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話題の「ふわふわ」回想ED動画と「NO,Thank You!」という気付き

今朝方twitterでつぶやいたことの再構成です
今日はなんかネタも無いのでこんな記事ばかりですいませんw

■ あるMADに思ったこと

なんかニコ動で真ENDと騒がれている動画を見た。これについて思うところをいくつか
制作者に対して思うところは無いので、予めお断りしておきます

これが絶賛されているということは、つまり王道ってことだと思う。わかる。そりゃわかります。だってこういうのって、うる星やつらの頃からある演出法だもの。つまりこれは30年前の80年代のセンスなんだけど、時代を超えて絶賛される定番でもある。自分もかつてはこういう映像を見て感動した人間のひとりですから、賞賛する気持ちはわかる

以下は、それを踏まえてあえていいますが
それでも第ニ期を「ふわふわ時間」で締めることはありえない
そんなことからあれこれ考えていこうと思います

■ 作品の主題とテーマソングを考察する

第2部において「ふわふわ時間」が、どう扱われてきたか
そう。本編中でふわふわ時間はフルコーラスで一度も使用されていない。一番長くかかったのは7話だと思うが、前奏など一部が使われるだけだった
つまり、「ふわふわ時間」は第2部のテーマソングどころか挿入歌ですらない
この楽曲がライブでの印象が強くファンに深く愛されていることを踏まえても、だが作品中においては、この動画がいみじくもしめしているように「ふわふわ時間」は高校2年生時代の思い出の中の楽曲でしかないのだ

そこで、そもそも第1部と第2部の作品のカラーがどう違うかという話になる

20話の時の考察に書いたように、けいおんという作品は3つのフェーズに分かれる。「ドラマもキャラも終わりを見据えていない」第1部、「ドラマ自体は終わりを見据えながら、キャラが終わりを認識するまで」の第2部20話まで、そして「全てが終わりに向かっていく」第2部21~24話までの3つだ。大きくみても第1部には幸せな時間に終わりがなかったが、第2部には終わりがあり、それを見据えて今を駆け抜けていく物語だった
また、24話の感想に書いたが、物語の締めのカットが第1部13話(放送最終話)では部室の扉であったのに対して、第2部24話では校舎であることにも象徴されていように、世界の広がりとしても第1部は内的世界に完結している一方で、第2部は部室の外へと広がる世界を描いている
さらにメッセージ性としても、フェーズ1は「けいおん大好き!」に象徴されるように個人の内的充実の物語だったが、フェーズ2は「大好きをありがとう」に象徴されるように他者との関係性の物語だった。そしてフェーズ3は「私たちの曲、聴いてくれる?」は20話で描かれた他者への感謝を超えて、さらに他者へとつながろうとする意識、自分の思いを発信しようという外的ベクトルの結実である

つまり、第1部、第2部20話まで、第2部21-24話まで、はテーマとしてそれぞれ全く別の作品だ

そういう意味では、終わらない幸せな時間を描いたフェーズ1を象徴する楽曲は「ふわふわ時間」であり、フェーズ2を象徴する楽曲は他者との関係性をテーマにした「U&I」だろうし、フェーズ3を象徴する楽曲は、他者に自分の気持を伝える「天使にふれたよ!」ということになるのだろう

だから作品としての文脈的に、第2部エンディングの楽曲は「ふわふわ時間」ではありえない
ふわふわ時間に帰結することは、シリーズのテーゼそのものを否定してしまうからナンセンスというべきなのだ

■ ファンと制作者の合意としての回想ED

もっと大きな話をすると、ああいう「回想系エンディング」はそもそもファンに対するアピールであって、件の動画のようなエンディングが成立するような背景には「これが最後」という、制作者とファンの合意があるべきなのだ。それがあってこそ、感動の回想系エンディングになる
ちなみに先に引用したうる星劇場4でのエンディングについて言えば、確かにその映画は当時、原作終了のタイミングに合わせてシリーズ最終作を企図して作られたものであり、制作者からファンに向けたメッセージ性のあるものだった。実際はその後、完結編が作られたりOVAが作られたりもしたのだが…まあそれはおくとして

ところが、「けいおん!!」の最終回は、そのようなエンディングにはならなかった
その事実を改めて素直に受け止めて、その意味を捉え直してみるべきじゃないだろうか、と思う

実際の最終回の締め方がああだったこと
そこにはやはり山田監督が雑誌で度々言っているように「唯たちの青春を切り取ってみせただけ」「彼女たちの学生時代はこれからも続いていく」ということをきっちり示したい、という制作者の確たる姿勢がある。山田監督がクリエイターとしての筋を通したのだ。それをファンが支持することこそ、逆説的だが、ファンもともに作品を作っているということになるように思う
それは見方を変えれば制作者とファンとの間に「これが最後」という合意が「ない」ということだ。「まだ続編作れそうなエンディングじゃん!」といっているのではない。ああいう感傷に浸るのはまだ早いのかも知れないということだ

■ 思い出に浸るのは「まだ」”NO,thank you!”

