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【考察】 けいおん!! #20「またまた学園祭!」感想補足

放送直後の感想では舌っ足らずだった部分を言語化して補足w


【「大好き」から「ありがとう」:外部との関係性が成長描写であること】

概ね20話に対する批判的評価は、第一期12話(S1#12)のように唯たちの演奏に焦点の当てられた描写ではなく、MCやクラスメイトなど客観的視点が盛り込まれた描写だったことに帰結しているので、その点に対する解説を

当日の感想に書いたように
S1#12のキーワードは「大好き」であり、今回(S2#20)のキーワードは「ありがとう」である

第一期は唯たち5人とその周辺の親しい人物にのみ焦点を当てた作りだったが、第二期では、クラスメイトの中の唯グループの相対化や、学年差における相対化、学校行事の中での相対化、近隣住民の中での相対化といった、外的世界の広がりが描かれてきた。これが第一期と第二期の大きな違いで、以前のエピソード、例えばS2#11で成長したトンちゃんがさらに大きな水槽を必要としたように、唯たちの視点の広がり、さらなる広い世界とのリンクが、そのまま彼女たちの成長描写であることを読み取れていれば、最後の学園祭があのような描写になったことに理解ができると思う

つまり、最後の学園祭は、HTTの世界と観客という外部の世界との接点、もっというならステージの上から唯が「ありがとう」を伝えたすべてのものとのリンク、唯たちが内的宇宙から外的宇宙に発信する場として設定されており、「大好き」な軽音を踏み台にして、今は外部に向かって「ありがとう」といえることが、やりたいことや親友たち、という居場所を見つけた第一期を越えて、さらに広い世界の中に自分を位置づけることができた、唯のさらなる成長として描かれている、と見るべきだろう
唯たちと外部との関係性を描いてきた第二期のドラマツルギーとして、その最大の山場である学園祭は、ああなるべくしてなった、蓋然的な描写だったと言うべ きで、S1#12の幻想、再現に囚われて今回の話を見てはならなかったのだと思うし、そのような視点からの批判は適切とは思われない

一言で言えば、「大好きなものを通じて、他人にありがとうといえる」ことが、今回の唯たちの成長であり
S2#20はそういうことを描いた回だったのだ

余談だが、HTTの最後の曲が「U&I」であるのも、その脈絡から理解することができる
この文脈において、「君(U=YOU)と私」「みんな(U=YOU)と私」という他者との関係性を感謝する歌が、HTTの締めくくりの歌であったのは当然だったということができる


【夢想家の唯と現実主義者の律の握手:夢と現実の着地点】

第二期では、いくつかの回に表の物語の主役と、伏流としての裏の物語の主役、裏の主役がいる構成が多く、当ブログの過去の感想でも、もう一人の主役について言及してきたことがあるが、今回の表の主役は唯、そして裏が律だろう

一見、遊び人コンビとして同類にも見られる唯と律には、根本的に大きな違いがある
唯は常に前だけを向いて夢をみることができ、一方で、律は現実に引きずられることだ。律のリアリストとしてのどこか覚めた冷淡さ、あるいは臆病さは、過去のエピソードでもさりげない場面で度々描かれてきている
そのふたりの個性の違いが顕著に現れていたのはS2#12「夏フェス!」で、「あたしたちもすごいよね」と言うことができた唯、それに同調する澪、梓、紬、だけれど夢を語ることを最後までためらっていたのは律だった

今回のエピソードはそのS2#12と表裏一体だと思う
S2#12では律は唯に引きずられるように、他の4人の夢に同調した。あの時、律が拘泥するリアリズムから引きずり上げたのは唯だった。律は唯によって夢の側に「救われた」のだ
しかし、今回は違う。その逆である

最後の部室で、誰もが言語化することを恐れていた、”次がないこと”を言語化したのは、やはり現実主義者の律だった。誰より現実を見つめ、受け入れる強さを持っているのは律だからだ
それに唯が「それは残念だね」ととぼけた口調で言う。それは夢を見てきた唯が、自己欺瞞ながらも初めて律の現実主義に歩み寄った台詞だった。そんな唯に律はさらに現実を語る。それはあるいは律自身の中の夢想を自壊する行為であったかもしれない。だが律はそういう言葉を紡いだ。それは律が夢を追う唯を理解し、認め、感謝していて、そんな唯が最後の学園祭という現実に挫折する痛みを誰よりも理解でき、それでも現実は受け入れなければならないことを知っていたからだろう

部室のシーンは作品を通じて常に夢を見てきた唯が、初めて現実に打ちのめされた場面だったのであり、唯が、そうしなければならないと支えるのは、現実に拘泥してきた、だが夢を追う唯によって救われ続けてきた律以外にありえなかった

