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<構造解析> 将来・進路決定の物語

これまで毎回、感想を通じて各回のエピソードが描いたものを整理してきたが、最終回を終えて、シリーズを通してこの作品がどういうドラマを描いてきたのかを、エピソード間の繋がりを縦割りの視点で踏まえながら考察してみようと思う

最初のテーマは、3年生組の進路決定の物語を取り上げてみる
もちろん話題の題材(?)ということもあるのだが、実際のところ、これはこの作品のもっとも重要なメインストリームとなるドラマであり、やはりここから語らなければならないのだ
他の要素は枝葉とはいわないが、全てこの大きな流れを幹として繋がるものといえるだろう

ただし、今回は梓と3年生組との関係性はあえて触れず、卒業生である唯たち4人の変化を見ていき、どういうドラマが描かれていたのかを振り返ってみる

予めお断りしておくが、以下はあくまでひとつの私見であり、他の見解を否定する主旨のものではない
その点をご留意いただいて、興味のある方だけ読み進めてもらいたい

■ 進路決定に至るまでの紆余曲折

4人は#21において進路を決定するのだが、まずその前の#20までに進路決定を巡ってどういうドラマがあったのか
重要と思われるエピソードをかいつまんでおさらいしたい

● #01「高3!」 ~ワクワクの唯と進路を口にする澪。唯=モラトリアムの勝利
  (過去の参考記事→  

この回は、4人の間で高校3年生という一年間についての認識にズレがあり、それが唯の考えに合意するまでの物語である

唯は高3という新生活に前向きで「3年生だよ、一番上の学年だよ、3年生ってどうしたらいいのかな」という台詞にわかるように、現時点での喜びに浮かれているばかりだ。クラス分けでみんなが同じクラスになったことにもただひたすら喜んでおり、さわ子との会話に見えるように3年生の終わりを見据えてもいない
唯がこの問題に対して持つスタンスをもっとも象徴する場面は、講堂に向かう渡り廊下のロングシーンだ。講堂へと歩いていく3人。だが遅れてきた唯は立ち止まり、足元の桜を拾う。ここでは唯だけは鈍い歩みで、その時その瞬間の感動、今の価値を拾ってから先に行く人物であることが示されているのだ。ちなみに、桜を「今の価値」の寓意としてみるのなら、11しかない桜の花は、4月から3月1日の卒業日までの高校3年生の11ヶ月を象徴している
唯はまさしくこの作品の「今を生きる青春」を体現する人物で、学生のモラトリアムの象徴といえる

一方、他の3人はどうなのか

印象的な場面は、澪の唯に対する「一緒なのも嬉しいけど進路も考えないと」の台詞に、唯以外の3人はふーっとため息をつくギャグのシーンだが、ここから唯以外の3人は進路問題が将来に待ち受けている現実を無視していないことがわかる。ただしその感じ方は3人でバラバラのようだ

紬は進路の件ではため息をつくが、校歌斉唱の場面は笑顔であり、唯同様に浮かれる気持ちがあることが推測できる。紬の最大の幸福は仲間たちと共にあることであり、その意味では唯と同じように現時点の嬉しさが上回っていることが推察できる

浮かれる唯ともっとも対照的に描かれているのは律で、表面的には普段と変わらないが、「3年になったこと」に浮かれる唯に「なにがそんなに嬉しいんだよ」とシニカルな言葉を投げかけており、唯の浮かれる気持ちへの共感がないことがわかる
そして講堂に向かう渡り廊下のシーン。カットが切り替わる直前、なんと律はうつむいている。そして続く校歌斉唱では瞼の落ちた律の横顔は虚ろで暗く見えるのだ。これを単に退屈な行事に飽きているだけという読み方もできるが、やはり律の心が高校3年を迎えてとても浮かれる心境ではないこと―つまり、唯とはもっとも対照的に、この1年で高校生活が終わることに落ち込んでいる、と見るのが妥当だろう。だが、のちのエピソードでわかるように、進路に対して何ら具体的な指針を立てられない律は、将来・進路問題について唯のアンチテーゼを示せるわけでもない