それに、けいおんにおいては「ファン向けのメッセージ性」という部分は、楽曲が強く担っていたのではないだろうか
「Utauyo!!」の「大好き~ありがとう」にしても「U&I」にしても
本当は、多くのファンがあれらの歌から制作者からファンへの感謝の気持ちを受け取れているはずだ
すると、ここでED「NO,Thank You!」の意味を考えなければならないのではないだろうか
そう。あの歌は「思い出に浸る甘美な贅沢は、まだちょっと遠慮したい」といっているのだ

そのつもりで今NTYを聞き返してみると、あの動画のような回想系EDは制作者から明確に否定されている、という読み方もできる
もっというと、「まだ」ということは「続きがある」とも読める
まあ、これはさすがに深読みであり願望かw

しかし本当に「まだ」で続きがあるのなら
回想系EDは劇場版で完結などして、その時にやってくれるといいなと自分は思うわけだw

テーマ : けいおん!
ジャンル : アニメ・コミック

コメントありがとうございます^^

同感です。卒業は終わりではなくて始まりだと思います
シリーズを振り返ってみると、満開の桜の学校で始まりましたが、最終回は桜が芽吹き始める季節ということが描かれてましたし、唯が桜を拾った場所で冬に梓が先輩たちとの別れを思ったり、さわちゃんの進路希望と唯のそれが同じだったり、あるいはさわちゃんたちが佇んだ横断歩道に唯たちが佇んでいたりと、学生生活の日々や学校という舞台は一貫して「繰り返し」として描写されていたようにも思います。梓が泣くシーンのBGMもとりざたされてますが、あれも泣いて別れて全て終わりではない、始まりだという強いメッセージだと思います
それは螺旋で連環していく営みで、梓は唯の台詞をなぞったけれど梓は唯ではないし、さわちゃんはやっぱりあの黒板の文字を消して次の唯たちではない新入生を迎えてまたあんなふうに生徒を見送ることになる。おそらく作品は、その連環の中に「唯たちの卒業式」を位置づけようとしていたんじゃないでしょうか

そんなわけで自分は本当にあの最終回はあれでいいと思っているし、これまでの流れを踏まえても、あの最終回で情報に過不足はないと思ってます。ついていけない、好きじゃない視聴者がいるのもわかるんですが
まあ、今書いたようなことも近々記事にしてみようと思います

どうもありがとうございます。こちらこそ楽しく拝読させてもらいました
どうぞこれからも宜しくお付き合い下さい^^

No title

これには本当に同意です
山田監督が彼女たち(梓とさわ子以外)に回想は必要ない、とまで明確に言ってるので
回想で終わるのはEDのこともあって有り得ないと思ってます

ただ、卒業は唯達にとっては終わりじゃなく始まりなんですが
視聴者にとっては今の所終わりでしか無いんですよね・・・
そこらへんに差異が出てこのようなEDの方がいいんじゃないか、という
意見が多く出たんじゃないか、と思ってます



>ただ今の自分はそれを超えて山田監督以下クリエイターに心服してる部分があって、作品のまま受け止めようという気持ちになっている

凄く分かりますw
面白くないと思ったものを無理に面白いと思ったりはしませんが、
これはこれでありじゃないか、と思ったものには基本的に肯定する感じです
なので梓が無くシーンでのBGMや、最後の終わり方に不満は感じなかったり
こういうのを信者って言うんでしょうが^^;


最後に
ここのまとめには賛同するものが多く、毎回楽しませてもらってます
考察とかは真面目に考えたことはあまりないので一方的に納得してるだけですが・・・w
これからも素晴らしい解説期待してます、有難うございました

No title

コメントありがとうございます
NTYに山田監督が込めたある意図があることはインタビューを見てもほのめかされているのですが、監督の口からはそれが具体的に何であるかが明言されてません。「最終回を見てからNTYを聞くとまた違った感じ方があるかも」みたいなことを言っていたと思うんですが、それが何であるかという話にもちょっとつながる考察をしてみました

24話の感想でうる星やつらに似ていると書いたんですが、いみじくも、この動画でやっててることはまさにうる星でやっていたことでした。モラトリアムを終えていく作品なのに、自分も含めてファンがモラトリアムのままでいたいというその意識の差というのは、うる星やつらでも似たようなことがあって、今のけいおんにはそれをなぞっているような既視感が自分にはあるからです(うる星のときはファンがモラトリアムの楽園から追い出された感じだったんですが)。だからそのおっしゃる気持ちはすごくよくわかります。ああいうEDが観たいという気持ちはよくわかるんです、本当に
ただ今の自分はそれを超えて山田監督以下クリエイターに心服してる部分があって、作品のまま受け止めようという気持ちになっている。そういう意味でも、やっぱり自分にとっては、けいおんはある意味でうる星を超えてしまっていますねw

今後もまた徒然を記事にしてみようと思いますので、よろしくお願いしますw

No title

いや、ホントにびっくりしました
ED「NO,Thank You!」にそんな隠れた意図があったなんてことは
露とも気がつかずに、ただいつものように聞き流していただけでした

うる星やつらのころにはもうすでに社会人になっていた私が言っても
なんだこいつと思われるでしょうが
けいおんは久しぶりにはまったアニメでして
主人公たちはすでに自分の子と同じくらいで
学生時代を懐かしく思い出させる作品だったわけです
大人のような甘美な贅沢としてけいおんを見て思い出浸る
とすれば、やっぱり王道のEDの方がしっくりきてしまうということなんだと思います
もちろん言われていることはごもっともだと思いますし、
製作者の方々は良くぞここまで考えて作られたと感心しています

ただ私が思うには
「NO,Thank you!! 思い出なんていらないよ
だって今強く,深く愛してるから
思い出浸る 大人のような甘美な贅沢
まだちょっと...遠慮したいの」
と、歌い上げてるのに
けいおんを見ている人たちは
私も含めてですがヲタクっぽい人が多いのでしょうから
言ってみれば大人になりきれないというか
大人にズッポリはまりたくない
モラトリアムな人たちが多いのだろうなって思います
いつまでたってもモラトリアムから抜け出せない人たちにとっては
大人になりきれないわけで
その意味では歌詞がしっくりきてないわけですけど
大人になりきれなかった大人ってことでしたら
まぁ甘美な贅沢っていうことで思い出に浸らしてあげもいいのかなって思ったりしたわけです

最後にいつも拝見させていただいています
これからもすばらしい解説を期待しておりますので
よろしくお願いします

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