HTTは、律の発案と唯の加入によって作られ、現実主義者と夢想家のふたりが友情によって支え合い、影響し合い、ひとつに結ばれて、その夢と現実の間を揺れ動いている
それが、最後の唯と律の握られた手のカットの意味であり
それは、彼女たちの夢と現実の着地点であり、HTTを象徴するショットだったと思う
のだ


【放課後ティータイムはいつまでもいつまでも放課後:メタレベルの寓意】


これは本文中に書いた通りだけども

唯がこのセリフを言うのは、おそらく直前に観客が「放課後!放課後!」と叫んでいたのを受けてのことで、深い考えがあってのことでは(おそらく)ないw
そして、それに観客がキョトンとするのも当然だ。意味が不明だからw

だが、この台詞はメタレベルでは意味がある
「放課後」は学生時代にしかない特別な時間なのだ。そのことに、唯も含め誰も気がついていない
だが、視聴者はわかる。放課後ティータイムが放課後であり続けること、それはHTTが学生時代というひととき、彼女たちにとっての「今」にいつまでもいつまでも留めおかれる青春の偶像であること
それを意味しているのに他ならないだろう


【羽ばたく5羽の鳥:解釈は保留でw】

5羽の鳥が羽ばたいていくシーンについてですが、保留しますw

あれを素直に解釈してしまうと、彼女たちがバラバラになるように読めてしまうw
でも、原作も含めて考えるとそれもどうかと。あのシーンについては最終回まで見守ってもいいように思いますw



ひとまずこんなところでw

テーマ : けいおん!
ジャンル : アニメ・コミック

No title

コメントありがとうございます
そうですね。彼女たちはまだそのHTTの存続と卒業と受験と、それらの相関とどう臨むかについてはまだ見えていない。いつぞやのインタビューで山田監督がいっていたように、彼女たちには一歩先しか見えていない。自分としてはその部分は先読みはしないで、やはり毎回毎回のエピソードを待ちたいと思っているんです。彼女たちの今という時間を積み重ねるのがこの作品で、視聴側もそれが一番幸せな見方だと思うので…
自分もどういうイベント、ターニングポイントがあって、今置かれている状況に対して、彼女たちの目的意識や志が形成されていくのか、それを楽しみにしてます

自分もこの作品は表面に見える以上に制作側がテーマを見据えて描いていると思います。でもその「骨格」が「大好き、ありがとう」と乖離しているのではなく、「大好き、ありがとう」に集約されるように作られている(おわかりと思いますが)。そこが素晴らしい部分だと思います。この作品が青春ものであり、人生賛歌であるように見えるのは、まさにその構造だと思うんです。喜んで化かされようと思いますねw


No title

ご解答ありがとうございました。前書き込みの補足を。

ご指摘の通り、物語上直面している問題は、大きな喪失を伴い、解決不可能な「卒業」です。
ところが卒業に伴う「HTTの事実上の解散」が、実は卒業と分離可能である事には、彼女らはまだ気づいていません。
「卒業」と同時に直面している問題は「受験(進路)」です。
その「受験」が実は「HTT解散の回避」とリンクできる事に、やはり彼女らは気づいてはいません。
ここがポイントで、気づかぬうちは卒業の時点でなす術も無く世界が崩壊します。(20話の悲劇性はここにあります)
さらに、気づいた所で「学力」がなければどうしようもありません。
気づいた上で「学力」をつければ、「卒業」に伴って起こる諸問題のうち最重要点だけは死守可能となります。ところが志望校のレベルに比べて学力不足の描写が多々あり、そこが問題です。
故に「卒業」という大問題を解決する手段は「学力」と書いたのです。(端折りすぎてすみませんでした)

問題が起きた時に問題点を細分化し、優先順位をつけ、個別に可不可を判断し、リソースを集中して要所を死守する。その技術がS2では現実に問われています。
今までの映像から、優先順位はある程度ついている様子です。また、唯や律が受験勉強をしている様子から、受験が鍵である事も感じてはいるようです(澪や律などは、単に実現可能性を考えて口に出せないだけかも?)
明確化して踏み出すのが次の21話だと思いますが、原作でサラっと流した一番のターニングポイントをどう表現するのか、今から楽しみです。さわ子を上手く使えないかな?