唯との対立軸となる価値を提示しうるのは、やはり先の台詞で「進路」という単語を初めて口にした澪だろう
澪は唯のはしゃぐ気持ちに一定の理解を示しつつも、進路問題が控えている常識を当たり前のこととしてきっちり認知している。でもそれが澪の心に影を落としていないことは、校歌斉唱での表情に陰りがないことからもうかがえる
澪はこの一見矛盾した双方の視点を同時に持つことが出来る人物であり、それはメルヘンチックな妄想癖を持つ一方、平時はごくごく常識的な優等生として振舞っていることや、第一期#04と#10の合宿での練習と遊びに対する主張の変化(遊ぶことやゆとりの受容)からも、すでに描かれていることだった
余談だが、校歌斉唱のシーンは、現実に対する律と澪の受け止め方の違いが現れているとも言える。律は現実の重みを素の心で受け止めてしまうが、澪は現実を常識・理性で受け止めることができるのだろう

そしてこの澪の常識観こそが、4人の将来・進路問題を巡る唯との対立軸である

このエピソードでは、その後4人の関心は自分たちのことよりも、後輩のいない梓への気遣いに移ってしまう
Bパートに入り進路問題は棚上になったのかな、と思えるが、実はそうではない
その梓の後輩問題はひとまず唯の「このままでいいよ」で決着するのだが、ここに重大な問題のすり替えがあるのだ
それはこの唯の発言は問題を抱えた梓に向けられたものではなく、さわ子の立ち会いのもとでの3人に向けられたものだということだ。唯の台詞は梓の抱える問題を何も解決していない。実はこの台詞が解決したのは前半で描かれた、4人の進路問題への姿勢である

つまり他の3人は(澪の言うように)将来を憂うより、唯の今を楽しもうという価値判断に賛同したのである

総括すると、第1話は進路と将来を見据えるテーゼが澪から提示されたものの、唯の今を楽しむというアンチテーゼ、モラトリアムが勝利したのだ
そしてそれがその後の3年生組のコンセンサスになり、進路問題はこの後長く棚上げされる

● #04「修学旅行!」 ~大人化を解除され、モラトリアムに還る澪
  (過去の参考記事→ 

この回は監督役に徹して他の3人に同調せず、大人的であろうとした澪が、3人と同じように笑える=等身大で今の時間を楽しむようになるまでのエピソードと言える

この回、澪の頭から決して進路問題が消えていないことは受験祈願を書いた絵馬からも伺えるが、澪がこうなることは、#01で澪が進路を口にした張本人であることを踏まえてみれば物語の脈絡として至極当然ともいえる
その澪の常識感覚と強い理性は、この回では形を変えて監督役という「大人化」として発現したのだ

だが、その澪を律がモラトリアムの側に引き戻す
律は最初から監督役に徹しようとする親友・澪の不自然さを見抜いており、それは行きの新幹線での澪に梓がお茶を差し出すシーンにまず現れている。澪にお茶を進める紬に律は「さすがムギ」というが、これはよく考えると「さすが」というほどの行為といっていいのかという違和感がある。だが、「監督役になろうとする澪の気張りを解こうとしているのだ」と解釈すると意味が通るし、そういう意味では紬もまた、気張っている澪の異常を見抜いていたのだろう
また、この回では律と唯の遊び人コンビがめざましく機能するが、#01を踏まえると律が唯の感性に同調して見習い、#01でのコンセンサスを忘れかけた澪に、その認識を還元したという見方も可能だろう
かくして、律のギャグに笑えるようになった澪は、大人じみた達観から開放されて、友人たちと同じモラトリアムの側に還ったのだ

この回を総括すると、#01を踏まえたモラトリアムの肯定ということができる
絵馬で密かに受験を意識しつつも、それを打ち消すように現在の楽しさが肯定され、さらに将来の進路問題は先送りされたのだが、改めて澪が唯に対するもうひとりのキーパーソンであることが示されたと言えるだろう

