であり、彼女の心の中の時間、状態が適正に流れ始めた、という意味に理解するべきかと思われます

3つの綿毛は散り散りになる3人をイメージしていたのでしょうし、それが彼女の願望であったのかもしれませんが、結局、現在のたまこともち蔵に拘っている状態から離れて、ひとりで飛び立っていくべきなのだ、ということが正しく受容された、ということなのでしょう

■浮かび上がるテーゼとその仮託

こうしてけいおんとたまラブを比較してみると、ひとつの事に気づきます

作中で示される価値。下級生との絆、仲間との友情、あるいは忘れえぬ故人との絆、そして愛する人への思い。それらの価値が時間を越える手段が、写真であり、フィルムでした
さらに言えば、両作に登場する「歌」もそうです

これらの小道具、ギミックに共通して感じ取れるのは、山田監督が「時間」を意識している、ということです。彼女は自作に通底するテーゼとして「価値」と「時間」との関係性を意識している。そう考えざるをえません

いかなる価値も時間に摩耗していく、それが世の常である。だが作中で提示した価値には普遍性を与え、時間をどうにか克服してほしい。そのためにはせめて作中に「時間を克服する術」を提示しなければならない。そういう「救い」を与えてこそ「"永遠に続く幸福な物語"として完成するのだ」―と。自分はそんな意志を感じます。それはあるいは、祈りのようなものなのかもしれませんが…
つまり「価値が時間を克服すること」こそ、彼女が見据えていた核心なのだと思えます

「写真」「フィルム」「歌(テープ)」の三点は山田監督の履歴や趣向を踏まえても、彼女の人生を支えてきた、一番大切なものでしょう。彼女はそれらにこそ、作品で一番大切な願い、祈り、あるいは己の信念を託しているのではないか、そう思えてなりません

テーマ : たまこラブストーリー
ジャンル : アニメ・コミック

No title

>nanashiさん
コメントありがとうございます。レスが遅くなりまして申し訳ありません
自分はまだ聲の形を読んでいないのですが…どうなることか
多分、原作をベースに、なんらかのテーマについて山田さんなりに再構成した物語をやるんじゃないかな、と思っています

No title

聲の形も作中で映画撮る話なんで楽しみですね。
まあ尺の都合上そこまで行くかは分かりませんが。

コメントの投稿

Secret

DATE LOG
07 | 2017/08 | 09
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
ARCHIVE
ブログ内検索
管理人について

超記憶術先生

Author:超記憶術先生
元業界人(コミック系フリーライター)
Twitter:@SuperMnemonic

問うまい


我の深部にHTTが潜伏したる理由を


我も亦 知らぬなり


こういう管理人w

RSSフィード
"けいおん"特化型ファンブログです
けいおん関連情報&けいおん声優の情報、及び、管理人の感想、考察、イベントレポートをメインに記事を構成しています
山田尚子監督関係の作品記事も取り扱っております
けいおん大好き!!
山田監督大好き!!(笑)
最近の記事
カテゴリー
最近のコメント
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。