監督の「音楽アニメではない」という言葉については、S1においてはすでに修辞的な問題になっているでしょう。本人の意図はどうあれ、完成品の構造からは「音楽アニメになってしまっている」と言えるためです。
逆にS2の「音楽アニメではない」は、「音楽では全てを解決できない事、とくに卒業」を中心に描いているため、実態に即した言葉になっています。
それが「音楽への批判的姿勢である」とは言いません。音楽は夢で有り続け、大切な事を提示し続けています。現局面的に無力になっているだけで、無意味ではありませんから。

最後に、便宜上S3と書きましたが、「夢(S1)」と「現実対処能力(S2)」を得る揺り籠として高校時代を再定義、完結させるための、対比的な仮想構造であるかもしれません。S1と仮想S3(ED、プロ等)から欠落を逆算してS2要素が必要になり、それに「卒業・受験」と「音楽」の相性の悪さを上手く利用した形と考えればプロセスが見える気はします。
まあ何を考えて構成しているのであれ、骨格は深く沈めて「大好き」と「ありがとう」しか見せず、「ストーリーが無い」を装うんだから、狸な作品ですよね。

No title

コメントありがとうございます。興味深く拝読させていただきました

その技術論的批判は封じる必要がないというか、それはプロでもない限り「好み」の問題になってしまいますので、あくまでこれはテーマを取り違えた批判への反駁とご理解ください
音楽アニメだという視聴者の期待に対する制作者の姿勢については、もう監督からしてインタビューで音楽アニメではないと否定しているので、あまり意識してないんじゃないでしょうか。そういう視聴者はまあ、不満だろうなと思いますが…

その上で、映像的カタルシスを殺ぎ落とした点についてなんですが、第一点目はこれは自分も察するところでした
第二点目についてなんですが、ご指摘の「学力」を要する部分は「卒業」ではなく「受験」だと思うんです(厳密には、学内試験に落ちれば落第ということもあるんですが、試験勉強はこれまでのS2エピソードでもさして重視されていないことから見て、読解上重視しなくてよいでしょう)
で、「受験」については、これまであまりクローズアップされていない。原作ではみんなで同じ学校に行きたいという澪の意思表示があって同じ進学先を目指す、という展開上のメルクマールになるエピソードがあったのですが、アニメの場合、ここまでそれがなく、夏期講習のときになし崩し的に唯と律が受験を志した、という説明ネームできている。それは保留されている伏線のひとつで、現時点では「受験」の作品上の位置づけを判断することが出来ません。そもそも「進路」についても保留されていて、今後のエピソードで回収してくれるのではと思っている部分です
現在、物語上直面している問題は「卒業」で、これは時限でほっといてもやってくる不可避の現実、運命なわけです。第二期の学校生活の全ての出来事が、この卒業までのフラグ立てでしかないともいえる。むしろその虚無感というか、音楽への執着、仲間との絆も含めて、全てが流れていく学生時代の出来事にすぎない、という無常観が描写されたのでは?というのがひとつ。もうひとつは唯たちにとっての白日夢のような実感のなさを描写したのでは?というのがそのカタルシスがないことについての私見です。あくまでこれまでの視聴からの直感ですが

自分はこの作品が、音楽への批判的姿勢を持っているとは思えません。ただ、唯たちの人生にとって音楽は大切でいろいろなものを与えたけれど全てではない、という描写できていると思います
もしご指摘の通り、S3まで視野にいれて作っていたらマジでものすごい話です。ホントに第3期があったら嬉しいですね

No title

ライブ部の批評的対立点について。
S1#12の『テーマ的』な再現に囚われて批判するなら確かに的外れでしょうけれど、S2独自のテーマを含んだ上でグダグダにならない演出方法はあり得たのではないかという『技術論的』な指摘は、上記の説明では封じられないはずです。
何より、わざと映像的なカタルシスを完全には与えない作りにした痕跡が、多々見られますよね。

ではなぜ映像的なカタルシスをライブ部から殺ぎ落としたのかが、より本質的な問題となります。
2つ考える事はできますが、1つはこの先のために20話はピークにしなかったという単純な話、もう1つは以下の可能性です。

S1は音楽が中心でした。目標を与え、気持ちをつなぎ、当時の問題を解決し、心を伝える力が音楽にはありました。制作側の意図がどうあれ、これは音楽アニメと言って良いものです。
ところがS2が抱えた大問題である「卒業」に対して音楽は無力です。学力というハードルをクリアする事だけが解決の道となるので、音楽は現実逃避で有害にすらなりえます。
それを踏まえて、S2の音楽は夢を見せるだけ、音楽で解決をさせてはならないという位置づけにあるのではないかと。だからこそ、仲間への執着は強烈に描写するが、音楽の扱いがより軽い。常に外部視点を入れる。視聴者の音楽的な期待は袖にする。
音楽アニメを期待して来ている視聴者も多い事を知りながら、「脱音楽アニメ」を本気でやった?という可能性です。