● #07「お茶会!」 ~プロローグ:空のむこうという未来にいる曽我部
  (過去の参考記事→ 

この回では、和が憧れの先輩、曽我部を空を通じて思う
「先輩とは空で繋がっているのだ」とはスタッフコメンタリーにある通りだが、また校舎内と空(学外)という空間の差は、そのまま高校時代と卒業後という時間の差を寓意してもおり、さらに曽我部が唯たちの将来、未来像を寓意するものであることは、彼女が北海道のクラーク像の脇にいることから決定的でもある

つまりこの回は、曽我部という唯たちの1年先(1年後の姿)にいる女子大生をあえて視聴者に意識させ、#01から棚上げされていた3年生組が見据えるべき「将来・進路問題」を初めて(改めて)、表のテーマとしてほのめかした回である

これを鏑矢とし、次から3話続けて、唯の将来・進路問題に対する問題意識を描くエピソードに突入する
#08~#10の3話については以前考察をしてあるように、トリロジーと見るべきだろう
詳細は以前の考察を参照してもらうことにして、ここでは簡単におさらいをする

● #08「進路!」 ~トリロジー1:過去への問い。唯を支えてきた1人の親友

  (過去の参考記事→  

この回はタイトルからして「進路!」であり、進路調査票を出していない唯に焦点が当てられる
#01で一度口の端に登りながらも誤魔化され続けてきた将来・進路問題がついに露呈し、#01以来、3年生組のコンセンサスであるモラトリアム肯定というイデオロギーの象徴である唯が、将来・進路を考えなければならない、という命題を突きつけられることになる。すなわちシリーズ中でも屈指の問題提起となるエピソードと言えるだろう

この問題提起から、モラトリアムの全肯定というそれまでの流れは変わり始める

この回では唯と和の過去と澪と律の過去が描かれたことからわかるように、「過去」というテーマがある
和がかつての唯の「夢」をあれこれと列挙するシーンがあり、将来・進路問題に対しての過去への問いかけが行われているのだが、唯は遂に進路を決めることができない
つまり#08は将来・進路問題について唯が過去に回答を求めたエピソードであり、結論として、唯の思考が亀の歩みであることが示された以外に過去からの収穫はなく、進路問題は保留されるのである

一方、進路問題について唯以外のキャラクターはどうか

視聴者を全く置き去りにするように、すでに紬と澪は(和も)進路を決めている
決定に至るふたりの葛藤や思案は一切描かれていない。ここに強い違和感があるが、重要なことは示されている進路決定に対する3人の主体性、積極性の差である
澪は推薦狙いであり、主体的かつ具体的に進路を想定している事がわかる。親友である律との別れの葛藤はどうクリアされたのかは作中を通して全く描かれていない。ただ澪が推薦を狙っているという事実のみが澪の意志として提示されている
一方、律は「未定」だった。さわ子から「ちゃんと考えなさい」という説教に「へーい」とこたえていることからわかるように、律は唯のように何かやろうと思いながらも何も決められないのではない。積極的な「未定」であり、要は「そんなのわかるか!」という放り投げである。つまり進路について、律は主体的な指針をもってはいないのである
そして紬も(原作によれば父親の勧めで)受験先を決めており、これも強い主体性のない進路決定といえる

つまり、この回で将来について主体的にあれこれ考えて決めようとしているのは唯と澪だけであり、またしても#01で描かれた対比に回帰している
4人の「将来・進路問題」がやがて唯か澪の決断に委ねられることは、#01を踏まえて、この#08でほのめかされているといえるだろう

また#08では将来・進路問題を巡るさわ子と和の傍観者、観察者としてのポジショニングが定義された

さわ子が唯たちの傍観・観察者であることは#01での「あなたたち、1年って…」の台詞からわかるように#01から暗示されているが、この回では公然と、唯たちに進路問題を突きつける者というドラマを転がす重要な役回りを与えられており、さらにさわ子自身が唯たちの道をすでに通った先輩であることも示されている。さわ子が見せた遠い目が唯にかつての自分を見たものであったことも、後に#10で明かされることになった
以後、さわ子は唯たちの最良の観察者としてドラマに描かれることとなる

またこの回で、唯と和の将来的な別れが暗示されている
階段を登る亀を進行方向になでる唯と、階段を登る亀を送り出すように撫でて階段を下っていく和。亀が唯の寓意であることは言うまでもなく、和が唯を送ることはあの場面に暗示されていた。そして事実、それは24話での階段を上下に別れるふたりの会話へとつながっていく
幼稚園から続く絆で結ばれた唯と和の別れの物語は、まさにこの回から静かに始まっていたといえるだろう

● #09「期末試験!」 ~トリロジー2:唯の現在を示す、3つの評価
  (過去の参考記事→ 

試験と演劇ステージという、その時直面しているふたつの問題にどちらも全力で取り組み、改めて今を頑張るという唯のひたむきなキャラクターが描写された
ここでは唯が3つの評価を受けている
表面的には中間試験。次にステージでのトミからの評価。そしてステージをフォローする梓からの評価である。そのいずれもが唯という人物を浮かび上がらせる要素であり、総じて唯の現在にスポットが当てられたエピソードといえる

このエピソードでは「将来・進路問題」は表面的には描かれていない
しかし「将来・進路問題」を背景として、唯があくまで現在を頑張る人物ということが再確認されたと考えるべきだろう

● #10「先生!」 ~トリロジー3:唯たちの未来を示唆する、2人の人物
  (過去の参考記事→ 

「先生!」というタイトルはそのまま人生の先生、お手本であることも暗喩している
信号待ちのシーンに象徴されるように、軽音部OGたちと唯たちが対比されたエピソードであり、OGの姿は言うまでもなく、唯たちのひとつの可能性の未来でもある。そのもっとも重要な情報は、DDの絆が大人になった今も続いているということであり、唯たちの絆もまた永久不滅であるはずだという暗喩がこの回からは受け取れる

この回では唯が「あたしも大人になったら大人になるのかな」という印象的な台詞を言う

それは#01以来モラトリアムの象徴だった唯が、初めて自分の将来像をぼんやりと意識したメルクマールでもあったが、それ以上にこの台詞が、紀美へのあこがれから放たれたということが重要である。唯は#08からのエピソードで初めて、人生の先輩に将来のあこがれを抱いたのだ
一方、さわ子が、DDの過去を「あの頃においてきた」と自分に言い聞かせつつも、それは欺瞞だったことが描かれる
真実のさわ子は過去を捨てたのではなく過去を積み重ねて今がある。そしてその姿こそ、「あたしも大人になったら…」という唯のぼんやりとした問いの答えなのだ
故にこの回は、#08から続く唯の将来・進路問題に対してひとつの指針を示し、ひとつの区切りをつけたエピソードということができるだろう

そしてこの回では、さわ子がかつて進路希望調査票に唯と同じく「ミュージシャン」と書いて、堀込先生に突き返されていたことがはっきりと示される。#08の遠い目の理由が明示されたわけである
ここで、#08でさわ子はなぜかつての自分と同じ進路を出した唯と律にダメ出ししたのかを考えなければならない。実はこれは重要な示唆を含む問題なのだが、その考察はさわ子が進路調査票を受け取る#21まで保留する