音楽で夢と仲間を得て(S1)、夢だけではダメだから現実を処理する力をつける(S2)。両輪が揃ってはじめて夢を現実にできます(S3?)。シリーズ全体を見直した上でS2にその機能を付与し、それに従って20話でカタルシスを殺いだのなら、そりゃまた色々と凄い話だなーという事に…。

No title

コメントありがとうございます

律が心を開いてさらけ出せるのは澪だけでしょうし、確かにあの場面で律の涙を指摘できるのは澪なんだけど、「唯と律」は「澪と律」とはまた別の意味で相補的な部分があったと思います。唯と律の距離感、ことにふざけ合っていない時の距離感は絶妙で、律は唯を保護者的に、あるいは姉的に、唯の夢見がちな奔放さをはいはいという感じで扱う。でも馬鹿にしてるわけではなくて、しょうがないなと思いながらも、自分とは違う唯のことが大好きで、6話なんかも、なんかすごいテンション低いのにボタンとかつけてあげちゃったりしててw
そんな唯と律のふたりが共にいてこそのHTTなんでしょう
りっちゃんが唯のことが好きというのが、実はこのバンドにとって、ものすごく重要なことだと思うわけです

いつまでも放課後です!はホント素敵な台詞なんですが、反面でやっぱりHTTはもう続いていかないのか、という諦観もあって、実は複雑な気持ちでもありますw
原作では同じ大学に進みましたが、アニメでは別の結末がまっているのかも、とか。あの5羽の鳥にしてもそうだし。ちょっと引っかかる部分がなくもない…不安ですw
でもやっぱりあの台詞を書く脚本はすごい!と素直に思います

自分はあんな素晴らしい高校時代じゃなかったんですがw なんかほんと、彼女たちが一生懸命に生きてるってのが泣きたくなるくらい素敵です
この作品はホント素晴らしいと思った20話でした

いつまでも放課後

唯と律の二人の手がつながれたあのシーン、私も「なんでこの二人なのかな」とちょっと煙に巻かれた気分でいたのですが、この記事に共感しています。
律の現実感と唯の浮遊感が丁度いいところでつながっていたからこその、HTTだよなぁと。


私は「いつまでも放課後です」という台詞は、自分の実感としてあるので、唯のあの台詞を聞いて憂ちゃんばりにきらめきましたw
大人になったら現実に放課後というものは無いけれど、三十路を越えた今でも高校時代の仲間達と会って話せば、放課後にダベっていた当時の自分達に自然と戻っているからです。
同じ放課後を過ごした仲間との間においては、いくつになってもあの放課後の空気を連れていける。
これから物語は卒業へ向いますが、唯達も「いつまでも放課後」だから大丈夫だね!と少し安心しました。

(放送後の感想tweet)
http://twitter.com/metonova/status/21419354044


ありがたいことに、私は唯たちのように本当に幸せな高校生活を過ごすことができました。
「けいおん!!」を見るたびに自分の少女時代を思い出して、ちょっと申し訳ないくらい幸せな気分になります。

No title

コメントありがとうございます

最後のショットがなぜ唯と律の重ねられた手だったのかは、確かにこれまでの第二期の文脈、特に律の描写へのチェックがないとわかりにくいんじゃないかと思います
でも、12と20話に注目して対比してみると、夢寄りと現実寄りに見事に振り子が触れているのがわかる。どちらの話でも、その両端に居るのは唯と律で、20話の最後に、そのふたりが手を結んで支え合っている、それがHTTというバンドの素敵なところだと思います
冒頭の部室から会場に向かうシーンで律と唯だけがカメラ目線で見えるのも、多分このふたりにスポットを当てる意図があったのだろうと思います

自分も、いつまでも放課後って本当にいいセリフだと思います。こういうネームが出てくる脚本はすごいなあと素直に感嘆してしまいます。自分も社会人ですが、放課後っていう言葉にはやっぱり憧憬を覚えざるをえませんw

応援ありがとうございます。楽しんでいただけたら幸いに思います!

おそれいりました

深い観察力に恐れ入りました
前段の1期「大好き」から「大好きをありがとう」の2期のテーマに変わっていってることはわかっていましたが、
唯律の対比によるドラマ構成であったとは感嘆しました
それで手をつないだアップだったのですね
印象的ではあったのですが、なぜ二人だけと思っていたところでした
これで合点がいきました
それにしてもいつまでも放課後って言うのはよかったですよね
社会人になると放課後って言う言葉が懐かしくって
いいなぁって思ってしまいます
もう何十年も経ってしまいましたが
これからもいろいろな考察を楽しく読ませていただきますね
がんばってください

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超記憶術先生

Author:超記憶術先生
元業界人(コミック系フリーライター)
Twitter:@SuperMnemonic

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我の深部にHTTが潜伏したる理由を


我も亦 知らぬなり


こういう管理人w

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