● #12「夏フェス!」 ~オーラという名の絆。音楽という夢

  (過去の参考記事→ 

この回は、第一期の#04を踏襲して5人が絆と夢を共有することを再確認したエピソードといえる
そして、最も重要な会話が、ラストシーンで交わされる

唯 「でも、やっぱり私たちの方がすごいよ。一体感というか…なんというか…そう!オーラが!」
澪 「そうだよな…放課後ティータイムも凄いバンドだよ! な、唯!」

唯はここで、他の4人に重要な価値を示す。それはHTTへの根拠不明の自負心だ。唯の感性はおそらく本気でこの台詞を言っている。では、唯が確信しているHTTのオーラとはなにか
第三者的にはとてもプロには及ばない音楽。でもなにか別の理由があって唯にはすごいと思える。その理由は、#01で桜の花を拾うように今の価値を見つける唯が4人を差し置いてあえて指摘できるものであり、唯が理屈抜きに感得しているものである。おそらくそれはHTTの音楽が、5人の絆によって生まれる音楽だということであり、唯が感じているオーラとは「一体感」、つまり5人の絆のことだろう
実はこの「すごさ」は、第一期#08で梓が4人の音楽に受けた感動として既出の設であって、軽音部の音楽の魅力の根源が4人の日々の生活の積み重ねによって作られる絆にあることは、実は第一期#09で澪が、感動の理由がわからなかった梓に対して指摘したことである

この回、全編通して一番はしゃいでいるのは澪で、ラストを締めるのも澪のカット、そして澪の台詞であることから澪がエピソードのキーパーソンであることは明らかだ。だが、重要な台詞は唯から放たれている。一方の澪が握っている鍵とはなにか。やはりそれは、常識的な澪でさえ放課後ティータイムを通じて唯の思考に共感できるということに他ならないだろう
#01で「このままでいい」という唯の主張の対立軸だったのは、澪の示した「進路を考えなければ」という常識観だ
だが、そもそも澪の素顔は唯とはまた別のタイプの夢想家であって、夢みることについては澪は唯に負けずとも劣らずポジティブなのだ。この回の澪は音楽の祭典に参加できた感動で終始平時の冷静さを失っていることからわかるように、澪は音楽に対して強い情熱と関心を持っている。そんな澪が本来持っている情熱や夢想を誘ったのが先の唯の台詞だったということだろう
澪にとって音楽とは夢であり、HTTは自身の常識観を打破して夢想に向かう手がかりなのだ。そしてそれは他の4人にとってもおそらく同じはずである。だからこそ最後に5人は同じ思いで星を見上げるのだ

総括として、この回はこの5人が唯が示したHTTという価値への共鳴によって相違点を克服し、これからも続いていく可能性を示唆したと言うことができる。それは将来・進路決定というテーマにおいて極めて重要な事実であり、これが#21での4人の決定の決定的な要因になっていくのだ

● #13「残暑見舞い!」 ~夢を追いかける唯たち。はぐれる梓
  (過去の参考記事→  

花火を追いかける唯たちは、4人の進路を暗喩するシーンと言える
花火は第一期#04において夢の暗喩であり、その花火がさらに大きくなっていることも寓意だろう
それは今後の展開を予告するカットであり、#12を踏まえても伏線である

● #14「夏期講習!」 ~消極的選択としての受験
  (過去の参考記事→ 

この回で衝撃的?なのは、唯と律が受験を選択したことがはっきり語られたことだろう
夏期講習自体には#13で通っているので、その決定が#13以前からのものであることが推察されるが、その決定の理由は「今から就職活動は遅すぎる」からでしかない。つまり唯と律の選択は消極的選択であって、目標があってのことではないのだ
その消極性の問題解決は、#21で最終的に進路が決定するまで留保されることになった

● #15「マラソン大会!」 ~憂鬱な2学期。卒業の準備

  (過去の参考記事→ 

この回ではアバンに2学期を迎えた4人の様子が描かれている
部活動としてはいよいよ最後の学期であり、その様子は始業式の表情に濃く、これは#01の始業式と対比してみるべきだろう
澪は真面目、律は気怠そうに半眼で、ムギは笑顔、唯は寝不足である
A冒頭でははっきり澪が「受験生だろ」という言葉を口にして、唯と律は胸を痛める描写がある。4人にとって将来・進路の問題はすでに無視できない問題になっているということがいえるだろう
それを受けてムギが「楽しい思い出がいっぱいできたよね」と夏休みを総括しており、彼女たちが思い出作りをある程度意識的に行なっていることも示唆されている
つまり、この頃から4人は3年生を終える準備を意識、無意識にかかわらず初めているのだ

● #16「先輩!」 ~上級生の自覚。卒業の準備
  (過去の参考記事→ 

冒頭余ったケーキを、4人は梓に譲る
これは#14において余ったひとつのケーキを巡ってゲームをやったのとは対照的な描写だった
#14で梓が余ったケーキを「これを5等分することはできない」といっていたように、それまでは余ったケーキはおそらく等分されていたのである。だが、この回の冒頭の4人は、もうそれを梓と一緒になって奪うことはしない。上級生の自覚が芽生えているのだ(遅ればせながらだが)
これも#15同様、4人の3年生を終える心理的準備が始まっていると見るべきだろう

● #20「またまた学園祭!」 ~モラトリアムの終わりと、絆という成果
  (過去の参考記事→    

この回のメインテーマは、#01で示されコンセンサスを得ていた唯のテーゼであるモラトリアムにしがみつくことの終わりである。現状維持はもうできないという現実の受容である

すでに意識化しつつあった卒業という現実がすでに4人の誰にとっても欺瞞できないものになっていたことはホワイトボードの泣いているハンサムさんからも明白で、4人は高校生活最後のステージを自覚してライブに望み、それを大成功させる
ライブ終了後に、4人は「次はない」という不可避の現実をはっきりと言語化してそれまでの欺瞞を解き、その悲痛を共に分かち合うことで乗り越える
唯の認知、律の言語化、澪の自負、紬の同意。それらによって4人は改めて強い絆で結ばれ、卒業をまもなく迎える最上級生へとわずかに成長した

この回を総括すると、モラトリアムを終えた4人はその代償に「絆」という成果を手にしたといえる
それは#12を越えてこの回ではっきりと描かれた彼女たちの3年間の結晶とも言うべき最大の価値であり、次回の将来・進路問題を解決する最重要のピースとなるのである

■ #01~#20の総括 ~3つのストーリー

というわけで、#01~#20までをざっとおさらいしてきた
全体を大雑把に総括すると以下のような3つの流れになる

(1)モラトリアムを巡る意識の流れ (唯に象徴される現状保留の主張)

 #01:モラトリアムへの帰属(唯の意識への同調)
  ↓
 #04:モラトリアムの維持
  ↓
 #15~16:モラトリアムの揺らぎ
  ↓
 #20:モラトリアムの終わり

(2)進路問題を巡る意識の流れ (澪に象徴される将来を考える主張)

 #01:進路問題の意識化の拒否
  ↓
 #08:進路問題の具体化(澪の積極的な進路決定)
  ↓
 #09~10:進路決定要因の確認
  ↓
 #14:なし崩しの受験選択(唯と律の消極的な進路決定)
  ↓
 #15~16:卒業間近という現実への認知の浮上
  ↓
 #20:現実の受容

(3)4人の絆の流れ (唯と澪の合意点)

 #10:可能性の未来としてのDD。絆が永久不滅である示唆
  ↓
 #12:夢に向かう4人の共鳴、共感
  ↓
 #20:4人の絆の確認と強化

これを踏まえて、ドラマは4人が進路を決める#21に移行する

■ #21「卒業アルバム!」 ~鍵を握る澪、魂の焦点としての唯
  (過去の参考記事→ 

タイトルが象徴するように、ドラマ的にもこの回から卒業は完全に表面化したテーマになっている
また前段を受けて、言うまでもなく#21の4人は卒業を完全に意識化している

その上で、4人の進路決定問題が#08以来改めて浮上する
この時点で確定していないのは唯と律の進路で、受験をするということ以外は何も決めていない
さわ子に「どこの大学?何学部?」と突っ込まれてふたりは一言もない。そして消極的理由から、ムギと同じ学校を受験するということをいいだすのだが、この点も#08と比べても全く進歩がない。父親に決められて進路を決めたムギ。そしてそれに迎合する唯と律は、要するに将来の進路について、何らその具体的な目的意識を持っていないのだ
要するに置かれている状況も考えも、#08に全く戻ってしまっている

そこでこの回、進路決定の鍵を握っているのは澪の意識である
ここで再度指摘しておくが、#01で進路を考えなければと言い出したのは澪で、それを否定して#20までをリードしてきた「このままでいいよ」という唯のモラトリアムのテーゼが終わった今、新たなテーゼを示すのはドラマツルギーとして澪なのだ

推薦入試申請を控えた澪は、同じ受験先を決めた3人を不思議な表情で見つめる
自分だけが別れてしまうという思いは間違いなくあっただろうが、だからといって澪はその場で自分も同じ学校にいくと切りだしてはいない。それは常識的で理性的な澪にはできない安直すぎる決断だ

では澪が、推薦入試を蹴って3人と同じ進路を選ぶと決心したのはいつか。それを決めさせたものは何か

それを考えるためには、#20までの澪のアクションを再確認しなければならない
澪が印象的だったのは#04、12、20だろう。特に澪は#12では唯の思いと共鳴して常識的な考えを捨て、#20では唯のエネルギーに支えられたステージに充足を得た
#21までに澪が大きく成長することがあったとすれば、それは間違いなくこのふたつの出来事だろうし、そしてそのどちらににおいても唯が澪の心を開放する鍵だった。澪が唯を通して感じてきた価値だけが、彼女の常識的な考えを打破する鍵を握っている。もし別の進路を示唆して澪を翻意させる存在があるとすれば、それは唯の存在しかないと言えるだろう

それを踏まえて、やはり指摘されるべきはモンブランのシーンである
5つの栗が唯のもとに集まるのは5人の魂が集まる場としての唯という寓意と読むべきだろう
澪がケーキの頂点のアイテムを魂と思っていたことは#14を踏まえても間違いなく、あのシーンに「澪だけが」ワンカット挿入されるのは決して偶然ではない
おそらくまさにあの場面こそが、澪が唯に集った栗に自分たち5人を投影して、自分が居たいと思う場所を積極的に決めた瞬間だったのだ

そしてこの澪の決心が、唯、律、紬に還元される
みんなで同じ大学に行きたいという澪の願望は、#12で共有し#20で強化された絆を踏まえて、3人にとって初めて積極的かつ主体的に自分たちの将来、進路を決定する価値となった

こうして彼女たちは現実に流されて離散することを是とせず、最大の価値である自分たちの絆を動機として、意志を実現しようとする方向に舵を切ったのである

そして、#08で進路調査票を弾いたさわ子が3人の進路調査票を受理する場面に繋がる
さわ子から見て、#08での唯と律に欠けていて、#21には満たされていた条件はもう明らかだ。彼女たちをミュージシャンとして輝かせている仲間との強い絆、夢に向かうために必要な仲間の存在に他ならない
さわ子は4人の進路が一致したことを、単なる馴れ合いとは見なかった。それが4人の主体的で積極的な決断であり、自分が進めなかった夢に向かう進路であることを見抜いたのだ
余談だが、さわ子がDDを当時に置いてきたということは、さわ子の友人は唯たちのように同じ進路と夢を選ばなかったか、その挑戦に敗れたことを暗示している

■ #22「受験!」 ~#20の蹉跌を越える挑戦と自己実現
  (過去の参考記事→  

この作品において現実の非情さが描かれたのは#20と#24だった
先の考察に書いたように、#20は4人の最後のステージという現実が、#24は梓にとっての上級生との別れという現実が描かれた。それは共に本質的には「卒業」という、学生の彼女たちにとって不可避の現実、いってみれば運命に起因するものだ

しかし、受験は現実だが運命ではなく克服可能な試練である

だからここで改めて「受験は4人が克服可能な現実への挑戦で、その動機と武器は彼女たちが培ってきた絆」というドラマの構造が指摘されなければならない
またその絆は#20の挫折を経て成長した絆であることも留意されるべきだろう

それを踏まえて彼女たちは見事に受験に合格し、自己実現を果たすのだ

■ 総括 ~けいおんは古典王道であり、スポ根ものの現代的リビルドであること
 (過去の参考記事→ 

改めてまとめると、4人の進路決定の物語の骨子は以下のようになっている

 #01:現状維持を肯定する唯の意見へのコンセンサス
  ↓(1)    ↓(2)    ↓(3)
 #08:進路問題の具現化
  ↓(1)    ↓(2)    ↓(3) 
 #20:現状維持の挫折。現実の受容。絆という価値の強化
         ↓
 #21:4人の絆を重んじる澪の意見へのコンセンサス
         ↓
 #22:受験という試練の克服

このテーマにおいて、鍵を握っていたのは唯と澪だ
#01で4人が合意してきた唯の価値観が#20で現実の前に挫折し破棄され、#21で澪が示したこれからも共にいるという絆の価値が4人の新たな合意となり、#22の受験という困難を克服するというシンプルな流れだった
これは余談になるが、#24で泣いている梓に語りかけるのが唯と澪だったのも上記の流れを踏襲した演出だったことがわかるし、そもそも彼女たちの進路の鍵を握っていたのがOPとEDを歌っているふたりというのも、制作者の意図があってのことなのだろう

そしてこの「挫折を経た成長で次なる試練に挑戦し、克服する」という構造は少年マンガ的な王道で、古典的なドラマツルギーであることを指摘しなければならない

かつて70~80年代に盛んに作られたスポ根ものでは、スポーツを人生そのものに値する最大価値として定義した上で、試合でライバルに敗れる、苦手を克服するなどの挫折と克己が描かれていた。それはその後、バトルものにそのまま継承されていく王道展開となったが、実はけいおんの構造もこれと相似している
けいおんの最大価値として置かれていたのは部活動や放課後という時間を通じて学生時代の彼女たちが持つモラトリアムを満喫することだった。その姿勢が初めて挫折したのが#20での現実の受容であり、そのときに鍛錬され成長したのが彼女たちの絆だった。そして今後も一緒にいようとする絆を武器として、最大の試練である受験を克服する
こう書くと、けいおんでは要素の置き換えがされているにすぎないことがわかる
第一期の総括として軽く触れていたことではあるが、ここで改めてこの作品は70~80年代に盛んに作られたスポ根部活ものの正統な後継、最大価値をすり替えた現代的リビルドであると指摘されるべきだろう

というわけで、
これまでの考察を総括すると
進路のドラマは、挫折をバネに成長して試練を克服するという、手堅く平易な古典的王道だった
という結論になる


これだけの文字を費やして、結論はたった1行
いや、数学でもシンプルな方程式こそ真理なのだ。だからこれでいいはず…だと思う

■ 後記

というわけで、縦割りで彼女たちの進路と合格までの流れを見てきた
振り返ってみると、この作品はなにも特別なドラマは描いていない事がわかる
そのかわり、丁寧に丁寧に物語を描いていた

個人的に「けいおんは見たままだ」と思っているのだが、その「見たまま」を受け止めるのが非常に労力のいる作業だ
なぜなら込められている情報があまりにも膨大で、それがどういう脈絡を持って繋がっているかを読み解くのかは非常に手間のかかる作業だからだ。この考察はそれを実際にやったらどうなるかという思考実験でもあったが、やはりものすごい労力のいる作業だった

だけど、これを通じて何十回でも鑑賞に耐える作品だという思いは一層強まったので、次回はまた別の切り口から作品を見てみたいと思う

テーマ : けいおん!
ジャンル : アニメ・コミック

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超記憶術先生

Author:超記憶術先生
元業界人(コミック系フリーライター)
Twitter:@SuperMnemonic

問うまい


我の深部にHTTが潜伏したる理由を


我も亦 知らぬなり


こういう管理人w

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